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舞台化も決定! 1館から賞レース総なめへ…自主映画『侍タイムスリッパー』安田淳一監督に聞くヒットへの「緻密な戦略」と「目の前のチャンス」

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 インディーズ発の映画『侍タイムスリッパー』が昨年8月17日に公開されて11年。池袋のミニシアター「シネマ・ロサ」1館から全国300館規模に広がり、“侍タイ旋風”を巻き起こすと、興行収入11億円を突破。7月24日には優秀なSF作品に贈られる第56回星雲賞を受賞するなど、話題になり続けている。

自主制作で興収10億円!

 本作は現代にタイムスリップした幕末の武士・高坂新左衛門(山口馬木也)が、京都の時代劇撮影所で「斬られ役」として生きていく様を描いたコメディ映画。人情味溢れる人物たちが繰り広げるコミカルな会話や、笑って泣けるテンポの良いストーリー展開が幅広い支持を集め、「第48回日本アカデミー賞」最優秀作品賞、第67回ブルーリボン賞や前述・星雲賞など数々の賞を受賞している。コミカライズや宝塚歌劇団による舞台化など、映像の枠を飛び出たメディアミックスも広く進行中だ。

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映画『侍タイムスリッパー』より

 数々の伝説を打ち立て、長く愛されるコンテンツの誕生は“奇跡”ではなく、安田淳一監督いわく「めちゃくちゃ狙って作った」もの。背景には監督の並々ならぬ情熱と緻密な計算だけでなく、そのキャリアも大きく貢献している。公開から11年以上経ったいま、安田監督に改めて「ビジネスとしての映画づくり」と「次作」についても話を聞いた。

40歳から始めたチャレンジ、一度は諦めた

 安田監督が映画制作を始めたのは大阪経済大学在学中だが、高額機材を揃えるのが難しかったこともあり、「映画をつくる夢は一旦置いた」という。その後ブライダル関連の撮影やイベントの演出など、求められるまま仕事に奔走している間に15年ほどが経った。

 転機が訪れたのは、40歳ごろのことだ。

 知人から手伝いを頼まれた映画コンテストで、審査員が作品に対峙する姿を目にした安田監督の胸には、むくむくと「羨ましさ」が湧いた。「発注された映像ではなく、批評されたい」。

 そして出来上がったのが短編映画『SECRET PLAN』(2007)で、公募型の映画コンテスト「横浜映像天国」にて審査員賞と観客賞を受賞した。その後47歳にして映画製作・配給会社「未来映画社」を立ち上げ、初の長編『拳銃と目玉焼』(2014)で商業デビュー。『侍タイ』は、一つずつ課題をクリアして積み上げた長編3作目だ。

「ある時聞いたのが、『売らなあかん映画』じゃなくて『売れる映画を作れ』と。デビュー作はシネコンでの上映を目標にして、叶ったんだけど、すごい赤字になっちゃった。だから次の『ごはん』(2017)は黒字化が目標。ただ、達成しても制作に4年もかかってしまい、制作期間と収益のバランスが悪い。スターを使って商業映画の予算規模でやらんと、仕事としては難しいのかなと思ってたんです」(安田淳一監督、以下同)

そんな時、世間を賑わせていたのがインディーズ映画『カメラを止めるな!』(2018年)だった。「これや」――。

『カメ止め』の再現を徹底的に「狙った」

 安田監督は、『カメ止め』がヒットした秘密を読み解くことから始めた。まず参考にしたのは、作品の方向性だ。

「きちっとお客さんが笑って泣いて感動するということ。インディーズのノリのおバカは、シネコンでは受けないだろうなと思っていたところへ、『カメ止め』は、メジャーラインに乗る七転八倒を見せてくれた。だから、自主映画といえども、ヒットのためにはコメディ部分が広く受けるものにせなあかんと確信がもてた」

 次に話題化。『カメ止め』のような革新的な脚本を書くのはハードルが高くても、「笑わして拍手してもらう」ことなら、「戦略と運があればいける」と考えた。そんな安田監督の前に、まさしくチャンスが転がり込む。時代劇をテーマにしたコンテストへの応募だ。

「手近で作ったものは見抜かれる。自主映画で時代劇って、ものすごく難しそうでしょ。難しいことに取り組んで、ちゃんと面白くできたら、その背景込みでお客さんに喜んでもらえるはずや」

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映画『侍タイムスリッパー』より

 難題への挑戦にも、第一にあるのは「お客さんが喜んでくれるかどうか」。それには、商業カメラマンだった自身のヒストリーが大きく影響する。

「ブライダルカメラマン時代の師匠に言われたのは、かっこいい画や綺麗な画を撮れたら上手じゃなくて、お客さんが喜ぶ画を撮るのが本当のプロなんだよと。それ以来、誰のために撮ってるかはいつも考えていて、僕の理想とする映画は、見終わったら『よっしゃ!』って、現実と戦える元気が出るようなものなんです」

全部が「ワンチャンス」につながった

 脚本は、役所広司が侍役でタイムスリップするCMと“斬られ役”という独自アイデア、さらに撮影所を舞台にした映画『蒲田行進曲』(1982)からヒントを得て、膨らませた。一方で資金繰りはギリギリだったが、「クラファンはイヤやった」という監督には矜持がある。

「『ごはん』を作った時、人に言われて(クラファンを)やったけども、サービス精神で返礼をやりすぎて、結局意味がなくなった(笑)。インディーズ映画は身銭を切って初めて、必死になる。お客さんと向き合う、という当たり前のことができるようになる。結局鑑賞代は払ってもらうわけやしね。ラーメン屋さんが、美味しいものをつくって喜ばれるのと同じ」

 愛車を売り払い、チラシ作りもメール対応も自ら行なうなど八面六臂の大奮闘。作品が完成した時の残高はわずか7000円だったというが、ギャラやロケ弁など、俳優や現場でかかるお金はケチらなかった。安田監督は「ワンチャンスだった」と振り返る。

「脚本を見て連絡をくれた東映のプロデューサーがいてね。『可能な限り勉強してやる』って、提示された金額は2000万超え。実は直前にマンション買って、手元には1500万円ぐらいしかなかったんだけども、そのPが『わし、年末で退職やから』と言う。そんなん、なんとかしてやるしかないやないですか」

 千載一遇の好機の陰にいたのは、『ごはん』に出演し、2021年に亡くなった「日本一の斬られ役」と名高い俳優・福本清三さんだった。

「福本さんが生前、東映さんに僕のことを『アイツなんとかしてやれよ』と、気にかけてくれはってたんですよね。で、福本さんが言うてはったし、脚本もなかなかおもろいしって中で、幸運が幸運に転んだっていうかね」

 東映京都撮影所も「この脚本なら」と、コロナ禍で空きが出ていた撮影所を特価で貸してくれることになった。キャスト面でも幸運が舞い込んだ。実は主役・山口馬木也さんは、当初時代劇界のスター俳優・風見恭一郎役で、主役の座は未定。そこへ、安田監督は時代劇に出ていた冨家ノリマサさんを偶然見かけたのだ。

「冨家さんほど風見役にピッタリな俳優はいない。そこで、山口さんを主役にしたらピタッとパズルが完成した。実際に山口さんは高坂新左衛門本人にしか見えんかったし、僕以上に役作りに取り組んでくれた。山口さんがいてこそ『侍タイ』は出来たと思ってます」

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映画『侍タイムスリッパー』より

さまざまな幸運を見逃さず、「10%ぐらいはヒットの確率があるやろ」と踏み出したクランクインは2020年7月のことだった。

池袋「シネマ・ロサ」での上映が絶対条件だった

 そして快進撃のスタートを切った池袋シネマ・ロサは、『カメ止め』が単独劇場上映を始めた劇場の1つである。

「お客さんの絶対数が東京は段違いだし、インディーズでヒットした作品をシネコンに繋げられるのは、日本中ロサだけ。客席が200席近くあるロサを連日満員にすることが、自主映画をメガヒットさせる唯一かつ絶対の条件でした」

 公開後は狙った以上の反響で、上映館も全国に拡大した。ただし、制作費300万円で興収32億円の『カメ止め』と比較すると、『侍タイ』は制作費2600万で興収11億円と3倍近い興収の開きがある。それでも観客動員は『カメ止め』(220万人)の半分には達するという。

「なんで動員に対して興収がいかへんのかなと思ったら、時代劇は観客にシニアが多くて、鑑賞料金が安いんですよ(笑)」

 ビジネスマンらしい着眼点で笑いを誘いつつも、ロサでの連続上映日数は『カメ止め』が258日だったところ、『侍タイ』は371日と4か4カ月ほど長い。また前述のとおりインディーズ映画初の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞するなど、『カメ止め』を超えた記録を残しているのも事実だ。

 宝塚による舞台化を伝えた安田監督のXには大きな反響が寄せられ、「どう化けるか楽しみ」と言う安田監督は、現在『侍タイ』のスピンオフを制作中とのこと。ちなみに今後の夢の一つは、「いつか寅さんのような、かつての日本にあった人情系作品を令和に蘇らせること」だそうだ。

『怪獣ヤロウ!』NY進出の快挙

(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)

 

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2025/09/24 22:00