KIBA x CUTT 対談前編 ― 幸せは向こうからやってくるが、楽しさは能動的につかみにいくものである

2025年5月にX Japnaのhide生誕60周年を祝うライブがhide with Spread Beaverによって開催された。hideはX(※現X Japan)のギタリストとしてデビューしてから瞬く間にトップアーティストになり、1998年に亡くなってからも、いま現在でも強い人気と影響力を持つ。27年振りとなる最新アーティスト写真が公開され、フォトブックが発売されるなど、まだまだ話題が尽きない。
そんなhideの生前に、才能を見いだされたロックバンドがいる――shameだ。
shameは1999年にメジャーデビューし、人気ロックバンドへと成長するも、紆余曲折を経て解散となる。しかしその後は限定復活をし、不定期でいま現在でも活動している。そんなshameのボーカル/ギターであり、バンドの中心人物であるCUTTはKIBAと親交があるという。
今回はKIBAとCUTTという、Gargoyleとshameは音楽的には混じり合いそうでもあるが、混じり合いそうにもない両者の対談をお送りする。
――CUTTさんがやられていたような音楽とGargoyleは全然違うと思うのですが、2人の接点はいつからになるのでしょうか?
KIBA:30年くらい前に大阪のNHKでFMのラジオをやっていて、内容はわりと自由にやらしてもらっていたんです。ある週、ぼくが大阪でずっとお世話になってたライブハウスBAHAMAの、いま頑張っている人たちにスタジオに来てもらって音源を流して話すという企画をして、当時shameをやってたCUTT君が来てくれたのが最初だったかと思います。
CUTT:そうですね。
KIBA:でもその前に、BAHAMAでshame自体は観たことあったんですよ。
CUTT:本当ですか?
KIBA:BAHAMAの方から、すごく良いバンドあるよ、って教えてもらったんで観てたんです。
――ちなみにCUTTさんはGargoyleを観たことがあったんですか?
CUTT:ライブに伺ったことはなかったんですけども、もちろん存じ上げていました。ぼくの少年時代のバイブルは『ロッキンf』(現『WeROCK』。主に日本のヘヴィメタルやヴィジュアル系バンドによるロックを中心とした音楽雑誌)でして、『ロッキンf』と言えばGargoyle、X(※現X Japan)、COLOR(※大阪出身のヴィジュアル系パンクロックバンド)、そういう時代でしたから。
しかし今仰った、我々のライブを観に来てくださってたことは知らなくって、そのとき多分ご挨拶してないですもんね。あんまり面白くなくて帰りはったんじゃないですか(笑)
KIBA:いやいや、ちゃんと観て「あー、こんな感じなんだな」と思って。
CUTT:よかった(笑)。なので、ぼくはラジオのときが、生のKIBAさんとしては初めてという感じでした。やはり「憧れの」という感じです。
――第一印象はどうでしたか?
CUTT:まだ当時はラジオのスタジオの空気とかにも慣れていませんし、30年くらい前だからぼくもまだまだ若くて、やっぱり先輩のバンドってことになると、怖いんじゃないかっていう……。若手バンドがそのとき、3バンドくらいとかですかね?
KIBA:3バンド。各バンド1人。
CUTT:なのでぼくらの方に数的有利はあるとは思ったんですが(笑)、それでもかなり恐る恐るというか緊張しながら行ったんです。でもすごく優しく接してくださって。shameの『Doll』(2000年発売の3rdシングル『Forget,Forgive』のカップリング)という曲があるんですが、自分たち的には結構ポップな音楽性にツーバスのメタルみたいなドラムが絡んでるっていうところにオリジナリティを見出していたわけですけども、その曲を「すごく良い!」って言ってくださって、とても自信になったことを覚えてます。
――KIBAさんとしてもその当時のshameの音楽はGargoyleとはまたちょっと違った音楽性だったと思うのですが、どのような印象だったのですか?
KIBA:『Doll』も良かったんですけど、『GOOD-BYE』(1999年発売のデビューシングル)っていう曲があって。それをBAHAMAで聴いた時に「これ、何かのカバーかな?」って思ったんですよ。メロディが自然に入って来て、一回で覚えてしまって。そしたらオリジナルだと。すごいなーと思って。
当時から歌も上手かったですから、アマチュアのちっちゃいライブハウスのレベルで歌が上手い人ってやっぱり目立つんですよ。それもすごいなって思ったけど、ぼくの最初の印象としては「すごく良いな、曲が」って感じですかね。
――その当時って、shameは結構大きなバンドになっていた頃ですか?

CUTT:いや、全然ですね。ワンマンはBAHAMAさんで毎月やらせていただいていましが、フロアが満杯になるという感じでもなかったです。でも始めたころに比べるとちょいちょいお客さんは入ってくれはるようにはなっていましたね。
当時のBAHAMAは年越しのオールナイトライブをやっていて、そこに出られるようになった時にはちょっと成長したなっていう感覚がありました。そのイベントに出られるとBAHAMAから認められたみたいな風潮があって。
――さきほど『ロッキンf』の名前が挙がりましたが、それこそGargoyleとかX Japanのようなハードな音楽性にはバンドとしてはいかなかったんですか?
CUTT:それは、そうですね。KIBAさんはオリジナリティーということに対してすごく敏感だと思うんですけど、ぼくもぼくなりに当時敏感でいました。ここはちょっと現在の自分がもろ手を挙げて若き日の自分に賛成できないところなんですけど、自分が好きなハードな音楽をそのままやってしまうと、それはオリジナルじゃないじゃんっていう思いがあったんです。
当時はNIRVANA(※米国のロックバンド。オルタナティヴ・ロック、またはグランジの先駆者として知られている)とか、いわゆる、オルタナティブのムーブメントがアメリカとかで流行ってちょっと経ったくらいの時代でした。日本にもその後Dragon Ashとかミクスチャー・ロックの波が来ますけど、まだ来てない時代だったので、自分たちのオリジナリティーを見つけるとしたらそこかなと考えて、オルタナティヴな音楽性に進みました。
ボーカルって、自分が持って生まれたものをベースに戦うしかない中、やっぱりハイトーンが出ないとハードな音楽の中で、音量・音質的に不利なんですよね。KIBAさんはKIBAさんのボーカルスタイルでそこを打破されてるわけですけれども、ぼくはどういうボーカルスタイルが良いのかってなったときに、NIRVANAのカート・コバーンのような発声法が良いんじゃないかなと思ったんです。
そうなってくると音楽性もそこに準じたじゃないですけど、やっぱり日本で音楽する上でメロディーとか歌詞の内容とかっていうのは避けて通れないので、総合的にそれらに応じられるジャンルとなると、オルタナティブ・ロックみたいなところかなと。
あと、兄貴がドラマー(現・落語家 桂りょうば。ドラマーとしてはグルグル映畫館などでも活躍)なんですけど、彼は速いのが叩きたければ、全く関係ないところでも速いフレーズを入れてくるっていう困った(笑)メンバーだったんですが、それはそれで1つの面白い形として成立していたのかもしれません。当時はそこまで分析的に考えてはいませんでしたが。
――最初にご自分がボーカルを選んだ理由とかってあったんですか?
CUTT:歌うのが子供の時からすごく好きだっていう気持ちはあったんですけども、もともと漫画家になりたくて。KIBAさんもそうじゃなかったでしたっけ?
KIBA: ぼくも絵描いたりは好きだったんですけど、元々は映画監督になりたかったんです。
CUTT:あ、なるほど! ぼくも子供のとき、物語が作りたくて。子供のときってその頃の自分のヒーローを真似しますよね。ぼくにとってのその当時のヒーローって藤子不二雄先生だったので、藤子不二雄先生みたいな漫画を描くんだ! みたいな感じで。
KIBA:CUTTくんが描いた『忍者ハットリくん』をどっかで見たことあるけど。
CUTT:どうでしたか?
KIBA:さして上手くはなかった(笑)
CUTT:そうなんですよ、問題はそこなんですよ(苦笑)。 KIBAさんの優しさで「さして上手くはなかった」って言ってもらいましたけど、本当のこと言うとひどかったんです(笑)。
物事ってプランするフェーズとそれを表現するフェーズがありますよね。で、プランするフェーズは漫画を描くのにおいてもすごく好きだったんです。ただそれを表現するフェーズってなってくると、漫画家ってかなり孤独な作業じゃないですか。下書きして、ペン入れして、そこは許すけど、消しゴムをかけるという、そこにクリエイティビティを見出せなくて(笑)。消しゴムは誰がかけても一緒ちゃうかな? っていう気持ちがあったんです。今から思えば消しゴムかけのアートがあるかとも思うんですけど、そこまで考えが至りませんから。それに比べて音楽は表現するときも作曲するときや作詞するときも楽しいけど、表現するときも毎回楽しいじゃん! っていう、そこに大きな違いを感じて、音楽がいいなっていう風に思いまして。
もともとギタリストで始めたんですけれども、こんなこと言うとちょっと語弊がありますが、ボーカリストって一番責任が取れるパートだと思うんです。どうしても矢面に立ちますし、自分のやりたいことなんで、自分が責任とれた方がいいなっていう気持ちもあってボーカリストがいいなと。なので高校の時に組んでたバンドはギタリストだったんですけど、プロを目指すとなると、自分がボーカルをとるべきだと思ったんです。
――今のその「責任を取る」ということに対しては、KIBAさんもそういう風に感じられますか?