アカデミー賞受賞『君たちはどう生きるか』 宮崎駿監督が脳みその蓋を開けた異世界

「映画は映画館で観てほしい」
宮崎駿監督の強いこだわりによって、スタジオジブリの劇場アニメは日本国内では動画配信はされていません。映画館やDVDですでに視聴した人は多いかと思いますが、この日を待っていた人もけっこういるんじゃないでしょうか。
宮崎監督の新作アニメ『君たちはどう生きるか』(2023年)が、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて5月2日(金)夜9時から放映されます。放送枠を45分拡大しての、地上波初放映です。『千と千尋の神隠し』(2001年)に続いて、2度目となるアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した作品です。
菅田将暉、あいみょん、柴咲コウ、木村佳乃、木村拓哉ら豪華キャストが声優として参加し、米津玄師が主題歌「地球儀」を手掛けたことも話題となりました。宮崎監督お得意の冒険ファンタジーとなっていますが、戦時中の疎開先で主人公が体験する異界めぐりを小難しく感じた人たちもいたようです。
怪しい塔に潜むミステリアスな大伯父をはじめとするキャラクターたちについて、掘り下げてみたいと思います。
宮崎家のファミリーヒストリー
宮崎監督の前作『風立ちぬ』(2013年)もそうでしたが、本作も「宮崎家」をめぐるファミリーヒストリー的な実話要素が盛り込まれています。『風立ちぬ』の主人公・二郎は最愛の女性・菜穂子と結婚するも、菜穂子を結核で失うことになります。宮崎監督の父親・宮崎勝次も、学生結婚した初婚の相手を結核で失っています。そして1年もしないうちに再婚し、宮崎監督が生まれることになります。
今回の『君たちはどう生きるか』の主人公・眞人(CV:山時聡真)は、父・勝一(CV:木村拓哉)の先妻・ヒサコの息子です。ヒサコが戦災で亡くなったため、勝一はヒサコの妹・夏子(CV:木村佳乃)と再婚します。母親にそっくりな夏子ですが、夏子に懐くことは母親を裏切ることのように思え、眞人は新しい母親に打ち解けることができません。
少し事実はいじっていますが、『風立ちぬ』は軍需産業に関わる若き日の父と先妻との悲恋で、今回は息子/宮崎駿の視点から描いた物語となっています。実際の宮崎監督は後妻の子でしたが、自分が生まれ育った宮崎家の歴史を、宮崎監督はアニメーションとして描き残そうとしているかのようです。
太平洋戦争末期、米軍による空襲は激しくなる一方で、最愛の母親を失った眞人は母の実家のある宇都宮へ疎開します。疎開先となった古い屋敷で、眞人は驚くような体験をします。広い庭の奥にある奇妙な古い塔は、異世界への入り口だったのです。宮崎監督ならではの異界への冒険譚の始まりです。
宮崎監督自身、母親・美子が結核を患っていたため、幼少期は甘えることができなかったそうです。そんな宮崎監督が、すでに亡くなった母親の面影を求める異世界ファンタジーを描いています。80歳を過ぎていても、お母さんに甘えたいという宮崎監督の正直な気持ちが伝わってきます。
不思議な塔に住む大伯父の正体は?
眞人を異界へと誘う青サギ(CV:菅田将暉)のモデルは、宮崎監督の盟友・鈴木敏夫プロデューサーでしょう。平気で二枚舌を使うペテン師のような青サギですが、憎めないキャラでもあります。鈴木プロデューサーがいなければ、宮崎監督はオリジナル作『風の谷のナウシカ』(1984年)やスタジオジブリの第1作『天空の城ラピュタ』(1986年)を撮ることはできなかったはずです。金銭関係などの世俗的な面を請け負ってくれているのも、鈴木プロデューサーです。眞人と青サギのバディムービーとしても楽しめます。
異界に迷い込んだ眞人に、救いの手を差し伸べてくれるキリコ(CV:柴咲コウ)は、色彩設定の保田道世さんがモデルだそうです。『風立ちぬ』までジブリ作品を支え続けた保田さんは、2016年に亡くなっています。両親も含め、宮崎監督がこれまでの人生の中で大きな影響を受けた人、世話になった人たちが次々と登場します。すでに亡くなっている人と生きている人とが混在する異世界となっています。
では、塔の設計者である大伯父(CV:火野正平)は、いったい誰なのか? 13個の石の積み木がバランスを保つことで、世界の調和は成り立っていると大伯父は語ります。この13個の積み木ですが、宮崎監督の監督デビュー作となった『未来少年コナン』(NHK総合)と『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)以降の長編アニメを合わせると合計13本になります。そのことから、大伯父=宮崎駿、古い塔=スタジオジブリ、と推測する声が劇場公開時に挙がりました。
年老いた大伯父は、若くて純粋な眞人に自分の仕事を受け継いでほしいと頼みます。すでに何度も引退宣言している宮崎監督は、スタジオジブリを継いでくれる若い世代の登場を待っているのだ、という解釈です。この説は、すごく理にかなっているように思いました。
死者を弔うためのアニメーション
ところが、2023年12月にNHKで放送されたドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀 ジブリと宮崎駿の2399日』を観て、思わず口があんぐりとなってしまいました。『君たちはどう生きるか』を制作中の宮崎監督を長期密着取材したこの番組では、大伯父の正体は「パクさん」こと高畑勲監督だと、宮崎監督は明かしたのです。
東映動画時代の先輩で、博識かつ完璧主義者だった高畑監督は、確かに宮崎監督がアニメーターとして大成した上で最も重要な人物です。メンターであり、ライバルであり、心友でもあった存在です。パクさんに認めて欲しくて、宮崎監督は懸命にアニメづくりに取り組んできたのです。2018年に亡くなった高畑監督の気配を、『君たちはどう生きるか』制作中の宮崎監督はずっと感じ続けていたとも番組中で語っています。『君たちはどう生きるか』は、亡くなった仲間たちをあの世に弔うための作品でもあったわけです。作品全体から死の匂いがするのは、そのためでしょう。
ですが、大伯父=高畑監督だとすると、眞人少年は宮崎監督自身ということになります。いや、眞人が宮崎監督のアバターだということは物語冒頭から分かってはいたのですが、高畑監督は老仙人のような存在で、5歳下の宮崎監督は瑞々しい少年として描いていることに正直なところ、びっくりした次第です。
アニメ界のモンスター的存在である宮崎監督の心の中には、今も思春期のナイーブな少年が暮らしているようです。
宮崎駿監督がクリエイターズハイになる瞬間
ストーリーは、SNSで騒がれたほど難解ではないと思います。基本的には英国の児童文学の名作『トムは真夜中の庭で』をベースに、イザナギが亡くなった妻・イザナミに会うために黄泉の国へ行った日本神話の要素などをブレンドした、思春期の少年の通過儀礼ものとなっています。お話自体は意外とシンプルですが、ひとつひとつのシーンに宮崎監督の想いの深さががっつりと込められています。宮崎監督が他のアニメ監督たちの追随を許さないところでしょう。
宮崎監督は『プロフェッショナル 仕事の流儀』のなかで、コンテを描いているときは「脳みその蓋が開く」とも語っていました。脳みその蓋が開かないと面白いものにはならないそうです。宮崎監督の頭の中に詰まっているこれまでの人生の実体験、出会った人、別れた人、何度も読み返した本……、善悪の彼岸にあるさまざまなものが、宮崎監督の喜怒哀楽の感情と共に飛び出してきた作品なんだと思います。
脳みその蓋を開ける行為は、そのままにしておくとヤバいけど、きっと気持ちいいんだと思います。一種のクリエイターズハイな状態なんでしょう。その状態が気持ちよくて、宮崎監督はアニメ制作をやめられないんだと思います。多分、宮崎監督は死ぬまで新作アニメをつくり続けるんじゃないでしょうか。宮崎アニメを観るという行為は、宮崎監督の頭の中を覗き見するということでもあります。
(文=映画ゾンビ・バブ)