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『エンタの神様』出演時に視聴率が下がったせいで2年間テレビ出禁!? 実は冠番組を持っている地下芸人・冷蔵庫マンの数奇な人生

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(写真:矢島泰輔)
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顔を白塗りにしてダンボール製の冷蔵庫をまとい、収納された食材を使って「ヒエヒエ〜」とギャグを飛ばして客席を冷やすネタを連発する冷蔵庫マン。

芸歴は44年。俳優と芸人という二足のわらじを履きながら、大きなブレイクこそないものの、芸能界で生き残り続けている。

顔を白く塗っているため年齢は不詳だが、実は御年64歳のベテラン。そんな、「地下芸人の生き字引」に芸人を目指したきっかけから今後の展望までを聞いた。

見た目は完全に任侠…だけど特技は”編み物”

若くして12時間ドラマの重要な役に大抜擢

――冷蔵庫マンさんは、芸歴で言えばかなりのベテランですよね。もともとは俳優ですが、現在は芸人のイメージのほうが強いです。

冷蔵庫マン 芸人になりたいという夢はありませんでした。でも、小学生の頃から目立ちたがり屋でしたね。クラスでとにかく目立とうとしていて、ザ・ドリフターズが好きだったので、加藤茶さんのモノマネばかりしていた気がします。そう考えると、お笑いは好きだったのでしょうね。ただ、その頃から俳優に憧れていました。

――俳優を目指したきっかけはなんだったのでしょうか?

冷蔵庫マン 僕の世代は人口が多くて、受験戦争が激しかったんです。大学の倍率がどこも高く、僕も一浪したのにどこも合格しませんでした。当時は、大学に落ちて自殺してしまう人もいた時代です。だから、親が心配して「もうお前は好きなことをやっていい」と言ってくれたんです。そこで、昔から憧れていた俳優を目指すことにしました。いくつかオーディションを受けた結果、ある芸能事務所に所属することになり、俳優としてデビューできました。

――18〜19歳の頃ですよね。

冷蔵庫マン その事務所に売れている俳優さんがいたこともあり、流れで運良く役をもらうことができました。テレビ東京で正月に放送された山本五十六の生涯を描いた『海にかける虹~山本五十六と日本海軍』という12時間ドラマで、息子役を演じたことが高く評価され、ちょっとしたブレイクにつながりました。

――大抜擢じゃないですか!

冷蔵庫マン そこから、連続ドラマで刑事役を演じるなど、俳優としての仕事が増え、天狗になっていました。「これからすごい俳優人生が待っている」と思っていた矢先、樹木希林さんがブレイクして、その魅力に惹かれてしまったんです。僕もああいう俳優になりたい……そう思い、所属していた事務所を辞めて、樹木希林さんが以前、所属していた文学座の研究所に入ることを決意しました。

超人気劇団での挫折と長期にわたる不調

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(写真:矢島泰輔)

――文学座は岸田今日子や江守徹などが所属していた日本を代表する老舗の劇団です。

冷蔵庫マン もしかしたら、前の事務所で俳優を続けていれば、未来は違っていたかもしれません。でも、どうしても憧れには逆らえませんでした。今思えば、あれが人生の転機だったように思います。

――波に乗っていた俳優生活を、一度手放したということですね。

冷蔵庫マン そうです。文学座研究所には1年在籍しましたが、2年目の契約は更新できませんでした。あとから聞いた話では、合否ギリギリの数人の中から、身長の高い順に選ばれたそうで、僕は落とされたのです。そのショックで、1週間寝込んでしまいました。文学座で名俳優になるつもりだったので……。精神的にまいってしまい、ずっと寝ているような状態で、食事のときだけ起き上がるといった生活でした。

――狭き門だから仕方がないとはいえ、やるせないですよね。

冷蔵庫マン ようやく精神的に回復してきた頃、舞台の仕事を始めました。しかし、それまで寝たきりのような生活を送っていたので、気付かぬうちに筋力が落ちていたんです。24歳のとき、急に思い立ってタップダンスを踊ったところ、だんだん足が痛くなってきました。仕事なので痛みを我慢していたのですが、もう立てなくなるほど。病院で診てもらったところ、「もう元の状態には戻らないかもしれない」と言われました。

――波瀾万丈すぎます……。

冷蔵庫マン そこから6年間、舞台の仕事を休むことになります。ようやく足が回復し、仕事に復帰しようと思ったときには、すでに30歳を過ぎており、まったく仕事がもらえない状況になっていました。

――年齢的にも知名度的にも、また振り出しに戻ってしまったということですね。

冷蔵庫マン 何か仕事をしないといけないと思っていたところ、地元の劇場からお声がかかり、音楽や演劇を通じて生計を立てていました。そのタイミングで仲間から「今後どうするの?」と聞かれ、「良い俳優になりたいんだよね〜」と答えたところ、ワハハ本舗の座長公演舞台のオーディションを紹介してもらったんです。

――ワハハ本舗は久本雅美や柴田理恵など、テレビ番組には欠かせない女性芸人たちが旗揚げした劇団です。

冷蔵庫マン とりあえず受けてみようと思い、シェイクスピア作品の一人芝居で挑みました。すると準主役に抜擢されたのです。それをきっかけに再び俳優の仕事が増えはじめました。当時は小劇場ブームで、年に6本ほどの仕事があり、俳優として食べていけるような時期でした。1990年代のワハハ本舗は勢いがあり、3万5000人規模の公演を成功させるなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

急遽『エンタの神様』に出演! ところが……

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――90年代は、俳優の仕事がメインだったのですね。

冷蔵庫マン そのうち、演劇だけではなく、ワハハ本舗でお笑いのネタ見せが始まります。お笑いは未経験でしたが、せっかくの機会なのでチャレンジしてみようと思いました。ダンボールでさまざまなキャラクターを作ってみようと決め、全部で36通り制作したんです。さすがにすべては覚えていませんが、その中で一番ウケたのが「冷蔵庫マン」でした。そこからキャラクターが定着していった感じですね。もともとネタを考えるのは好きなので、アイデアがどんどん湧いてきました。

――俳優としての活動は順調だったのでしょうか?

冷蔵庫マン 「飯塚俊太郎」名義で活動していましたが、2000年代に入ると俳優の仕事が減っていきました。それならいっそのこと芸人に本腰を入れようと思い、「冷蔵庫マン」への改名を決意しました。ところが、事務所からは「ふざけるな! なんでそんなトンチンカンな名前にするんだ」と怒られてしまいます。ところが、冷蔵庫マンとして定期的にテレビに出演するようになると、芸名の変更が正式に認められました。

――00年代のお笑いブームの頃は、よくテレビに出ていたイメージがあります。

冷蔵庫マン いえ、それは誤りです。いつも通りネタライブに出ていたある日、知らない方に声をかけられて「今度『エンタの神様』(日本テレビ系)があるんだけど、出てみない?」と誘われ、出演が決まりました。声をかけられてからわずか1週間後に収録という弾丸スケジュールでした。ところが、いざ放送されると、僕が登場した瞬間に視聴率が急落し、僕の出演後にはまた上がるという現象が起こったんです。

――まぁ、よくある話では?

冷蔵庫マン しかし、当時は視聴率至上主義の時代でしたから、それが原因で2年間ほどテレビ出演を禁じられてしまいました。

――えぇっ!?

冷蔵庫マン その後は芸人としての活動よりも、俳優としての仕事がメインになりました。ドラマや映画にも出演しましたが、芸人として『あらびき団』(TBS系)に呼んでいただくこともありました。ただし、冷蔵庫マンのネタは使わないというルールを定めていたため、新たなキャラクターを演じていました。

――そのときはどのようなネタを披露していたのでしょうか?

冷蔵庫マン 飯塚俊太郎名義で、お餅のキャラクターとして出演していました。

ノブコブ吉村からドロップキックを受ける!

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――そして、今に至るまで長きにわたり、活動を続けられてきました。近年、地下芸人ブームが来ていますが、冷蔵庫マンさんご自身は、ご自分のことを地下芸人だと思いますか?

冷蔵庫マン 見た目だけで言えば、地下芸人でしょうね。格好はまさに飛び道具みたいなものですから。地下芸人といえば、テレビに出ずにライブ活動をしている人たちというイメージがあると思いますが、今はむしろ「地下芸人」という枠に当てはめないと、売れていない芸人がテレビに出にくくなっている気がします。

――どういうことでしょうか?

冷蔵庫マン 売れていない芸人は、地下芸人という枠でないとテレビに出られません。そういうのが、最近のテレビ業界だと思います。一番かわいそうなのは、ライブにたくさん出演しているのに、地下芸人としても認識されていない若手芸人たちですね。

――冷蔵庫マンは地下芸人ブームに、うまく乗ったという感じでしょうか。ちなみに、ダンボールの冷蔵庫はずっと同じ型を使っているのですか?

冷蔵庫マン 現在使っているのは10代目の冷蔵庫ですね。ひとつ前の冷蔵庫は5年ほど使っていて、そろそろ限界かなと思い、新たに作り直しました。冷蔵庫ひとつ作るのに、大体1か月ほどかかります。ちんたらちんたらと作っていく感じです。毎回、前のモデルでの反省点を踏まえて改良しているので、どんどんクオリティは上がってきています。

――本物の家電のような話をしていますね。

冷蔵庫マン ただ、消耗品なので、テレビ出演があると傷みが激しいんですよ。平成ノブシコブシの吉村崇さんにドロップキックされたこともあり、なかなか酷使されております(笑)。でも、あの映像はけっこう使われていて“おいしい”経験でした。とはいえ、テレビに出るたびに冷蔵庫がどんどんボロボロになっていきます。一度、「冷蔵庫マンをプールに落とす」という企画があったのですが、プール側から「ダンボールは不衛生だからNG」と却下されたこともあります。

――そう考えると、最近も冷蔵庫マンをテレビでお見かけすることが、ちょくちょくありますよね。

冷蔵庫マン トム・ブラウンの街歩き番組で、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)内の企画「スベリ-1GP」で準優勝を果たした、ゆきおとこと一緒に東京駅の地下にただひっそりといるという企画に出たこともあります。「地下芸人」と「東京駅の地下」をかけていたのだと思います。

――マニアックなお笑い好きにしか伝わらないのでは?

冷蔵庫マン ほかにも、『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)に出演したときのVTRを毎週のように使ってもらいました。2024年は7回くらいテレビに出ましたね。2010年代は俳優の仕事がほとんどなくなっていたため、ほぼ冷蔵庫マン一本で活動していました。

山形県でレギュラー番組が放送開始!

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――全然売れてるじゃないですか!

冷蔵庫マン 僕は一度もブレイクしたことがないので、これからブレイクしたいと思っています。最近では、山形のケーブルテレビ「ZEXA TV」で、『冷蔵庫マンのできたかな?』というレギュラー番組が始まりました。お題をもらって、26分間ノンストップでダンボール工作をするという番組で、「完成するのは芸術か、ゴミか、それともまさかの◯◯!?」というコンセプトになっています。

――冠番組も持っているんですね。これは子どもたちが見ているのでしょうか?

冷蔵庫マン 多分、誰も見ていないんじゃないですかね。山形県でしか視聴できないので、そもそも見ている方自体が少ないと思います。それと、僕はYouTubeチャンネルもやっています。話題になる前の映画や試写会で観た公開前の作品をレビューする企画を行っています。

――100回再生されたらいいほうですね……。

冷蔵庫マン 基本的には映画関係者が見ているくらいのようです。でも、「映画レビュー見ましたよ」と関係者の方に言われることが多いですね。

――今後の展望についてはいかがですか?

冷蔵庫マン 今、「70歳までに叶えたい夢」をノートに書き出しています。たとえば、「広瀬すずさんと共演する」「バラエティ番組のレギュラーを持つ」「雑誌『BRUTUS』(マガジンハウス)で特集される」「ブレイクする」といった、なかなか難易度の高い夢ばかりです。基本的には誰かと共演したいというような内容が多いですね。ただ、山形でレギュラー番組を持てたので、「レギュラー番組を持つ」という夢はすでに叶いました。ほかにも、キャパ40人ほどの会場で単独ライブを開催し、満員にできたことも夢のひとつの達成でした。

――無理難題ばかりかと思いきや、意外と叶えてますね。

冷蔵庫マン 「LINEを100人と交換する」という、ちょっとした目標も書いてあります。「広瀬すずさんと共演する」は、広瀬さんが出演する映画のオーディションで最終審査まで残ったので、かなり惜しいところまで行けました。ほかにも「“国宝”と呼ばれたい」という夢もあるのですが、最近は映画『国宝』がはやっていて、僕が白塗りにしている様子を見て「国宝みたい」と言われることが増えたんです。それも夢が叶ったということになると思います。

――いまのところ、いくつの夢が叶ったのですか?

冷蔵庫マン 5個叶いました。芸人のニューヨークさんと共演するという夢もそのひとつです。以前テレビで、僕の発言をおもしろおかしくフォローしてくれて、「名言出た!」なんて言ってくれたんです。普通のことを言っただけなんですけどね(笑)。それがすごくウケたので、彼らにはとても感謝しています。最近、FANYチャンネルの新番組『アングラブレイク ー売れない世界をぶち破れ!ー』で一緒になったのですが、直接話すような共演ではなかったので、それはノーカウントにしています。いつかちゃんと共演できたらいいなと思っています。

――まだまだ芸人としては期待できそうですよね。

冷蔵庫マン 60歳を過ぎると、世の中がどういうものか、ある程度わかってきますよね。だからこそ、「これをやりたい」という目標を常に持っていたほうがいいと思っています。まだすべての夢が叶っていないからこそ、「もっとがんばらなきゃ」と前向きになれるんです。そして、もしブレイクできたら、目標にしている70個の夢は全部叶うようになっているんです。だから、今後の最大の目標は、やっぱり「ブレイクすること」ですね。

元相方は今「赤ちゃん」!? エンジンコータロー インタビュー

(構成=山崎尚哉)

冷蔵庫マン(れいぞうこまん)
1961年5月2日生まれ。千葉県出身。本名は飯塚俊太郎。1990年にワハハ本舗に参加し、若手団員で構成されたオホホ商会に所属しながら、映画『鮫肌男と桃尻女』などに俳優として出演。2005年に冷蔵庫マンというキャラクターが誕生し、芸人としての活動を本格化。『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の人気企画「おもしろ荘へいらっしゃい!」と同時に行われる「やば荘」などにも出演。俳優としては『孤独のグルメ』(テレビ東京系)に出演している。

山崎尚哉

1992年3月生まれ、神奈川県鎌倉市出身。レビュー、取材、インタビュー記事などを執筆するほか、南阿佐ヶ谷でTALKING BOXという配信スタジオを運営中。テクノユニット・人生逆噴射の作曲担当で別名DJ.YMZK。

X:@yamazaki_naoya

山崎尚哉
最終更新:2025/08/15 22:00