広末涼子、歌手再始動で蘇る“松田聖子以来の快挙”と伝説の数々
女優・広末涼子が3月に台湾で開催される音楽フェスティバルに出演することが明らかになった。
昨年12月には約25年ぶりとなるライブを開催したが、“歌手・広末涼子”の本格再始動に青春時代の思いを馳せるファンも多いようだ。
アイドル誌の元編集長はこう述懐する。
「若い世代にとって広末といえば女優というイメージが強いでしょうけど、1990年代後半には歌手としても絶大な人気を誇りました。当時の広末はアイドル歌手にとどまらず、新しい世代の象徴とも言える存在で、その透明感あふれるルックスと天真爛漫なキャラクターが大きな注目を集め、短期間で一気に全国的なスターへと駆け上がりました」
80年代に松田聖子や中森明菜を筆頭に数多くの女性アイドルが活躍し、黄金期を迎えたアイドル業界は、85年におニャン子クラブが登場したことでグループアイドルの時代に突入。
90年代は安室奈美恵や華原朋美、宇多田ヒカル、浜崎あゆみなどの“アーティスト”が席巻した。
そんなソロアイドルが“死滅”していた1997年、広末は竹内まりやがプロデュースを担当した「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューを果たす。
「同曲は60万枚以上を売り上げ、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場する快挙を成し遂げました。女性アイドル歌手がデビュー年に『紅白』に出場したのは80年の松田聖子以来、17年ぶり。その後もノスタルジックな雰囲気が漂う彼女の歌声に多くのファンが惹きつけられ、岡本真夜が手掛けた『大スキ!』も大ヒット。以降も原由子や広瀬香美ら大物ミュージシャンから楽曲の提供を受けています」(音楽ライター)
この頃、広末が2冊同時に発売された初写真集『H』と『R』(いずれも集英社)は合計で約46万8000部を記録。ヌードや水着がない写真集としては異例の大ヒットとなっている。
芸能評論家の三杉武氏は当時をこう振り返る。
「全盛期の広末さんの人気ぶりで思い起こされるのが、99年の早稲田大学に入学した時の騒動ですね。初登校時には報道陣や野次馬も含めて多くの群衆が大学のキャンパスに集まり、一部報道ではその数は3000人とも伝えられたほど。広末さん本人も集まった人たちによってもみくちゃにされ、どさくさまぎれに体を触られたりもしたそうです。学生たちの間では、校舎に盗撮被害を防ぐため“広末専用隠しトイレ”が密かに設置されたなんて噂も流れていました。結果的に広末さんは在学中もほとんど登校せず、単位もほぼ取得しないまま、入学から4年が経過した03年10月に『女優業に専念したい』との理由で退学を発表することになりますが」
ちなみに、広末が初めて注目を浴びたのは、96年に放映されたNTT DoCoMoのポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」だったが、ここには知る人ぞ知るトリビアが……。
「じつはこのCMは関東ローカルで放送されていたため、彼女の知名度は当初、地域限定のものでした。しかし、大手新聞5紙に展開された全面広告で、ポケベルではなく広末の宣伝かと思えるほど彼女の顔がドアップで掲載されたことで、瞬く間に全国区の人気を得ることとなりました。YouTubeもSNSも存在しない時代に、このような局地的なスタートで全国区のスターとなった彼女の軌跡は、まさに“伝説”と言えます」(前出のアイドル誌元編集長)
広末本人は、過去に宇多田の才能を知り「“私、歌ってるだけだな”と思い恥ずかしくなった」と語っており、歌手活動は実質3年ほどで封印したが……。
歌手活動の本格再始動により往年のファンの脳裏に彼女が巻き起こした“ヒロスエ・ブーム”がきっと甦ることだろう。
(取材・文=サイゾーオンライン編集部)