『創聖のアクエリオン』旋風の裏で壮絶なバッシング…少女を救った「あのフレーズ」

「一万年と二千年前から愛してる」
誰もが知る名フレーズと共に当時、15歳でアニソン界に降臨した少女AKINO。その歌声は数々の出会いと試練を経て、いま新たなステージを迎えた。
名作との奇跡的な出会いから始まったそのキャリアは、国民的ヒットとともに輝きを放つ一方で、バッシングや挫折による暗闇もあったという。それでも「自分を愛すること」から再び歌に立ち上がり、仲間とファンに支えられて“愛を届けるシンガー”へと進化した。
アニソンからスタートし2025年でソロデビュー20周年、その喜びと苦悩をAKINOが、語り尽くす。
『マクロスF』も水樹奈々もももクロも。“あの曲”のしほりは今
アメリカで生まれ育った幼少期、日本と繋いだ『ドラゴンボール』
――AKINOさんは2025年にソロデビュー20周年を迎えられました。まず、これまでのキャリアを振り返って、デビュー当時のエピソードからお教えください。
AKINO デビューを振り返ると、本当に奇跡的な出会いだったと思います。私はもともと、兄妹で構成されたコーラスグループ・bless4として13歳の頃にデビューしました。それで私が14歳の時、音楽家の菅野よう子さんが私たちのライブを見に来てくださって。
当時、菅野さんはbless4のメンバーで私の弟のAIKIのハイトーンボイスを気に入ってくださって、『創聖のアクエリオン』への起用を考えていたそうです。ただ、AIKIがちょうど変声期で声が出なくなってしまって。そこで、グループにいた姉と私も一緒に「創聖のアクエリオン」のオーディションを受けることになったんです。
私自身は、その頃は自分に自信がなくてすごくシャイで、自分の意見もあまり言えないタイプでした。オーディションの直前に音源をいただいてから必死になって寝ずに曲を覚えたのですが、当日は緊張しすぎてほとんど飛んでしまって……。でも、唯一サビだけはちゃんと歌えました。
それが菅野さんの心にヒットしたみたいで、「もうAKINOちゃんにしよう」と言っていただいたんです。正直、それでも自分がこの曲を歌うなんて絶対無理だと思っていました。でも、家族が「これは絶対いけるからやってみよう」と背中を押してくれて、このチャンスを掴むことができたんです。
――AKINOさんは当時から、アニソンや日本のポップカルチャーに詳しかったのですか?
AKINO いえ、アメリカから帰国したばかりで、アニソンの世界はあまり詳しく知りませんでした。「アニメのテーマ曲を歌うんだ」という、それぐらいの知識しかなくて。でも、後から考えると、すごく縁があったんだなと思います。私はアメリカで生まれて育ったのですが、6〜7歳の頃に、日本にいるおばさんが『ドラゴンボール』のビデオテープを送ってくれたんです。それが私にとって、日本のアニメとの最初の出会いでした。
その頃は日本語も全然喋れなかったんですけど、言葉がわからなくても通じる熱さや家族や仲間を守る大切さは、悟空たちから学んだ気がします。アメリカのカートゥーンも見ていましたが、日本のアニメの方がメッセージ性があってダントツで引き込まれましたね。
――『ドラゴンボール』が、AKINOさんにとっての“ジャパニメーション”の原体験だった。
AKINO そこから同じく鳥山明先生の『Dr.スランプ アラレちゃん』にもハマりました。だから、日本に帰ってきた時は、アニメで見たままのサイズの家や交番を見て、「物がかわいくてちっちゃい!」ってすごくびっくりしたのを覚えています(笑)。兄のことを名前や「brother」ではなく「お兄ちゃん」と呼ぶようになったのも、アニメの影響です。
菅野よう子に見出されたキャリア「音符をおにぎりに例えて」指導
――そんな中、15歳で『創聖のアクエリオン』という大ヒット曲と共に、アニソンシンガーとしてソロデビューを果たします。
AKINO アニソンと出会って一番すごいなと思ったのは、仲間が増えたことですね。アニソンイベントに出演することで、堀江美都子さんや水木一郎さんといったレジェンドの方々や、同世代のアーティストともたくさん出会うことができました。
アニソンの強みは、歴史的な名曲が今も若い世代に歌い継がれていることです。アニソンシンガーはコラボすることも多いですが、誰がどの曲をコラボして歌っても、みんなが喜んでそのアニメの記憶を蘇らせることができる。その上で、ファンの皆さんは一人ひとりのアーティストをちゃんとリスペクトしている。その文化が本当にすごいなと思います。
――アニソンシンガーとして多くの仲間と出会う中で、やはりデビューのきっかけとなった菅野よう子さんの存在は大きいと思います。菅野さんからはどのような影響を受けましたか?
AKINO 菅野さんは、私にとって本当に大きな存在です。初めてお会いしたときはすごくフレンドリーで明るくて、まさにアニメのキャラクターみたいでしたが、いざ音楽のことになると雰囲気が180度変わるんです。オーケストラを指揮する姿を見た時は鳥肌が立ちましたね。楽器一つひとつの音を全て把握していて、誰かが少しでもミスをすると「そこ、違うよ」とすぐに指摘する。その姿に「だからこんなに素晴らしい曲が作れるんだ」と感動しましたし、本当に音楽を愛している方なんだなと感じました。
レコーディングでは、いつも私のことを信じて「AKINOちゃんが歌いたいように歌って」と言ってくださいます。AIKIと一緒に歌った「月光シンフォニア」(アニメ『アクエリオンEVOL』エンディング曲)のレコーディングですごく難しいリズムに苦戦した時も、一切怒らず、休憩時間に音符をおにぎりに例えて丁寧に教えてくれました。その愛情深い姿がとても印象に残っています。その人の可能性を信じて、最後まで応援してくれる。その姿勢から学んだことは多く、今の私がボイストレーニングで生徒に接する時の考え方にも繋がっています。
メンタル崩壊から救い出したあのフレーズの意味
――華々しいデビューを飾られたAKINOさんは、その後も数多くのアニソンを手掛けるなど、活躍を続けています。一方で、20年のキャリアの中では苦しい時期もありましたか?
AKINO そうですね……。『創聖のアクエリオン』という曲はみんなに知られているのに、歌っている本人、私が全く知られていなかった時期がありました。初めてNHKのアニソン番組で歌わせていただいた時には、みなさんが抱いていたイメージと私のルックスが全然かみ合っていなかったようで、ネット上でひどいバッシングに合ったこともあります。「不細工」「整形しろ」「声はいいのに残念」とか……。
それでも最初のうちは頑張れてたんですけど、そういった言葉を見続けるうちに自分のメンタルが崩れてしまって。ステージに立っても、「お客さんはきっと自分のことを受け入れてくれていない」という怖さから、歌えなくなってしまったんです。特に『創聖のアクエリオン』を歌う時になると緊張で唾が出てしまって声が出ない状態になってしまって……。そんな状態が15歳頃から3年近く続きました。
――それは壮絶な経験だったと思います。どのようにして、その苦しみを乗り越えられたのでしょう?
AKINO ある時、ふと「私は自分を愛していなかった。そして、本当の意味で音楽を愛していなかったんだな」と気づいたんです。他人の評価ばかりを気にして、音楽を心から楽しんで、お客さんに届けられていなかった。音楽は「音を楽しむ」と書くのに、私はずっと苦しい音楽を届けていたんだな、と。
そう思ったとき、『創聖のアクエリオン』の歌詞を改めて読み返したんです。「一万年と二千年前から愛してる」という、あの有名なフレーズ。これまで何千回、何万回と歌ってきたはずなのに、その本当の意味を理解していなかったことに気づきました。あれは、リスナーに向けた愛の歌であると同時に、自分自身に向けた「自分を愛しなさい」というメッセージだったんだ、と。
自分が自分を愛して、この想いを届けたい。そう思えるようになってからは、他の人がどう思うかは関係なく、「自分が何を届けたいのか」に集中できるようになりました。そうすると、不思議とお客さんも楽しんでくれるようになり、私も心から歌うことを楽しめるようになったんです。「これだ」って、思いましたね。今でもトラウマが全く消えたわけではないですが、今は歌で”愛”を伝えたいという想いの方が、ずっと強いです。
後編では、AKINOさんから見た世界のアニソンシーンの現状と、今後のビジョンについて話を聞いていく。
(構成=須賀原みち)
AKINO(あきの)
歌手。アメリカ・ユタ州出身。卓越した歌唱力を誇る兄妹コーラスグループ「bless4」のメンバーとしてデビュー。2005年、15歳でテレビアニメ『創聖のアクエリオン』の同名オープニングテーマでソロデビュー。同曲はミリオンヒットを記録し、一躍その名を知られる。以降も「AKINO from bless4」として『アクエリオンEVOL』『艦隊これくしょん -艦これ-』など、多くのアニメやゲームの主題歌を担当。2025年にソロデビュー20周年を迎え、近年は音楽活動に加え、アップサイクルファッションの制作も手掛けるなど、多彩な才能を発揮している。
◆公式SNSなどはこちらから:https://linktr.ee/bless4