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糸屋義典、林裕也、奥川恭伸…一躍スターダムにのし上がった! 甲子園で覚醒した球児と沸かせたスター選手

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毎年新たなドラマとスターを生み出す甲子園。(写真:Getty Imagesより)
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甲子園は、無名の選手を一夜にしてスターや全国区へと押し上げる夢の舞台である。

だが、その夢のような魔法は決して偶然だけで発動するものではない。

地道な努力、確かな準備、そして舞台に立った瞬間に実力を出し切る胆力……。それらを備えた選手にだけ、覚醒の瞬間が訪れるのだ。『データで読む甲子園の怪物たち』(集英社)で話題の著者が、著作とは別視点で「甲子園の怪物たち」を分析する。

“無名”から“主役”へ、甲子園が与える光と影

 高校野球の聖地・甲子園には、ただのスポーツ大会を超えた「劇場性」がある。なかでも毎年のように生まれるのが、「大会前は無名」だった選手が、一躍スターダムにのし上がるドラマだ。

 数々の球児が、たった数試合の活躍によって、新聞の一面を飾り、名乗りを上げてきた。しかし、その“覚醒”は偶然なのか、必然なのか。そして、あの一夏の熱狂は彼らにとって“出発点”だったのか、“ピーク”だったのか……。

高卒野手のスター選手はなぜ生まれる?

大会No.1投手がさらなる覚醒! “評価済み”の選手が超えてきた期待値

 それに、甲子園で注目されるのは無名の“覚醒者”だけではない。大会前から「ナンバーワン投手」と評されていた本命投手が、その評価をさらに上回るパフォーマンスで“覚醒”を果たすこともある。

 こうした選手に共通するのは、「評価に甘えない姿勢」と「真の完成度」だ。むしろ、高い注目を浴びるからこそ、プレッシャーも大きく、打者からのマークも厳しくなる。その中で、期待以上の内容を見せたとき、“トッププレイヤーの進化”が如実に現れる。

 ここでは甲子園の歴史に名を刻む活躍を見せた、3人の選手たちを紹介していきたい。

強打の“扇の要”が放った輝き…糸屋義典(駒大苫小牧)

 2004年夏、初の全国制覇を成し遂げた駒大苫小牧。その中で、注目を集めたのが捕手・糸屋義典だった。

 大会前の知名度は決して高くなかったが、大会中は打撃で一気に“覚醒”。チームの打撃陣は10打席以上立った打者で、4割以上の打率を記録した選手が7人(糸屋義典・桑島優・林裕也・沢井佳之・鈴木康仁・佐々木孝介・五十嵐大)もいた。

 加えて、全試合で二桁安打を記録しており、チーム打率(.448)は歴代最高記録である。打線の中心にいた糸屋は、歴代最高となる大会通算打率7割はもちろんのこと、決勝戦であわよくばサイクルヒットを達成する勢いの活躍を見せた。

 最終的には、打率.700、1本塁打、7打点を記録し、強打の捕手として全国制覇に大きく貢献した。

 糸屋は典型的な“甲子園が生んだ名打者”として、その年の象徴的存在となり、後に大学野球でも堅実な守備型捕手としてプレーを継続。あの夏の甲子園で証明し、評価の波を生んだ。

堅守と勝負強さを活かして連覇を支えたチームの“潤滑油”…林裕也(駒大苫小牧)

 糸屋と同じく駒大苫小牧の優勝メンバーだった二塁手・林裕也は、決して派手な選手ではなかったが、甲子園で一気に知名度をあげた。

 2004年夏の甲子園、準々決勝。相手は優勝候補筆頭・横浜高校。マウンドには同大会屈指の右腕・涌井秀章(現・中日ドラゴンズ)、そして打線には打率7割超を記録していた石川雄洋(元・横浜DeNAベイスターズ)らが並んだ。

 名門中の名門との対戦に、誰もが注目したこの一戦で、林が主役に躍り出ることになる。試合前まで林は攻守で安定感を見せる“縁の下の力持ち”として、目立たぬが堅実なプレーが評価されていた選手だった。だがこの試合で林は、一気にその存在感を全国に知らしめることになる。

 初回、涌井の立ち上がりを攻める中で、林が放ったのは先制のホームラン。重苦しい雰囲気を一気に払拭する一撃に、アルプススタンドが沸いた。その後も林のバットは止まらない。単打、二塁打、三塁打……。試合を通して林はなんとサイクルヒットを達成し、5打点の大暴れ。中でも7回二死一二塁、1点を返された直後に放ったタイムリーは、まさに“勝負を決める一打”だった。そして、その勢いのままチームは甲子園を制した。

 翌年は、前年にチームを優勝へ導いた経験を持つ林がキャプテンに就任し、中心選手としてチームを牽引。林は攻守の安定感に加えて、キャプテンとしての強い責任感と統率力を発揮。試合中の声かけや、ミスの後の立て直し、ベンチの雰囲気づくりにおいても、まさに“精神的支柱”の役割を担った。前年度の経験者としての自覚が、他の選手たちに安心感と自信を与えた。

 その結果、翌年は林を中心にした内野守備と投手陣の安定感を武器に、「守り勝つ野球」へと舵を切り、夏連覇を達成したのだ。

 林の甲子園の成績は以下の通り。

2004年:打率.556、1本塁打、8打点
2005年:打率.556、1本塁打、5打点

 いずれも高い水準で安定した成績を残しており、連覇には欠かせない選手として活躍を見せた。

令和の「甲子園スター」の象徴的存在…奥川恭伸(星稜)

 甲子園という舞台は、ときに選手の実力だけでなく、空気すら味方につけた者が支配する場所になる。審判、観客、メディア、すべてを巻き込む“主役”が誕生するのだ。その典型が、2019年夏、星稜高校のエース奥川恭伸(現・東京ヤクルトスワローズ)だった。

 奥川は大会前から「No.1投手」として注目されており、1回戦から大きな視線を集めていた。そんな中で起こったのが、3回戦・智弁和歌山戦での覚醒だった。延長14回をひとりで投げ抜く。奪三振は9回まで17奪三振、最終的には23奪三振を記録した。

 この試合がターニングポイントとなり、それまで奥川ひとりに頼っていたチームが打線ごと覚醒し始める。熱戦をきっかけに、甲子園全体のムードが星稜寄りへと傾いた。

 準々決勝以降、奥川がツーストライクから投じる“外角ぎりぎり”のストレートは、ボール1個分外れていてもストライク判定されるような“空気”さえ生まれていた。

 奥川の数字は、その支配力を証明するに十分なものだった。

・1回戦~準決勝:防御率0.00、投球回数32回1/3、被安打10、奪三振45、四死球5
・奪三振率:12.5/イニング
・イニング平均球数:12.39(大会2位)

 この「12.39」という数字は特筆に値する。通常、奪三振数が多ければ球数は自然と増える。しかし奥川は、高い奪三振率を保ちつつ、四球も少なく、効率的にアウトを重ねていた。しかも、死闘となった延長14回の智弁和歌山戦を含めての数字である。

 同大会の球数ランキングで1位となったのは履正社のエース・清水大成の594球だが、奥川は決勝前までで512球に抑えていた。明らかに効率が良く、支配力とクレバーさを兼ね備えた完成度の高い投球だったことがわかる。

 こうして奥川は、数字でも、存在感でも、2019年の甲子園の主役となった。球場の空気すら味方に変える投球は、まさに“スタジアム全体をコントロールする力”を持っていた。

 延長戦の末に勝ち上がるドラマチックな展開。そこからチームが打線ごと勢いに乗るストーリー。そして、大会屈指の名門を牽引するエースという背景。すべての条件が揃い、奥川恭伸という名前が、ひと夏で全国区の代名詞になった瞬間だった。

甲子園は評価の終点ではない

 糸屋、林、奥川、彼らに共通するのは、「甲子園で生まれた評価に、自分を合わせにいかなかった」ことだ。一度スポットライトを浴びれば、その後は何をしても比較され、期待され、追われ続ける。それでも彼らは、プレースタイルを変えることなく、自分の強みを信じて歩み続けた。

 甲子園は「人生の答え合わせの場」ではない。むしろ、その後の歩みを決める“スタートライン”なのだ。

 その意味で、「甲子園で覚醒した選手」は単なる象徴ではなく、「変化に対応し、成長を続ける選手たち」の代名詞であるとも言えるだろう。

25年春夏連覇を狙う名門・横浜高校の現在地

(文=ゴジキ)

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ゴジキ

野球著作家・評論家。これまでに『巨人軍解体新書』(光文社新書)や『戦略で読む高校野球』(集英社新書)、『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブン、日刊SPA!、プレジデントオンラインなどメディアの寄稿・取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。

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ゴジキ
最終更新:2025/08/14 12:00