『べらぼう』吉原炎上とコスパ・タイパの違法売春宿「岡場所」、そして蔦重の大ヒットコンテンツ「吉原細身(吉原ガイドブック)」出版へ
──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。
2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』が始まりました(以下、『べらぼう』)。第1回、みなさまいかがご覧になったでしょうか。筆者は「良い」と感じました。1時間があっという間で、歴史ドラマの楽しさを久々に味わえた気分です。
脚本の森下佳子先生は、NHK版のドラマ『大奥』(よしながふみ先生の漫画を原作とする、「男女逆転版大奥」のドラマ化)でも一世を風靡した方ですし、歴史系コンテンツにも高い適性があるとお見受けします。
ドラマの内容も、フィクションの部分と史実の要素を巧みに織り交ぜ、共存させることに成功していたので、今後も見応えがありそう。実写にアニメーションが混在するオープニング映像も新鮮ですし、ドラマには語り部として綾瀬はるかさん演じる「九郎助稲荷」が登場し、スマホで江戸市中から約5キロ離れている吉原の微妙な距離感を説明してみせるなどの演出も楽しく拝見しました。
昨年の『光る君へ』で離れてしまった従来の大河ファンが帰って来るまでは時間がかかりそうな気もしますが、『べらぼう』第1回が放っていた強いエネルギーを見る限り、なんとかなりそうです。
蔦重を演じる横浜流星さんは、意外なまでのハマり役でしたね。昔、とある作品でヤクザを演じる横浜さんの美しくカールしたまつ毛を見て、「こんなまつ毛のヤクザおらんわ!」とツッコミを入れたものですが、『べらぼう』では相変わらず反り返ったまつ毛を見せつけられながらも「こんな蔦重おらんわ!」とはなりませんでした。むしろ、非常に主人公としての存在感がある蔦重だったのではないでしょうか。
蔦重の幼馴染で、花魁・花の井を演じる小芝風花さんは、昨年1月期のフジテレビ版『大奥』で、『べらぼう』にも登場した十代将軍・徳川家治(『べらぼう』では眞島秀和さん)の御台所(正室)だった五十宮倫子を演じておられましたよね。フジテレビ版『大奥』の内容は、小芝さんの熱演むなしくダメダメでしたけど、『べらぼう』の小芝さんは期待できそう。しっかり者としての昼の顔と、売れっ子花魁としてのあでやかな夜の顔の2つを演じ分けておられ、その演技力にすっかり引き込まれました。
大火と吉原と遊女、そして九郎助稲荷
さて、歴史的要素について補足していきましょう。ドラマは「明和の大火」のシーンで始まりました。江戸時代の「三大火事」――明暦の大火・明和の大火・文化の大火のうちのひとつです。具体的には明和9年(1772年)2月29日、目黒あたりで発生した火事の延焼に吉原まで巻き込まれてしまった大惨事でしたが、江戸・吉原はとりわけ火事が多い街として知られました。
ドラマの舞台は浅草・浅草寺裏手のいわゆる「新吉原」なのですけど、もともと吉原は現在の中央区・人形町あたりに所在していた色街なのです。その「元吉原」から「新吉原」への移転も「明暦の大火」が原因でした。
ドラマでも紹介されたとおり、吉原は遊女の足抜け(脱走)を警戒するあまり、遊女たちが「ちょっと買い物に……」などと吉原の大門(おおもん)から外出することも厳禁していましたから、彼女たちの不満は非常に強く、作中でも付け火で逮捕される遊女が描かれたように、何かの気の迷いがきっかけで放火する遊女がたくさんいたのです。
そういう背景もあって、「吉原炎上」こと、吉原の街全体が全焼したのは「元吉原」時代に2回。「新吉原」時代にはなんと19回。吉原は9年に1度は、大火事が発生してしまう「危ない街」だったのですね。
ちなみにドラマでは蔦重が九郎助稲荷の祠を背負って逃げていましたけれど、江戸時代では異例の大出世を遂げ、老中にまで成り上がった田沼意次が稲荷神を熱心に信仰したことは庶民にも有名で、自分たちもあやかろうと稲荷人気が急上昇したのです。幕末の『守貞謾稿』という書物でも「江戸にては武家および市中稲荷祠ある事、その数知るべからず」といわれるほど、江戸市中には多くの稲荷神のお社がありました。
火事の後に吉原が盛り上がる理由
前回は第1回でしたから、吉原という街が「格差社会」だったことなどが描写されました。筆者としては『三代遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』(幻冬舎)という既刊もありますから、細々としたことを語りたくなる衝動に駆られましたが、それは今後のお楽しみとします。今回は「火事の後は吉原に客が押し寄せる」という理屈がよくわからなかったという声がありましたので、この背景についてお話しておきましょうか。
江戸時代の消火作業の基本は「破壊」です。消火は基本的に火消しの手で行われるのですが、火事が燃え広がらないよう、炎の進路上にある建物を倒壊してまわるのが、彼らのお仕事なのですね。
しかし、吉原は異例で、火消したちは街の中には入ってきません。ドラマにも登場していなかったと思いますが、これは吉原が街として「吉原炎上」を望んでいたからです。逆に焼け残りの建物が吉原内にあれば、全焼するように仕向けたとまでいうのだから驚いてしまいますが、そこまでしたのは、街の全焼を理由に御公儀(幕府)から仮宅営業が許されたからです。
現代風にいえば、プレハブ小屋での仮営業のような仮宅営業を、なぜ吉原が望んだのかというと、そのほうが大きく儲けられたんですね。
江戸時代には、幕府公認の遊郭は日本全国でも江戸吉原・京都島原・大坂新町の3つしか存在せず、吉原のように官許を得た遊郭街には高い格式が求められました。ただの性風俗店の集合体ではなかったのです。
しかしドラマでも描かれた通り、江戸時代も中期を過ぎた明和年間ともなれば、幕府にウラ献金(ドラマでいう冥加金)をして、経営を黙認してもらっただけの違法売春店が江戸中にあふれかえるようになりました。江戸市中の違法売春店の総称が「岡場所」。さらに板橋、品川といった(当時の感覚では)江戸郊外の宿場町の宿屋にも「飯盛女(めしもりおんな)」が控え、アルバイト感覚で密売春をしていたわけですね。
当時、すでに目立ちはじめていた吉原不人気の理由は、色々あるのですが、まずは江戸の中心地からの距離。高い格式に守られてはいるものの、そのぶん遊女たちがお高く振る舞いがちだった点などが指摘できるでしょう。お客からしてみれば、ただ遊女と会いたいだけなのに、ドラマにも描かれたように、お目当てがお座敷に登場するまでには芸者などを招いた宴を設け、数々の出費が強いられるのが吉原のルールでした。そういうルールに縛られず、お安く、きれいな女性と遊べる「岡場所」に客と金が流れるのは必定だったわけです。
特に江戸時代中期以降の江戸の街の主役は格式を重んじる武士よりも、商人たちですから、彼らが重視するコスパ・タイパが高いのは吉原などより「岡場所」だったわけですね。それゆえ、吉原の街はドラマに描かれたとおり、「岡場所」などの違法売春店に押されまくって苦しい営業を強いられたのでした。
しかし、火事で吉原が全焼した場合だけ、仮宅営業が幕府から許されたのです。仮宅のほうがなぜよいのかというと、仮宅は、通常の吉原名物の豪華な建物――ある意味、よそよそしい空間ではなく、遊女が本当に住んでいる部屋に招かれたような気分になれるし、すべての出費を通常営業時よりお安く抑えられる利点がありました。吉原名物のよりすぐりの花魁たちに会うためのハードルがぐっと低くなる機会を逃したくないのが世の男心というもので、そういう彼らたちが「岡場所」ではなく、吉原に押し寄せてくるのが仮宅営業期間だったのです。
それゆえ吉原の遊女屋にとっては、火事という不幸と引き換えに得られた「ボーナスステージ」が仮宅営業でした。みな通常営業時以上に儲けて、新しい店舗の再建費用の捻出はもちろん、大蓄財さえも可能だったとか……。
最後に「蔦屋」と「TSUTAYA」の関係についても触れておきましょう。
「蔦屋」と聞けば、増田宗昭会長率いる「TSUTAYA」(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)を思い出す方も多いでしょうが、増田会長によると、幅広い事業を展開する実業家であった増田氏の祖父が営んでいた置屋(=芸者屋)の屋号が「蔦屋」で、それに因んだネーミングにすぎないのだとか。蔦屋重三郎の「蔦屋」とは偶然同じだったことを後で知った……というお話のようですね(増田宗昭『情報楽園会社』)。
次回は、早くも蔦重率いる「蔦屋」の経営を支えていく大ヒット・コンテンツとなる「吉原細見(=吉原ガイドブック)」について描くだろうと予想され、今から楽しみです!
(文=堀江宏樹)