『べらぼう』瀬川の身請けとうつせみの足抜け、そして“高位花魁・女性上位”という遊女に嫌われない吉原の“粋”

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。
前回(第8回)の『べらぼう』は、大名跡・瀬川を襲名した花の井を演じる小芝風花さんの熱演が光りましたね。連日連夜、びっしりのスケジュールで疲れているのに「強蔵(つよぞう)」――吉原用語でいう精力絶倫の客の相手までさせられ、疲弊している瀬川が気の毒でした。
瀬川に「そんな強蔵をあてがわないでやってください」と頼む蔦重でしたが、それに対して「うつせみならいいのかい」というセリフが別の花魁から飛び出しました。遊女は望んで抱かれているのではないのだから……という前提に立って、夜の世界で働く女性の目線で作られたシーンだったと思います。
ちなみに男性目線では、「強蔵」に対しても、花魁の性の妙技に「いかな強蔵も、乱れ姿になって(井原西鶴『好色一代男』)」しまったとか、「両人に強蔵がかるときは、揚屋の二階鳴動するなり(好色軒『朱雀信夫摺』)――客だけでなく遊女まで精力抜群すぎると、店の二階が地震みたいに揺れる~とか、その手の描写がされがちでした。客相手に本気になってしまう遊女というのは、男性にとっては永遠の夢なのでしょうね。
ドラマの舞台である西暦18世紀半ばの吉原といえば、まだ「格式」が守られていた時代の話です。実際は瀬川のように高位の遊女であれば、客を選ぶことができました。「初回」は、それこそドラマの鳥山検校(市川隼人さん)のような特例がない限り、花魁は口を聞かず、客からだいぶ離れたところに座っているだけ。二回目の対面のことは「裏(うら)を返す」といって、花魁は前回よりは客の近いところに座り、ポツポツと話をしてくれる程度でした。
三回目がようやく「馴染(なじみ)になる」といって、花魁との同衾(どうきん)も許されるはずなのですが、三回通えば誰でも「ベッドイン」ならぬ「おふとんイン」ができるかというとそうでもないのですね。
遊女は身体が資本なので、三回目までに徹底的に客のあれこれを値踏みするのです。「初回」の花魁がしゃべらないのも、ドラマで説明されたように、客が花魁の外見を楽しむという要素もあったでしょうが、花魁が客のことを自分が寝る価値がある男かを徹底的に見定めているわけですね。つまり、遊女が客を面接しているのでした。ここで花魁がNGを出せば、何かと理由をつけて、三回目は永遠に訪れません。
さらに性質(たち)が悪い花魁だと、三回目には自分の妹分で、新人遊女という意味の「振袖新造(ふりそでしんぞう)」という位階の女性を自分の身代わりとして座敷に送ってくるのです。吉原はいわゆる「永久指名制」の世界ですから、ついに今日こそ、ムフフ……と思って登楼してきた客は、お目当ての花魁に相手にされず、いわゆるヘルプ役の若い女に手を付けることも許されず、ただ花魁に支払うのと同額の揚代などを支払わされ、ただ新人遊女と話だけして帰るしかないのでした。
ここまでされて遊女からフラれたと気付かないバカな客はいませんから、また別の花魁を相手に、最初からスタートするしかなかったのです。
吉原は完全に女性上位の世界でしたから、おふとんインした客も遊女にされるがままで昇天させられるケースが多かったようです。しかし逆にそれが「粋(すい)」なのですね。
大坂にあった新町遊廓では「粋」を「水」と書き、やはり「すい」と読ませました。その反対が「月」と書いて「がち」。がちな客といえば、自己主張が激しくて押し付けがましい男のこと。たとえばついに二人っきりの時間が訪れました!となっても、先に布団に入るのは遊女。その前に「早くやらせて」みたいなことをいうと、怒られてしまいます。
客は彼女が横になったところに、おもむろに寄り添うように身体を近づけるのが「粋」。そこで色々と触ったりしようものなら「がち」な野暮客だと確定します。
「粋」な男は、遊女の足に自分の足を絡めたりしながら、床の間に飾られた花とか掛け軸を褒めねばなりません。そうやって風流な会話で遊女の心を解きほぐしていける男こそ「粋」だとされたのでした。気が長いお話です。
以上、大坂新町遊郭のあれこれを記した書物『難波鉦(なにわどら)』の記述からお送りしましたが、江戸吉原遊廓でも事情は同じだったはずです。
遊女たちへ特別な思いを抱かなくなる吉原者の男
それにしても次回は、とつぜん情念的な展開になるようですね。公式サイトのあらすじによると、「蔦重(横浜流星)は瀬川(小芝風花)の身請け話を耳にして、初めて瀬川を思う気持ちに気づく。新之助(井之脇海)はうつせみ(小野花梨)と吉原を抜け出す計画を立てるが…」。
前回のドラマでは遊女の「身請け」には安くても100両、瀬川クラスなら1000両以上はかかるというセリフがありました。身請けに「定価」はなく、客と店側の取り決めですべては決定されたのです。
新之助はうつせみの「間夫(まぶ)」の客なのですが、とても100両も払えるような身分には見えません。吉原大門(おおもん)からの外出もままならない遊女の気分転換のひとつが「間夫」といわれる恋人をつくることだったわけですが、遊女が間夫客に本気で惚れてしまうと逆に地獄でした。まさにうつせみのようなケースです。
間夫に会いたいがあまり、自分で自分の揚代を払って、さらに借金を雪だるま式に膨れ上がらせてしまう遊女もいましたし(うつせみも以前、そういうことを新之助に持ちかけていましたね)、何より大変なことになるのが「吉原を抜け出す計画」こと「足抜け」への挑戦でした。
ドラマでも描かれたように当時の吉原への通行口は大門だけ。しかもその傍にある四郎兵衛会所という事務所で出入りを監視しているので、通常ルートでは絶対に外に出ることはできません。では吉原の四方に張り巡らされた高い塀を協力者の助力を得て乗り越え、逃亡を図ったところで、遅くても数日内に江戸市中で捕縛され、吉原に連れ戻されてしまうのです。その後は手ひどいお仕置きを受けてしまいます。あるいは捕まる前に二人で死ぬか。それくらいしか、足抜けした者に未来はありませんでした。
基本的に「足抜け」は、来世で結ばれることを信じ、二人で自殺する「心中」のために行う行為だったと考えたほうがよいでしょう。新之助とうつせみは思いとどまってくれればよいのですが……。
蔦重と瀬川に関しては、たしかに客でもないのに遊女に手出しすることは吉原者の御法度でした。遊女と男衆の悲恋は現代の創作物にはちらほらと見るのですが、古い時代の逸話では遊女の相手は客だと相場が決まっており、ドラマの蔦重のように華やかな世界の裏側を知る吉原者の男は、遊女たちへの特別な感情を抱かなくなる……というあたりが正しかったのかもしれませんね。
(文=堀江宏樹)