CYZO ONLINE > カルチャーの記事一覧 > 高校野球「7回制」議論
ゴジキの野球戦術ちゃんねる

賛否両論……むしろ反対多数! 高校野球「7回制」が突きつける現実――“怪物不在”の時代がやってくる恐れ

文=
賛否両論……むしろ反対多数! 高校野球「7回制」が突きつける現実――“怪物不在”の時代がやってくる恐れの画像1
まず、灼熱の夏場に開催するのをやめたほうがいいのでは……?(写真:Getty Imagesより)

 高校野球は今、100年続いた競技文化の大転換点に立っている。

「タイブレーク」や「球数制限」、「低反発バット」、そして現在議論が加速する「7回制」……。

 これらは部分的な“ルール変更”ではない。野球そのものの姿を塗り替えつつある制度改革だ。

 今回は、7回制を中心に、その“構造的な落とし穴”を掘り下げたい。

死闘と成長の2025年夏

「7回制」の導入前に「球数制限」が与えた影響とは?

 現在の高校野球では、7回制の前に投手の健康面を考慮され、球数制限は、1週間に500球までという制約が設けられている。この制度は負担軽減という意味では正しい。

 しかし、普段の練習から実践まで球数管理されていることで、投手はスタミナを鍛える機会を失っている。練習以上の球数を投げた瞬間に崩れる投手が増えた理由はまさにここにある。

 実戦の緊張感の中で80球を超えた途端に突然大崩れ──。これは「投げすぎ問題」ではなく、むしろ“投げなさすぎ問題”なのだ。

 さらに、負荷をかけない練習が続くと、実戦で本来なら耐えられる球数でも怪我をするリスクが高まる。身体が“実戦の負荷”に慣れないまま大舞台に立つからである。

 こうした背景もあり、高校野球は複数投手でつなぐ継投策が主流になった。しかしこれは「長いイニングを投げ切る能力」を育てる機会を奪う。

 投げ切ることで身につくはずだった、巡目の打者との駆け引き、疲労を抱えながらパフォーマンスを維持する能力、試合終盤でギアを上げる精神力といった総合力は、現代野球では育ちにくくなってしまった。これは箱根駅伝人気でフルマラソン選手が育たなくなった構造と同じだ。

“短期戦で勝つための準備”が、「長期戦で強い選手」を減らしているのである。

7回制が変える“終盤戦の価値”と評価基準の未来

 論点は投手だけにとどまらない。7回制は野球のゲーム構造を根本から変える。

 9回制であれば100球を超えて当たり前だった試合も、7回制なら完投しても100球に届かないケースが増える。投手の負担軽減にはなるが、その代償として「終盤の戦い」がなくなる。

 本来、野球は7回以降が勝負どころのゲームもある。だが7回制では、5回・6回が終盤扱いとなり、序盤にリードされると巻き返しは極めて難しい。高校野球の象徴でもあった“終盤の逆転劇”は明らかに減るだろう。

 さらに、7回制で地味に効いてくるのが、打席数の減少だ。9回なら上位打線は3〜4打席回るが、7回だと2〜3打席に収まる試合が増える。これは、実戦の中で調子を上げていくタイプの打者にとって不利になり得る。打席数が減ることで、実戦で調子を上げるタイプは不利になる。低反発バットも加わり、投高打低がさらに進む。未来のスター候補が「評価される前に終わる試合」が増えるのだ。

 さらに、投手継投が主流のいま、さらに投高打低が加速していくと予想される。そのため、投手ばかり注目されがちだが、球数制限と7回制をうまく活用する高校が増えれば増えるほど、野手の成長機会も失われることになるのだ。

 そして、7回制が本格導入されれば、スカウトや大学の評価基準も変わる。長いイニングを投げられる投手よりも、“短いイニングでいかに抑えるか”が重視される。プロの先発投手に必要なスタミナや持久力は育ちにくい。

 これは高校野球の育成モデルが、広い意味でプロ野球や大学野球と“分断”されていくことを意味する。

効率化が削る“非効率の中でしか育たない強さ”

 現代社会の流れとして、無駄を削り、効率化し、データで最適化することは正しい。だが、スポーツにおいては、非効率の中でしか育たない力が確かに存在する。

 かつての名投手たちの田中将大(現・読売ジャイアンツ)、藤浪晋太郎(現・横浜DeNAベイスターズ)、今井達也(現・埼玉西武ライオンズ)、2年生で1試合の奪三振記録を更新した松井裕樹(現・サンディエゴ・パドレス)や甲子園の頂点に立った高橋光成(現・埼玉西武ライオンズ)は甲子園の球史で見ても、やはり別格な存在だった。

 彼らは甲子園で投手陣の8割以上、あるいは40イニング以上を投げ抜きながら優勝した。過剰な負荷をかけられたからこそ、地力と精神力を磨くことができ、プロでも活躍した。

 そうした印象が、「高校野球はひとりのエースが投げ抜くもの」というイメージを作り、その後の甲子園でも(特に2000年代後半から2010年代初頭)はひとりエースの学校が定期的に注目を集めるようになった。

 21世紀の甲子園優勝投手を振り返ると、プロ入り後に二桁勝利を記録する投手から、リリーフの一角として活躍する投手、タイトルホルダーまでいる。高校時代の投げすぎで、プロ入り後はあまり活躍をしていないイメージが先行しているが、相対的に見ると、活躍をしている割合は高いのではないだろうか?

 しかし、現代の制度ではこうした“怪物型”投手の誕生はほぼ不可能だ。選手を守ろうとする制度が、皮肉にも選手の未来を狭めている可能性がある。

 これはスポーツだけでなく、ビジネスの「働き方改革」と同じ構造だ。効率的な方法が正しい一方で、量をこなすことで得られる自信、精神力、信頼感といった“非数値の価値”が削られていく。

選手を守るはずの制度が、必ずしも選手を強くするわけではないのだ。

高校野球は今、静かな岐路に立っている

7回制導入についてのアンケートでは以下のような結果になっている。

・調査会社による登録モニター向けの調査(6月16、17日、回答者数2472):賛成35.9%/反対25.0%(賛成が上回る)
・加盟校対象のアンケート(6月27日~8月8日、回答校数2643):賛成20.8%/反対70.1%(現場は圧倒的に反対)
・日本高野連のウェブサイト(期間6月30日~7月11日、回答者数8953):賛成768/反対7923(反対が多数)

 さらに、2025年のセンバツ出場選手たちの本音調査をしたところ「反対30票、どちらでも2票」という結果になった。

 外から見るほど「賛成」が伸びやすい。しかし、実際に指導し、戦い、育てる現場に近いほど「反対」が強いのだ。このギャップを放置したまま制度だけ進めれば、必ず揉めるだろう。

 また、ここまで選手の成長として記載したが、前提として7回制と球数制限は、選手の健康を守るという意味では正しい。

 しかし、その一方で、育成の幅を失い、競技としての厚みを削り、将来のスター候補が育ちにくい環境を作りつつある。

 7回制をやるなら、“短くなる分、育成と出場機会をどう補うか”までセットで出せ。そこを言語化しない限り、7回制は「優しさ」ではなく「削り取り」に見えてしまう。

 高校野球の未来に必要なのは、「安全性」だけでも、「効率」だけでもなく、安全や育成、競技の魅力をどう両立させるかという視点だ。

 健康面だけなら、最適に近い可能性はある。ただし高校野球は「競技」である前に「育成」と「文化」でもある。7回制は、怪物の誕生装置を壊すかもしれない。完投型のロマンをさらに遠ざけるかもしれない。過保護の積み重ねが、選手の強度を奪うかもしれない。

 選手ファーストとは、単に削ることではない。安全と育成と魅力を、どう両立させるか。その議論こそが、今の高校野球に求められるのだ。

 怪物が消える未来は、本当に正しい未来なのか──。高校野球はその問いの前に、静かに立っている。

甲子園で覚醒した球児

(文=ゴジキ)

賛否両論……むしろ反対多数! 高校野球「7回制」が突きつける現実――“怪物不在”の時代がやってくる恐れの画像2

ゴジキ

野球著作家・評論家。これまでに『巨人軍解体新書』(光文社新書)や『戦略で読む高校野球』(集英社新書)、『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブン、日刊SPA!、プレジデントオンラインなどメディアの寄稿・取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。

公式TikTok

公式facebook

X:@godziki_55

Instagram:@godziki_55

ゴジキ
最終更新:2025/12/11 22:00