統一教会内部文書、高市首相の影、米倉涼子疑惑まで 週刊誌が暴く“混迷ニッポン”

<今週の注目記事>
第1位「『高市総裁が天の願い』統一教会(秘)報告書」(「週刊文春」1月15日号)
第2位「米倉涼子(50)麻薬疑惑で逮捕状が請求されていた!」(「週刊文春」1月15日号)
第3位「『当事者たちの声を聞け』女性支援は『買春処罰』よりも『愛着資本』拙劣な規制は“売春の地下化”につながる恐れ」(「サンデー毎日」1月18・25日号)
第4位「箱根“シン・山の神”黒田朝日は韋駄天一家 父の盟友徳本一善が『父親はもっと天才だった』」(「週刊文春」1月15日号)
第5位「悠仁さま 皇居一般参賀デビューでも明暗をわけた天皇家と皇嗣家」(「週刊新潮」1月15日号)
第6位「9万円ディナーショー 中森明菜がMCでぽつりと漏らしたホンネ」(「週刊新潮」1月15日号)
第7位「もうすぐ暴落する街一覧」(「週刊現代」1月19日号)
第8位「女子高校生コンクリ殺人 37年後の真実」(「週刊文春」1月15日号)
第9位「共産党『不破哲三』が送っていた貴族のような山荘生活」(「週刊新潮」1月15日号)
第10位「MEGA地震予測 1月末までに東北・首都圏で大地震」(「週刊ポスト」1月16・23日号)
第11位「異次元の『片山さつき財務相』伝説」(「週刊新潮」1月15日号)
第12位「長澤まさみが結婚した『無名の映画監督』はどんな人か」(「週刊新潮」1月15日号)
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年もご愛読、よろしくお願いします。
一昨年の年初は能登半島地震が起きた。昨年は日航機と海保機の衝突事故。今年はトランプ大統領のベネズエラ攻撃という“暴挙”で、新年の眠りを覚まされた。
今さら私がいうまでもなく、これまでもトランプの数々の“愚行”はあったが、今回の理不尽なやり方は、到底許されるものではない。
だが、日本は当然ながら、ヨーロッパなどでも、今回のやり方を批判する声は弱い。
あまりにも常軌を逸したトランプに、怯えているようにも見える。かつては、アメリカのCIAが暗躍して、アメリカに牙をむく多くの反米政権の指導者を“暗殺”したり、政権を転覆させたことがあったといわれている。
だが、21世紀にこのようなことが行われるとは、私は思ってもみなかった。
トランプは、これからもグリーンランドをよこせ、コロンビアもベネズエラのようにしてやると息巻いている。
これではイスラエルのネタニヤフ首相やロシアのプーチン大統領と何ら変わるところはない。将来、この時代は暴君の世紀といわれるのだろう。
私が一番おかしいと思うのは、メディアの弱腰である。日本のメディアのことではない。この国にはとうに言論の自由など雲散霧消してしまっているからだ。
ニューヨーク・タイムズはトランプへのインタビューはしているが、激しい政権攻撃はしていないようだ。
あのワシントン・ポストはもはや政権に取り込まれているようにも見える。
かつて、ベトナム戦争の失敗を国防長官が調査した「ペンタゴン・ペーパーズ」をニューヨーク・タイムズとともにスクープし、ニクソン大統領が記事をやめさせるために「スパイ防止法」で提訴したことがあった。
主張が通れば、最悪、社主も投獄される。
しかし、ポストの社主であるキャサリン・グラハムはこういった。
「ポストの設立趣意書には、新聞の使命は優れた取材と記事。さらに、新聞は国民の繁栄と報道の自由のために尽くすべきである」
そして彼女は掲載に「ゴーサイン」を出したのだ。
しかし、今のポストにキャサリン・グラハムはいない。
今年は、既成メディアの存在が問われる最後の年になるだろう。日本の場合にはすでにマスメディアは「オワコン」ではあるが。
さて、新潮の長澤まさみの結婚相手の素性からいこう。
女優の長澤まさみ(38)の所属事務所が元日に、「いつも弊社所属俳優:長澤まさみを応援してくださり、ありがとうございます。この度、長澤まさみが結婚したことをご報告させていただきます。突然の発表となり誠に恐縮ではございますが、温かく見守っていただけますと幸いです」と発表した。
長澤も「私事で大変恐縮ですが、 この度、映画監督の福永壮志さんと入籍しましたことをご報告させていただきます」と報告したのである。
寝耳に水だった芸能メディアは大慌て。しかし、新潮によると、福永壮志(43)という人物はまったくノーマークだったようだ。
長澤は2000年に第5回「東宝シンデレラ」オーディションでグランプリを受賞してデビューした。2003年『ロボコン』で初主演、同作で第27回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。『世界の中心で、愛をさけぶ』で第28回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞・話題賞に選ばれ、大ブレイクする。
以降、『ドラゴン桜』シリーズ(TBS系)や『プロポーズ大作戦』(07/フジテレビ系)といった人気ドラマ、『涙そうそう』(06)、『モテキ』(11)、『海街diary』(15)から、『キングダム』シリーズ、大ヒットシリーズ『コンフィデンスマンJP』、中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』(21)などに出演し、日本を代表する女優として存在感を示し続けてきた。
長澤は伊勢谷友介との破局が報じられて以来、浮いた噂はなかったようだ。
その長澤を射止めた福永監督とはいかなる人物なのか?
彼は北海道伊達市の出身だそうだ。高校時代から映画が好きで、卒業後、渡米してニューヨーク市立大学ブルックリン校の映画学部を卒業しているという。
最近では、エミー賞史上最多18部門受賞の『SHOGUN 将軍』(ディズニープラス)、渡辺謙や山下智久らが参加した『TOKYO VICE』(WOWOW)といったハリウッドドラマの監督をつとめたこともある新進気鋭の国際派監督だという。
トライベッカ映画祭で審査員特別賞を受賞した長編2作目の『アイヌモシリ』(20)、釜山国際映画祭や東京国際映画祭に出品されたアイヌ文化の継承を追ったドキュメンタリー『アイヌプリ』(24)、また、柳田國男の『遠野物語』に着想を得た『山女』(23)、同じく『遠野物語』にインスパイアされた『MIRRORLIAR FILMS Season4』(22)の一篇となるショートフィルム『シルマシ』も高い評価を受け、常に民族やルーツにフォーカスを当てた作品づくりを続けてきたようだ。
国際派女優と国際派映画監督。いいカップルではないか。
お次も新潮から。
私は、片山さつき財務相(66)という人は、舛添要一の元妻、短気で恐いということしか知らない。
だが、新潮によれば、彼女は数学者の朝長康郎の一人娘として、埼玉県浦和市で生まれ、子供の頃から“異次元”の天才として知られていたという。
中学は東京教育大付属中学(今の筑波大学付属中学)で、3年間ずっとトップだったそうだ。
そして当たり前のように東京大学文科一類に合格するが、サッカー部のマネージャーになったり、女性誌の読者モデルをやっていたりしたそうだ。
彼女が“ドクモ”をしていた時代の写真はないのかな? そう思ったら、4ページ目に「東大時代の一枚」として、彼女のお姿が載っているではないか。髪に隠されて顔全体は見えないが、颯爽とした雰囲気はある。
在学中に外交官試験の二次試験まで突破。新潮は、雅子皇后と似ていると書いている。
さらに、官庁の最高峰といわれる財務省(当時は大蔵省)に入省する。現在の財務省には女性が3分の1くらいいるそうだが、当時、女性は数少なかった。
財務省には旧大蔵省から続く「恐竜番付」というのがあるそうだ。今でいうパワハラ番付だというが、片山も番付の常連だったという。
彼女の一期上に、後に副財務官に就任する石井菜穂子がいて、彼女は女性官僚として初めて税務署長に就任するのだが、片山は女性として2人目の署長として広島に赴任したそうだ。
1986年に舛添要一と、近藤鉄雄衆院議員の紹介で見合いし、結婚する。しかし、舛添の家庭内暴力で離婚したといわれているようだ。
もしこれが本当なら、夫・舛添と妻・片山の喧嘩はさぞ壮絶なものだったに違いない。
その後、1990年にゴルフクラブやライターなどで知られる「マルマン」社長を務めた片山龍太郎と再婚した。
片山は40を過ぎていたが、新潮によれば、不妊治療したようだが、子宝には恵まれなかったという。
女性初の主計官になった片山は、1年後の2005年に小泉純一郎首相の郵政選挙で、「刺客」として静岡7区から“落下傘”出馬し当選する。748票差だった。
だが2009年の衆院選はどぶ板、土下座までしたが、大差で落選。
2010年の参院選で比例区から出馬し、党内トップで当選するが、当初は存在感が薄かったようだ。
小学校時代の同級生でスペイン料理店主の小野保重が、参議院になった頃に片山が店に来て、客に「みなさ~ん、小野君の同級生の片山さつきでーす」といい、名刺を配ったと話している。
だが今は、
「最近は『わが党』みたいなことしか言わなくなったし、政治家って、いい歳の取り方ができないのかな。『当選したらここで打ち上げをする』と二度も言っていたのに、未だにうちの料理どころか、ビールの一杯も飲んでくれないんだから」
と苦笑い。
片山は、石井菜穂子の2番手の署長だったように、いつも2番手だから、今は「高市早苗の次は私」と思っているのだろうな。でも、無理だろうな。
お次はポストから。だいぶ前までは、地震予測記事はどこの週刊誌もやっていた。「当たるも八卦当たらぬも八卦」ではないが、この地震大国では、いつ大きな地震が起きても不思議ではない。それに対する「警鐘」という意味でも、まったく意味がないとは思っていない。
しかし、今週のポストは、「MEGA地震予測 首都圏に大地震」と報じているが、首都直下型地震が20年以内、いや、10年以内にも起こるといわれている今、小さな記事だが、そのインパクトは相当大きいに違いない。
私はこれについて日刊ゲンダイ(1月10日付)で書いているので、それを転載させていただく。
《「MEGA地震予測 1月末までに東北・首都圏で大地震」
週刊ポスト(1月16・23日号)がこう報じている。週刊誌の地震予測なんて気象庁の天気予報よりもはるかに当たらない。ニュースがない時の「埋め草」のようなもので、ポストには年に何回かこの手の記事が出る。だが、私が知る限り「首都圏」と名指ししたのは初めてではないか。誰もが「首都直下型地震」を思い浮かべるに違いない。
MEGA地震予測というのは村井俊治東大名誉教授が始めたメルマガで、国土地理院が全国約1300か所に設置している電子基準点のGPSデータを使って地表の動きを捉え、1週間ごとの上下動の「異常変動」、長期的な「隆起・沈降」などを分析。最近では衛星画像などの解析も組み合わせ、「ピンポイント予測」しているという。
ポストは「12・8青森県東方沖地震を完全的中」させたと謳っている。
2年前の正月には能登半島地震が起き、年末年始も東北、九州、山陰で大きな地震が起きている。
私が住んでいる東京の家は築60年を超える苫屋だから、知り合いの建築士によると、「震度4強で倒壊の危険がある」と太鼓判を押されていた。だが、2011年の東日本大震災の時は激しく揺れたが、何とか持ちこたえた。
家の前の通りは一方通行で狭く、消防車は入って来られない。道路の両側には電信柱が立ち並び、この一角だけは映画『ALWAYS三丁目の夕日』の面影が色濃く残っている。
絡まる電線の間から見える月や、電信柱の向こうに沈む夕日がきれいで、私はここを密かに「夕焼けのほそ道」と名付けている。
いつ起きても不思議ではない首都直下型地震の想定震度は6弱以上、(想定によっては)死者は約2万人。私は確実にその中に入る。毎夜、寝るときは「葉隠」の一節「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」を3度唱えている。
たかが週刊誌の地震予測に怯えるなんて馬鹿らしい、と思う向きは多いだろうが、恥ずかしながら私自身の体験談を披露したい。
1995年1月17日(火曜日)5時46分頃。私は仕事を終えて帰宅するタクシーの中だった。ラジオが「関西方面で地震」と第一報を流していたが、眠気で朦朧としていた私は、自宅に着いたとたん寝入ってしまった。
1時間もしないうちに編集部員からの電話で起こされた。関西へこちらから応援を出そうと思うが、という相談だった。寝入りばなを起こされたためもあって、「もう少し様子を見てからでいい」と電話を切ってしまった。
次の電話は8時過ぎ頃だったか。電話口で部員が「テレビをつけて!」と怒鳴った。私はテレビ画面の前でボー然と立ち尽くした。6434人の犠牲者を出した阪神淡路大震災だった。
当時の私は週刊現代編集長。私の指示が遅れたため、応援部隊はたどり着けず、関西にいた記者たちは取材どころではなかった。編集長失格だった。
編集部に駆け付けた私を待っていたのは、多くの新聞社からの取材申し込みだった。
「なぜだ?」――現代は月曜日発売。そこで「関西方面に大地震の可能性」という予測記事を掲載していたことを思い出した。これまた編集長失格である。新聞社の取材理由は、「関西方面で週刊現代のコピーが回し読みされている」「なぜ予測できたのかを知りたい」というものだった。
当時は現代も年に数回は地震にまつわる記事を載せていた。大義名分としては、「いつ起こるかわからない地震に対して、読者に警鐘を鳴らす」というものだった。その時も地震予知の専門家の意見をもとに作った小さな記事だったが、編集部が事の真偽を確かめたわけではないから、私が話すことなど何もなかった。取材はすべてお断りした。
阪神淡路大震災から31年目の1月17日がもうすぐ来る。万が一にもポストの予測記事が当たらないことを祈りたい。》
さて、共産党の貴公子と呼ばれた不破哲三前議長が亡くなった。享年95歳。
戦後、共産党が一番輝いていた時代のリーダーで、兄の上田耕一郎とともに「共産党の時代が来るかもしれない」と、多くの国民に感じさせたものだった。
新潮の売り物一つは「共産党批判」だったが、当時は、その舌鋒が鈍ったと感じられるくらい、2人の兄弟の人気はすごかった。
今の共産党を見ている若い人たちには信じられないような「時代」が確かにあったのだ。
新潮らしく、不破の経歴に軽く触れた後、不破が晩年を過ごした神奈川県相模原市の豪邸のような山荘について詳しく書いている。
「自宅は永田町から車で片道1時間半はかかる。とにかく大変な山奥にありました。敷地に入ってすぐ、運転手や警備員、料理人が寝泊まりするための小さな家があった。党本部の食堂から派遣されていた料理人は、一流ホテルでのコック経験がある人でした」(元共産党政策委員長だった筆坂秀世)
住居とは別に、もう一棟建物があり、「そこには書物のほかに、不破さんが趣味で集めた郷土人形がびっしり並べられていた。専用の棚に和洋問わず1000体以上はあったのではないでしょうか」(同)
筆坂は、ここに家を建てたのは、不破が生涯共産党のトップにい続ける意思表示だったと見ていたようだ。
不破哲三の後、不破のような実力も人気もある指導者が共産党には出ていない。現在の党の凋落を、不破はどう見ていたのだろう。
ところで「綾瀬コンクリート殺人事件」というのを覚えているだろうか? 1989年3月29日だから、ほぼ37年前になるか。
事件の概要を、文春で、この事件を追い続けた北海道放送報道部デスクの山崎裕侍の原稿から抜粋する。
《1989年3月29日、東京都江東区若洲で、ドラム缶にコンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。被害者は埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生X子さん。事件に関わったのは主犯格A(18)、準主犯格B(17)、自宅が監禁場所となったC(16)、監視役のD(17)、監禁中に暴行に加担したE(16)とF(16)ら当時16歳から18歳の少年たちだった。
前年11月25日、通りかかった見ず知らずの女子高校生をAが強姦目的で連れ去り、40日間にわたって足立区綾瀬のCの自宅の一室に監禁した。連日に及ぶ強姦、顔面や体を殴りつける、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えないなど非道の限りを尽くした挙句、89年1月4日、彼らは女子高校生を殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし、空き地に棄てたのだ。
AからDの4人は刑事裁判で実刑判決が下り、暴行に加わったものの、関与の度合いが低かったEとFの2人は少年院送致となった。》
山崎が綾瀬事件の加害者の取材を始めたのは2000年からだという。当時はテレビ朝日『ニュースステーション』でディレクターを務めていた。
「その頃、凶悪な少年犯罪が頻発し、少年法改正の是非が国会で議論されていた。それまでもメディアは犯行の詳細や裁判の経過についてはさかんに報じていたが、その後少年たちが更生したか、被害者に真に償いをしているのか報じることはほとんどなかった」(山崎)
そのため、事件当時、その残虐性から「鬼畜の犯行」といわれた綾瀬事件を追いかけ、加害者本人や母親、兄、父親などにインタビューを重ねてきたそうだ。
中でも準主犯格のBとは、手紙をもらったり、義兄や母親からも話を聞いていたそうだ。
だが、2024年7月、Bの義兄から電話があり、Bが亡くなったと知らされたという。
「綾瀬事件では、Bは東京高裁で懲役五年以上十年以下の不定期刑が確定したあと、川越少年刑務所や奈良少年刑務所(現在は閉鎖)などで服役し、九九年八月に満期で出所した。出所後は埼玉県の実家で母親と暮らし、コンピューター関係の会社でアルバイトをしていた。
再犯事件が発覚し、関係者に取材していくなかで、Bの姉の夫である義兄に辿り着き、Bの母親にインタビューができた。母親によると、Bにはアルバイト先で給料の未払いがあったという。その回収を手助けしてもらうため母親が紹介したのが、よりにもよって知り合いの暴力団組長だった。この関係がきっかけで、Bは暴力団組員となり、被害者となる知人男性とのトラブルに発展してしまう」
2004年7月には東京拘置所でBに面会した。
だが、Bには異変が起きていたという。妄想だ。裁判所はこの妄想について一切考慮せずに懲役4年の実刑判決を下す。
出所後、Bは社会復帰できずに引きこもりになっていたという。一人暮らしのアパートに、母親が弁当をつくって持って行っていたという。生活保護費が出ると、全部煙草につぎ込んでいたともいう。
そして2022年夏、「母親がいつものように弁当を持っていくと、トイレのなかで倒れた状態で発見されたんです。救急車を呼んだが、息をしていませんでした。死因は脳出血だったようです」(義兄)
他の実行犯たちの中にも、再び犯罪に手を染めて刑務所へ逆戻りした人間がいる。
彼らに同情の余地などないが、山崎のこういう主張には納得がいく。
「凶悪な事件が起きるたびに『こんなやつ死刑にしろ』と感情的な言葉が飛び交う。だが、それだけで問題は解決しない。死刑判決にならなければ、加害者はいつか社会に出てくる。刑罰だけで更生も反省も不十分なまま社会に出て、医療や生活などの支援もないまま放置されれば再犯の可能性は高い。Bはその典型例だった。
自分や家族だけは、その被害に絶対に遭わないと断言できる人はいないだろう。二五年六月から導入された拘禁刑制度によって刑務所の役割は受刑者への“懲らしめ”から“立ち直り”の支援へと大きく変わった。
では、被害者への償いに加害者をどう向き合わせるのか。そして社会の側が犯罪に、そして加害者にどう向き合うか、私たちの姿勢も問われている」
