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731部隊は今も日本社会に影響を与えているのか…『医の倫理と戦争』が問う医療界の抱える闇

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太平洋戦争中、極秘に細菌兵器の開発・製造を行なった「731部隊」

 終戦80年となった2025年、注目すべき一本のドキュメンタリー映画が11月に渋谷ユーロスペースにて公開された。わずか1週間だけの限定上映だったものの、連日ほぼ満席となった『医の倫理と戦争』だ。タイトルからは察しにくいが、戦時中の満州で細菌兵器を密かに開発し、捕虜にした中国人やロシア人を「マルタ」と呼び、生きたまま人体実験に使っていた日本陸軍の研究機関・関東軍防疫給水部、通称「731部隊」を大きく取り上げている。

ハリウッド再編成と日本映画界

 ユーロスペースでの上映が好評だったことから、2026年にはポレポレ東中野をはじめ、全国各地の劇場での順次公開が決まった。2026年1月2日(金)から上映されるポレポレ東中野ではトークゲストの登壇が同9日(金)まで連日予定されており、話題はますます広がっていきそうだ。

 歴史の闇に消えていたはずの「731部隊」は、今なぜ注目を集めているのだろうか? 「これほど反響があるとは思わなかった」と驚く山本草介監督、そして医療従事者に、「731部隊」と今の日本の医学界や医療組織が抱える問題との関係について語ってもらった。

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中国のハルビン郊外に存在した「731部隊」の本部

細菌兵器の開発を進めていたエリート科学者たち

 故・森村誠一氏によるノンフィクション『悪魔の飽食』(KADOKAWA)は1981年に出版され、そのセンセーショナルな内容から大ベストセラーとなった。小説家の森村氏が当時はまだ存命だった「731部隊」出身者たちを取材し、「731部隊」が戦時中に行なっていた非人道的な生体実験の数々を告発したものだった。

 軍医である石井四郎が創設した「731部隊」は、その使用を国際条約で禁じられていた細菌兵器の開発をハルビン郊外に設けられた広大な研究施設を拠点に極秘裏に行なっていた。コレラ菌、チフス菌、ペスト菌、炭疽菌などを培養し、どうすれば効率的に人に感染させることができるかなどの研究が進められた。「マルタ」と呼ばれた被験者たちの多くは、抗日運動などに関わった人たちだった。生きたままの解剖があったことも証言されている。

 日本各地から若く、優秀な医者や科学者たちが集められ、官舎で豊かな生活を送りながら、おぞましい実験や手術に従事していた。

 大戦末期、ソ連軍の参戦が始まると、証拠を隠滅するために研究施設は破壊され、施設内に拉致されていた3000人以上もの被験者全員が命を絶たれた。「731部隊」関係者も実験中に感染し、かなりの人数が亡くなっている。生き残った「731部隊」の隊員たちの多くは、日本に戻り、大学教授や学部長へと出世、もしくは薬品会社の重役となっている。

 戦後の日本の医学界は「731部隊」出身者が中心となってきたことを、『医の倫理と戦争』は明るみにしている。そして、現在の日本の医療機関が外国人労働者、健康保険非加入者、高齢者、精神疾患者らに冷たいことの根源には「731部隊」の問題があると指摘している。

 だが、戦争の記憶が薄れつつある現代の日本では、現役医大生たちのほとんどは「731部隊」が存在したこと、医療関係者が戦争に協力していた過去を知らないという。

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『悪魔の飽食』『日本にも戦争があった』(新日本出版社)などの参考図書を前にした山本監督

戦後、暗い地下壕で暮らし続けた研究者の正体

 フジテレビの人気ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』などで活躍する山本草介監督に、まず『医の倫理と戦争』の企画が誕生した経緯について語ってもらった。
 
「2023年の4月ごろ、千葉県でクリニックを経営されている伊藤真実さんから、ドキュメンタリー映画の企画についての相談があり、映画プロデューサーの山上徹二郎さんと一緒に訪ねたんです。伊藤さんのクリニックには、ドキュメンタリー作家の土本典昭さんが最期を過ごしたホスピスもあるのですが、地元の人たちが気軽に利用しているカフェも併設された、居心地のよい場所でした。そこで伊藤さんから、まだ治療できるのに大病院からホスピスに回されてくる患者が多いということをはじめ、外国人実習生や健康保険非加入者が診療を受けられないこと、高齢者や精神疾患者に今の日本の医療施設は冷たいなど多くの問題があることを聞かされたんです。ひとつにまとめて映画にしてほしいという要望だったのですが、あまりにもテーマが多すぎるので頭を抱えました」(山本監督)

 都内への帰り道、「ぜひ寄ってみて」と伊藤氏に勧められて、千葉県館山にある赤山地下壕に山本監督たちは向かった。そこは戦時中に日本海軍が防空壕として利用した場所で、長い長い迷宮のような構造となっていた。現地で山本監督たちが来るのを待っていた案内人によると、その地下壕には菌類研究者が40年近く暮らし、死に際に「731部隊」の関係者だったことを明かしたという。

「その話を聞いて、戦争の闇と今の日本の医療界の数々の問題が僕の頭の中でつながったような気がしたんです。731部隊についてはある程度の知識は持っていましたが、調べていくうちに戦争犯罪者たちの多くは東京裁判で罪を問われたものの、731部隊出身者は罪を免れたことを知ったんです。石井四郎らが人体実験で得た研究データを米軍に渡し、追及を逃れることができたんです。そして、多くの731部隊出身者は大学に戻り、日本医学界の中心的存在となっていった。731部隊が裁かれず、不問のままで済まされてきたことが、今の日本の医療界の問題と関係しているのではないかという仮説を立てて、取材を進めてみることにしたんです」(山本監督)

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「お国のため」というスローガンのもと、多くの若者たちが戦争に駆り出された

生々しい「731部隊」関係者たちの証言

 山本監督は「731部隊」について調べていくうちに、医療関係者たちが戦争に協力した歴史に問題意識を持つ医師たちに出会った。海外での医療体験を持つ医師や精神科医らが、本作のインタビューに応えている。

 京都大学医学部臨床教授の吉中丈志氏も、取材を受けたひとりだ。吉中氏は2022年に『七三一部隊と大学』(京都大学学術出版会)を編纂したが、翻訳などで参加した若い医師たちは「将来のことを考えるのなら、こういう本に名前を出すのは考えたほうがいい」と大学関係者から忠告を受けている。今なお「731部隊」の亡霊が医学界を徘徊していることを感じさせる。

「医者ってなんだろうということを、取材中ずっと考え続けました。人の命を救うのが医者だと僕は思っていたのですが、731部隊に参加していた医学者たちは人体実験のデータを冷静に記録し続けたわけです。もちろん、731部隊に関わったことを悔やみ、戦後は医学界から距離を置いた人もいます。神奈川大学で記録された731部隊に参加していた元少年兵たちの証言映像を使わせてもらいましたが、彼らは懺悔の気持ちから731部隊で行なった人体実験について証言しているわけです。その一方、別の資料映像では、生きたまま人体解剖したという執刀者はその事実を実に淡々と語っています。自分の過去を悔いている人もいれば、『お国のため、研究のためにやった』と罪の意識がない人もいるわけです」(山本監督)

 ユーロスペースでの上映には、「父親が731部隊に所属し、自分は研究施設のあった官舎で生まれた」と名乗り出た観客もいたという。

「住居棟は暖房が効いていて、食料にも恵まれていて、快適な生活を送ることができたようです。研究内容は極秘だったものの、ユーロスペースで名乗り出た方は『父がしていることを母は気づいていたと思う』と話していました。家ではとても優しい父親だったそうです」

 普段は優しい父親が、研究棟では「悪魔の実験」に関わっていたことがより恐ろしさを際立たせる。また、夫の研究内容に妻は気づきながら日常生活を平然と送っていたことは、アウシュビッツ強制収容所を題材にした劇映画『関心領域』(2023年)の内容を想起させるものがある。「731部隊」が残した問題は、決して過去の遺物として片付けられるものではない。

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京都大学の吉中臨床教授。「私も731部隊について調べましたが、彼らの研究成果は米軍が期待したほど高くはなかった」と語る

戦争に協力した過去を顧みない日本医師会

 京都大学医学部臨床教授であり、現役の医師でもある吉中氏に医学界、医療界の内情について尋ねた。日本の医療の問題点の根っこは「731部隊」にあるのだろうか?

「今の日本の医療界が、保険制度、医療報酬、政策の動向など多くの問題を抱えているのは確かです。さまざまな要因が絡まって生じたそれら問題のすべての原因が731部隊にあると考えるのは私は違うなと思いますが、医学の歴史を振り返ることは大切であり、医療関係者が戦争に協力していたという事実は重要なキーワードです。私が山本監督から取材を受けた時点ではどんな映画になるのか分かっていなかったのですが、戦争を2度と起こさないためには歴史の過ちを繰り返してはいけないという『医の倫理と戦争』に山本監督が込めたメッセージには私も共感しています」

 吉中氏によると、近代的人権が確立される以前から医学はあり、多くの人体実験を経て進歩してきたという歴史があるという。だが、欧米ではナチスドイツの科学者たちが非人道的な研究を行なっていたことの反省から、世界医師会が1964年に「ヘルシンキ宣言」を行ない、被験者の理解と同意なしでの人体を使っての研究を禁じている。

 しかし、日本では「731部隊」は戦後も裁かれないままとなっており、世界医師会の加盟組織である日本医師会は「731部隊」があった事実に触れないまま今日に至っている。

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京都大学学術出版会が出版した『七三一部隊と大学』。京都大学は石井四郎の母校でもある

法律よりも倫理観に従うことの大切さ

 日本の医学界では、今も「731部隊」はタブー視されているのだろうか? この質問に吉中氏はこう答えてくれた。

「医療関係者にとって、731部隊はできれば触れたくない話題でしょうね。私が編纂した『七三一部隊と大学』では、翻訳を手伝ってくれた若い医師たちが大学関係者から忠告を受け、名前は載せないでほしいと言ってきました。でも、これはタブー扱いされているというわけではなく、忖度する空気が大学内に残っていたというレベルのものでしょう。かつては731部隊出身者が各大学の学長や学部長などを務めていた時期がありましたが、すでにみんな亡くなっています。その教え子たちが残っているくらいです。日本医学会は731部隊が存在したことを認めていますが、日本医師会は無視している状況のままです。医学界は731部隊についてしっかりと継続的な検証に取り組むべき時期に来ているのかもしれません」(吉中氏)

 混同しやすいが、日本医師会と日本医学会は別団体となる。同じ「日本医師会館」にあるが、日本医師会は医師を中心にした専門職団体であり、日本医学会は医学の発展や研究促進を図る学術団体だ。ちなみに日本医師会は政権との結びつきが強く、自民党の大票田にもなっている。

 多くの問題を抱える日本の医療界が変わっていくためには、3つの大きな枠組みでの課題があると吉中氏は語る。

「ひとつは医師自身が歴史を検証しながら、倫理観を深めていくことです。世界医師会では、悪法よりも人権を優先すべき、と明文化しています。2つ目は次の世代の医師たちに、医学教育をきちんと伝えていくことです。かつての大学は教養学部で2年間学んでから専門学部に進んでいましたが、今ではそうした社会科学や人文科学の授業は大幅に減っています。『医は不仁の術』という言葉があります。医師こそが“仁”を心得ていなくてはいけないという意味です。医学を志す人には、社会的な教養や歴史的知見を身につけてほしいと思います。3つ目は医学界が変わっていくこと。日本医師会はヘルシンキ宣言には触れていますが、731部隊にも、患者の権利についても触れていません。簡単ではありませんが、そこは変わってほしいし、変わっていかないといけないところでしょう」(吉中氏)

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満州で過ごした少女時代を振り返る天羽道子さん

亡くなった人たちのために流された涙

 さまざまな文献をひもとき、多くの医療関係者たちを取材した山本監督だが、 99歳になる天羽道子さんに出会ったことがとりわけ忘れられないという。 天羽さんが名誉村長を務める「かにた婦人の村」は、従軍慰安婦や売春婦だった女性たちのためのシェルターとして60年以上の歴史がある。『医の倫理と戦争』の企画者である伊藤真実氏に勧められ、館山の旧海軍砲台跡地にある「かにた婦人の村」を山本監督は2度訪ねている。

「天羽さんは2000年に亡くなった深津文雄牧師と婦人の村を創立し、施設の中で寝泊まりしながら60年もの間、働いてきた人です。ほとんどすべての人生を捧げていると言っても言い過ぎではない方です。元々は満州銀行の支店長の令嬢として生まれ、満州でなに不自由ない幸せな少女時代を過ごしています。戦後になって自分が暮らしたハルビンの郊外にあった731部隊のことを知り、大変なショックを受けたそうです。そのこともあって、戦争で傷ついた女性たちの居場所として婦人の村をつくっています。戦争で亡くなった人たちのために、天羽さんは今でも毎日祈りを捧げているんです。731部隊の犠牲となった方たちのために涙を流した人は、僕が取材した中では天羽さんひとりだけでした」(山本監督)

 中国で2025年9月に公開された劇映画『731』は反日映画として大きな話題を集めたが、映画として評価は低く、中国では酷評されて終わっている。派手さのないドキュメンタリー映画『医の倫理と戦争』だが、多くの医療関係者たちの目に留まることを期待したい。

『はだしのゲンはまだ怒っている』

(取材・文=長野辰次)

『医の倫理と戦争』
監督・撮影・編集/山本草介 プロデューサー/山上徹二郎  
配給/シグロ 2026年1月2日(金)からポレポレ東中野、2月13日(金)からはアップリンク京都ほか全国順次公開中
(C)2025 Siglo
https://inorinri.wordpress.com/

山本草介(やまもと・そうすけ)
1976年東京都生まれ。2006年に劇映画『もんしぇん』で監督デビュー。『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)で放送された『酒と涙と女たちの歌 塙山キャバレー物語』は好評を博し、シリーズ化されている。著書に大宅壮一ノンフィクション候補になった『一八〇秒の熱量』(双葉社)がある。

吉中丈志(よしなか・たけし)
1952年山口県生まれ。京都大学医学部臨床教授、公益社団法人京都保健会第八代理事長。「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」呼びかけ人。

長野辰次

映画ライター。『キネマ旬報』『映画秘宝』などで執筆。著書に『バックステージヒーローズ』『パンドラ映画館 美女と楽園』など。共著に『世界のカルト監督列伝』『仰天カルト・ムービー100 PART2』ほか。

長野辰次
最終更新:2025/12/30 12:00