「マーベルが激怒」は大嘘! 東映版『スパイダーマン』の生き証人・村上克司が語る巨大ロボット・レオパルドン誕生秘話

スパイダーマンが巨大ロボットに乗る――。そんな驚きの展開が、1978年の日本で現実となった。
ハリウッド映画でおなじみのスパイダーマンしか知らない人にとっては、にわかには信じがたい話だろう。日本のスパイダーマンは赤と青が基調の全身コスチュームという姿は同じだが、その性格、戦い方、人種はマーベル・コミックスとも異なる、まったく新しいヒーロー像として大胆に再構築されている。
本作は「東映版スパイダーマン」としてインターネット上でもたびたび話題になっているが、その中心人物が工業デザイナー・村上克司氏。彼の手によって、スパイダーマンは独自の進化を遂げ、のちにマーベル本家の公式作品に登場するまでになった。
そんな異色だらけのスパイダーマンの誕生秘話を、村上氏本人に聞いた。
アメコミヒーロー×特撮の融合
まず、村上氏は1970年代から80年代にかけて、日本の工業デザインとロボット・ヒーロー文化を牽引してきた人物のひとりである。東映の特撮シリーズをはじめ、数々のアニメやヒーロー作品に関わってきた。彼が持ち込んだのは、単なるビジュアルデザインを超えた「世界観の創出」だった。
彼のキャリアにおいて特筆すべきターニングポイントのひとつが、「東映版スパイダーマン」と、そこに登場する巨大ロボット「レオパルドン」の企画と誕生である。
1970年代後半、アメリカのマーベル・コミックスと東映はクロスライセンス契約を締結。東映がマーベルキャラクターを日本仕様へとアレンジできる代わりに、マーベル側のキャラクターを再利用したリブート作品を日本で新たに展開するというものである。そこには、アメリカン・コミックス『スパイダーマン』と、日本のおもちゃの売り方(マーチャンダイジング)を組み合わせようという目的があった。
その経緯から、人気キャラクター『スパイダーマン』の日本向けテレビドラマ制作が始まったのだが、本作を放送するにあたって大きな壁が存在した。それは、日本の子どもたちにとって「蜘蛛」をモチーフとするヒーローが受け入れにくい存在だったという点である。
村上氏はインタビューの中で、「アメリカで売れたコミックだとしても、日本人の感性はアメリカ人と異なる。だからこそ、日本向けに大胆なアレンジをして、ひと目見た子どもが『欲しい!』と思うような強烈なインパクトがあって、ようやく成立するキャラクターだった」と語っている。
同氏はこの課題を前に独自の発想で答えを出す。それが、巨大ロボット・レオパルドンの導入だった。
「『全身タイツの蜘蛛男』というフォルムは、日本の子どもにはウケない。そこで、『宇宙から飛来した巨大ロボに搭乗させる』というアイデアを出した」(村上氏)
同氏のアイデアを軸に、「東映版スパイダーマン」がスタート。変形合体する巨大ロボットに慣れ親しんでいる日本の子どもたちにとって、スパイダーマンはより身近で魅力的な存在で、まったく新しいヒーロー像へと生まれ変わったのである。
レオパルドンのコンセプトと誕生の背景

東映版スパイダーマンは、当時ポピー(現・バンダイ)がスポンサーを務めていたこともあり、物語だけでなく、いかにしてグッズ展開を行い、キャラクターを商品として落とし込むかが大きな課題とされていた。
その中で村上氏は、原作付きの作品であっても、独自の解釈と大胆なアレンジを加えることで、視聴者に受け入れられるスタイルへと昇華させる手腕を発揮してきた。
彼のそうした手法はすでに『大鉄人17』(1977年)で成功しており、その後の『太陽の使者 鉄人28号』(1980年)や『六神合体ゴッドマーズ』(1981年)など、いずれも原作とは異なる構成やビジュアルが話題を呼び、玩具はどれもヒット作品となっている。
レオパルドンの誕生にあたり、村上氏は従来のマーベル原作には存在しないまったく新しいロボットキャラクターを創出した。
そのモチーフにスフィンクスを選んだのは、宇宙的な神秘性を強調し、かつ変形ロボットとしてのギミックを盛り込むためだった。
村上氏は「『地球の文明であるスフィンクスが何故宇宙から?』という疑問に対しては、『それでは、スフィンクスはそもそも何処から来たのか?』という疑問へのアンサーである。この解釈であれば、スフィンクスは宇宙からの使者なのだ」と語っている。
「レオパルドン」という名付けも、村上氏によるものである。同氏の得意とする分野では、単にデザインを手がけるだけでなく、設定や名称まで盛り込み、見る者に与えるインパクトをより強力なものにするという手法が用いられていた。
ドイツの戦車「レオパルド」と、獅子を意味する「レオ」からスフィンクスへと発想をつなげ、最後に「ドン」と締めくくることで、子どもたちにとっては聞き慣れない言葉が、明確なキャラクター像として印象づけられる。「この語呂のよさが決め手だった」と、村上氏は語っている。
ロボットはスフィンクスの形態から変形し、巨大な剣を振るって敵を倒す(スパイダーマンの話である)。番組ではおなじみとなった決め技「ソード・ビッカー」によって瞬時に戦闘が終わる展開も、子どもたちに強烈なインパクトを与えた。
また、この作品での成功は東映とマーベルのパートナーシップを一層強化し、その後の『バトルフィーバーJ』(1979年)へとつながっていく。この作品では、巨大ロボット“バトルフィーバーロボ”が導入され、レオパルドンの存在がその直接的な原点となった。
さらにその発展系として誕生したのが『電子戦隊デンジマン』(1980年)である。このシリーズでは、マスクデザイン、スーツ造形、メカやロボットに至るまで、村上氏が全面的に工業デザインを担当することとなり、以降このシリーズではその体制が継続し、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999年)まで続くこととなる。
逆輸入された巨大ロボット

レオパルドンの登場は、日本国内では人気を博したが、海外の原作ファンにとっては驚きの連続だった。
そもそも原作に存在しないロボットがスパイダーマンと共演することは、アメリカでは考えられない展開だったためだ。しかし、当時のマーベル幹部はこの斬新なアイデアを最終的に容認し、日本市場向けのローカライズとして受け入れた。
この東映版スパイダーマンは、のちにアメリカでもカルト的な評価を受け、特にレオパルドンの登場は一部のファンの間で伝説となる。独特の台詞回し、従来のアメコミとは一線を画す演出、そしてロボットの導入といった大胆な改変が、今なおカルト的な人気を誇っている。
そして2020年代に入り、マーベルの公式作品『スパイダーバース』シリーズにも東映版スパイダーマンとレオパルドンが登場し、当時の村上氏の発想がグローバルな文脈で再評価されることとなった。
それ以前から、東映版スパイダーマンはマーベルの公式コミックス作品にカメオ出演していたため、その影響力の大きさが改めて証明されたわけだ。
村上氏はインタビューの中で、「売れる玩具の条件は、子どもが自分自身を重ねられるヒーロー像にある」と語っている。そのため、キャラクターの背後にある物語性や価値観、ロボットに乗ることで得られる夢や希望を、常に重視していた。
レオパルドンは、そうした思想の結晶でもある。単なる「武器」や「乗り物」ではなく、スパイダーマンの相棒であり、共に戦う存在。それが子どもたちの心に刺さった。村上氏はまた、「自分がヒーローになったつもりで、一番かっこいいと思うものを描け」と部下に指導していたという。そうした哲学が、デザインにも如実に反映されている。
スパイダーマンという世界的IPを、日本流に解釈し、玩具と特撮の融合で再構築した村上氏のアプローチは、その後のヒーロー番組やロボットアニメのテンプレートにも多大な影響を与えた。
事実、戦隊シリーズにおける巨大ロボの定番化や、子どもたちが「ロボットに乗るヒーロー」へ感情移入する構造は、レオパルドンの成功から学び取られたものである。
そして2025年現在、東映やマーベルを越えて、世界中のクリエイターがこの日本版スパイダーマンに着想を得た作品を発表し続けている。村上克司というひとりのデザイナーが残した影響は、単なるノスタルジーを超え、今もなお新しいヒーロー像を生み出し続けているのだ。
(構成・文=髙坂雄貴)
村上克司(むらかみ・かつし)
1949年生まれ。日本の工業デザイナー、キャラクターデザイナー。1970年代初頭にポピー(バンダイとの合併前)に入社し、「超合金」の生みの親として、シリーズで玩具業界に革命を起こし、ポピーの代表取締役に就任。その後、数多くのロボットアニメ、特撮番組のキャラクターデザイン、メカニックデザインを手がける。代表作は、『スパイダーマン』(レオパルドン)、『巨獣特捜ジャスピオン』、『電撃戦隊チェンジマン』、『聖闘士星矢』聖闘士聖衣大系(クロスシリーズ)、『世界忍者戦ジライヤ』、『特警ウインスペクター』、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(パワーレンジャー)など多数。玩具展開だけではない総合的かつ革新的なデザインは、国内外で高い評価を得ており、海外ではシド・ミードをはじめ多くのデザイナーに影響を与えている。