映画『爆弾』 怪演・佐藤二朗と対峙する山田裕貴の存在感「急に2人で笑いだして…」【永井聡監督インタビュー】

映画『爆弾』が10月31日に全国公開される。主演の山田裕貴(35)は、連続爆破事件を予告する中年男・スズキタゴサク(佐藤二朗、56)との“爆弾探しゲーム”に真っ向から挑む警察官・類家役を担った。本編の半分以上が閉鎖的な取調室で心理戦が繰り広げられるなか、物語に緊張感を与えているのは、鋭さの内に不気味さをたたえながら、ふとした時に人間らしさを覗かせる山田の演技だ。「この役は山田しか考えられなかった」という本作の永井聡監督に、山田の存在感を語ってもらった。
俳優・山田裕貴にしかない「リアリティのもたせ方」
「良識を揺さぶるやり方、俺には通用しないから」
「いずれ後悔するよ、俺に会っちゃったこと」
本編内で類家は、爆弾の場所を予告し、刑事たちを翻弄する謎の中年・スズキタゴサク(佐藤二朗)にニヤリと言い放つ。そのセリフだけで山田は、類家がとても警察とは思えない“狂気”や“不気味さ”をもつ人物であることをわからせる。警察は感情を切り離して任務をこなすのが使命であるはずなのに、“コイツは何か違う”と思わせる圧倒的な説得力。
本作でメガホンを取った永井聡監督は、山田について「役にリアリティを与えてくれる人」だと語る。倫理観がぶっ壊れたタゴサクのセリフには、命の“優劣”や社会的役割への挑発など、通常“言ってはいけない”とされる内容が散りばめられているが、「良心のシンボルでもある刑事たちを対峙させることで、単純にタゴサクが面白がって悪意を撒き散らす映画にはしたくなかった」という永井監督の構想に、内に静かな青い炎を燃やす山田はピッタリハマった。
リアリティの基盤となるのは、山田の突き抜けた「真面目」さだ。ドラマ評論家の吉田潮氏は、『志村けんとドリフの大爆笑物語』(2021年)で志村さん役を演じた山田のストイックさを挙げる。
「リスペクトを持ちつつ、かけ離れないように研究したことをうかがわせた。実在した人の役はモノマネに走りがちだけど、山田さんはちゃんと抑制して“猿真似”ではなく、志村さんの若い頃を知らない人たちにも、こんな感じだったんだろうなあと思わせた」(吉田氏)
「サンキュ!」(ベネッセコーポレーション)2025年9月号で山田は「いろいろなことに『もっとこうあるべき』という前提がない」としていたが、先入観がないからこそ、自分のなかに役が入り込むまで努力する。そしてそれは、『爆弾』でも同様だ。エンタメ情報サイト「シネマカフェ」によれば山田は、類家の生活習慣として、帰宅後はスーツを脱ぎ捨てるタイプだと想像力を働かせ、わざわざ衣装のスーツにシワを揉み込むほど徹底したこだわりを見せたという。
永井監督が続ける。
「例えば、脚本上カットした原作のセリフについて、入れたいと山田くんから提案されたことがあります。“編集でカットになっても、実際にそのセリフを言うことで演技が変わる”と。類家だったらこういうことが内から出てくるだろう、ということが反射で出てくるまで役作りをするんです」(永井聡監督、以下同)
山田の“不気味さ”はどこから来るのか
役になりきるのが俳優という職業だが、山田にしか出せない「リアリティ」は、「普通の人になれる」ということだ、と永井監督は言う。監督が「街なかで、誰にも気づかれないぐらいの雰囲気まで持っていける」と舌を巻くほど、とことん内省的に自己の中へ役を落とし込む山田の真面目さは、毛穴からにおい立つほどに“人格”をまとい、物語に真実味を帯びさせる。言葉にできない不気味さや狂気は、まさにそうしたストイックな姿勢から生まれるものだ。
「山田くんは外交的というよりはインドアで、静かな生活が好き。明るく陽気な雰囲気じゃないところが魅力で、だからこそ“この人はいろいろなことを深く考えているんじゃないかな”と相手に思わせ、ミステリアスに見えるのかなと思います」
山田の生来もつ思慮深さは、類家とシンクロする。永井監督によれば、山田は現場でも原作を繰り返し読み込み、類家というキャラクターに“潜る”作業をしていたという。
「類家は『人を殺したいと思ったこともある』と平気で言いつつ、『警察官なのでやらない』と断言する強さがある。冷めているように見えて、『(世の中を壊すより)守る方がずっと難しい』『だからこそやりがいがある』と熱いものを持っている。山田くんも『類家のセリフ全部に共感できる』と言っていたほどです」
“狂気”入り乱れる演技合戦
そして本作では、山田と佐藤が取調室で繰り広げる“演技合戦”が物語のテーマを炙り出してゆく。両者ともに狂気を帯び、類家も一歩間違えばタゴサクだったかもしれない──そう感じさせる2人のコントラストは、タゴサクが口にする「爆発したって、べつによくないですか?」という問いによって浮き彫りになる。
「きっと誰しも、タゴサクのような考えが頭をよぎったことはあると思うんです。世の中は理不尽だし、不公平です。でも、多くの人はリミッターを外さない。それは人間が社会の中で生きる生き物だからで、ルールの中で向き合うしかない。それをギリギリのラインで守っているのが類家ですよね」
一方で、人間の本性をむき出しにするタゴサクは“人間らしい”とも言える。人間らしさの本質について永井監督は、「弱みを見せられるかどうか」だとする。
「冷徹に見える類家も、鮮やかに問題を解決するわけでは全くない。弱みを漏らしつつ意見をぶつけ合うところが人間っぽくて、どちらのキャラクターも嫌いになれないんです」
類家とタゴサクは、『お前も本心ではこう思っているんじゃないか』『俺はこう思っている』と意見を戦わせる。類家と話す時のタゴサクは本当に嬉しそうで、人間と人間の生身のぶつかり合いがある。そうしたなかで、急に2人して笑い出すシーンがあるが、これは監督曰く「(2人が)ゾーンに入った時のアドリブ」だったという。相手の弱みを感じ取った時なのか、自分が弱みを思わずさらけ出せた時なのか――いずれにせよ、互いが「人間」であることを確認し合った瞬間の感情の爆発だったのではないだろうか。
さて、誰もが自分のなかに「爆弾」を抱えているとしたら、それを爆発させないための救いはどこにあるのか。
「類家が言った通り、たくさん寝て、ポークステーキ丼を食べる。案外それだけで幸せを感じることができ、そういう日を繰り返すなかで“この世も捨てたもんじゃない”と思えることもある。そうした瞬間があることを信じていて、それが希望っていうことなのかな」
歪な時代において山田が放つ葛藤という名の“不気味”さは、観客に“自分にとっての正しさ”や“倫理のバランス”を問い続ける。そうした山田の存在は、理不尽だからといって「生を諦める」ということにはならない、という救いでもある。タゴサクにとっての類家のように。

映画『爆弾』
10月31日全国ロードショー!
(c)呉勝浩/講談社 (c)2025映画『爆弾』製作委員会
https://wwws.warnerbros.co.jp/bakudan-movie/
(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)