池江璃花子&萩野公介の箱根温泉旅行、MEGUMI×髙比良くるま熱愛、冬季五輪コンドーム枯渇騒動まで──週刊誌の熱狂を総ざらい

<今週の注目記事>
第1位「池江璃花子&萩野公介 愛車で二人きり『箱根へ温泉旅行』」(「FRIDAY」3月6日号)
第2位「MEGUMI(44)&髙比良くるま(31)13歳差のラヴ上等!」(「週刊文春」2月26日号)
第3位「アウトサイダーたちの高市早苗政権支持率」(「FLASH」3月3・10日号)
第4位「冬季五輪コンドーム配布1万個でも足りない事情」(「週刊新潮」2月26/3月5日号)
第5位「舞台挨拶で涙 米倉涼子をガッチリ支える会社社長の正体」(「週刊新潮」2月26/3月5日号)
第6位「決意のゼブラ柄&黒宝石 愛子さま(24)皇女の覚醒」(「週刊文春」2月26日号)
第7位「安倍晋三とは真逆…長期政権を狙う『高市首相』の万能感」(「週刊新潮」2月26/3月5日号)
第8位「鈴木涼美『デビューしたてのキャバ嬢の振る舞い』」(「週刊文春」2月26日号)
第9位「スポンサー14社4億円、SNS案件高梨沙羅の稼ぐ力」(「週刊文春」2月26日号)
第10位「追悼 アパホテル元谷外志雄の50億円豪邸とドケチ私生活」(「週刊文春」2月26日号)
第11位「小泉進次郎防衛相 5億円『豪邸』にお引越しのツラい立場」(「週刊新潮」2月26/3月5日号)
第12位「松岡昌宏(49)が全て答えた!」(「週刊新潮」2月26/3月5日号)
週刊新潮が創刊から70周年を迎えた。
そのためかどうかはわからないが突然の合併号。だが、記念号とは思えないこの薄さ!
広告が入らないのだろうが、70周年を迎えたのだから、ご祝儀で広告を出す企業はなかったのか?
あまりのみじめさに雑誌の上に涙をこぼした。
新潮が創刊されたのは1956年2月6日。新潮社の創立は1896年(明治29年)で、それから60年後に出版社が発行する初めての週刊誌として創刊された。
新聞社のような大勢の記者がいるわけでもなく、編集者の多くは事件取材したことのない人間ばかりだった。
週刊朝日やサンデー毎日が100万部といわれていた時代、こんな週刊誌が成功するわけはない、そうみんなが思っていた。
創刊号の表紙は文藝春秋漫画賞を受賞したばかりの谷内六郎。創刊号の表紙が載っているが、戦後の名残の残る家並みを背景に、少女が風で傘を飛ばされそうになっている。
私が編集長だったら、この絵を今号の表紙に使うだろう。いい絵である。
創刊号発売の当日、社員が宣伝隊をつくり、宣伝カーで都内を巡回した。当時の社長佐藤義夫が車の中で手を振っている写真が載っている。
時代は違うが、講談社が雑誌「キング」を創刊した1924年(大正13年)には、社員全員が全国の知人に手紙やはがきを書き、チンドン屋が「キング創刊」を全国に触れ回ったという。
キングは創刊号を100万部刷るといっていたが、当時の印刷所にはそれだけの部数をする設備がなく、ドイツだったかに教えを請いに行き、2号だか3号目には100万部を刷り、完売したといわれる。
週刊新潮も創刊号を30万部刷り、たちまち完売したそうだ。半年後には50万部に。雑誌が多くの庶民たちにいかに読まれていたかがわかる。
当時のサラリーマンの出勤風景や朝の東京駅、都心のオフィス街の写真がある。
あの頃は、「明日は今日よりもよくなる」と素直に信じられた時代だった。
私の父親は当時、有楽町にあった読売新聞に勤めていた。国鉄がストライキをするたびに、中野駅から線路を歩いて会社まで行っていたことを覚えている。
新潮は、グラビアページでその時代を象徴する著名人の「現在」を取り上げた。初回の女優・有馬稲子の写真が載っている。
何という美しさ! 今の女優と名乗っているタレントたちとは天と地である。思わずネコの出ている映画を引っ張り出して見た。
私はネコもいいが若尾文子が一番好きだった。女という生き物をあれほど見事に演じた女優はいなかった(その後は吉永小百合に夢中になったが)。
新潮が成功するのを見ていて、文春、現代が次々に創刊され、新聞社系週刊誌にとって代わり、1900年代の終わりまで、「出版社系週刊誌の全盛時代」を築くのである。
新潮の編集方針、新聞・テレビにできないことをやる、権力者たちのスキャンダルを暴く、大新聞批判は、他の週刊誌にも受け継がれた。
新潮の記事作り、タイトルのつけ方を「参考書」として読みながら、週刊誌編集者として育っていったのだ。
2000年以降、雑誌も出版全体の売り上げも右肩下がりになり、ついに現代は隔週刊になり、ポストは月3回刊、新潮は休刊の噂が絶えず、文春でさえ存続が危ぶまれている。
薄い新潮をパラパラめくりながら、週刊誌時代の栄枯盛衰を思い出していた。
今週はその新潮からいこう。
国分太一が日テレの『ザ!鉄腕!DASH!!』を重大なコンプラ違反があったと降板させられた“事件”は、ようやく国分が日テレの福田社長に会い、改めて謝罪したことで収束しそうだが、今度は松岡が番組を降りるといい出した。
その理由を松岡は新潮に対して、
「自分の発言によって、世の中をお騒がせしてしまったという責任を強く感じていました。それなのに何もなかったように再び番組に戻って、楽しくパフォーマンスすることはできない。そういったモチベーションやメンタルがなくなったことが、番組降板を決めた理由です」
と答えている。
松岡らしい筋を通すということだろう。
降板を考え始めた時期については、こう話している。
「昨年、『週刊新潮』などのインタビューを受けたあたりから、ここまで自分で発信するからには相応の責任が伴う、という覚悟は持っていました。これだけのことを言う以上は降板も視野に入れるべきであろうと。ただ同時に、いま自分が発言しないと必ず後悔するとも考えました。そういう悔いは残したくないというのと、理由もよく分からずに国分が消えていく姿を見て、このまま終わらせていいのかと強く思いました」
松岡と城島茂も福田社長と会ったそうだ。
この会談の様子について、松岡はこう答えている。
「会談の冒頭で、福田社長とチーフプロデューサーのお二人が起立されて“本日は面会させていただきありがとうございます”とあいさつされました。続けて“本当に今回は申し訳ございませんでした”との謝罪も受けました。形式的なものではなく、心のこもった謝罪であることはすぐに分かりました。福田社長はトップとしてのお立場ではなく、一緒に番組を切磋琢磨して作ってきた一個人として謝っていただいたのだと受け止めております」
福田社長との会談の場で、松岡は国分の件について、こう切り出したという。
「会談で、私が率直にお尋ねしたのは“国分が福田社長なり、日本テレビ様にお会いすることは可能でしょうか”ということです。本人は局側に謝罪したいという気持ちをずっと持っていながら、それが果たせないでいました。私としてはその点についてこだわりを持って会談に臨みました。ご無理は承知の上での相談でしたが、福田社長の方から“もちろんです”との言葉を頂戴しました。国分との面会がかなったことからも、われわれと会談の機会を設けてくれた日本テレビ様には感謝しかありません」
城島は番組に残るそうだが、この3人の絆は固く結ばれているようだ。
次も新潮から。
小泉進次郎防衛相は選挙の投開票が行われた前の日に、世田谷の新居に引っ越しをしたそうだ。
そこは元々妻・滝川クリステルの弟が住んでいたそうだ。そこを壊して地上3階の豪邸を建てたという。
地元の不動産会社は、土地と合わせて5億円前後はすると話している。
だが、なぜ、これまで住んでいたところを引き払って転居したのだろうか?
新潮によれば、妻の両親が暮らしているマンションが近いからだというのである。
小泉は多忙を極めているため、6歳の長男と2歳の長女の面倒を見てもらうため、滝クリは両親に子育てを頼らざるを得ない。
そこで、妻に押し切られて、これまでの港区の旧宅から引っ越したのだそうだ。
新潮で自民党関係者が、「事実上、小泉さんはマスオさん状態になります」と語っている。
まあいいじゃないか。妻のいいなりになるのが夫婦円満の秘訣なのだから。防衛相としては少し頼りないがね。
次はアパホテルの創業者が亡くなったという話。享年82。
石川県小松市で生まれた元谷外志雄は誕生日が「本能寺の変」の翌日だったことから、「お前は織田信長の生まれ変わりだから」と、両親にこういわれ続けて育ったという。
小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」は<世界連邦大統領>だったそうだ。
だが、中学2年で父親が結核で急逝してしまったという。そこからは6人きょうだいの長男として、父に代わって家計を切り盛りするようになった。
「くず鉄回収などで小遣いを稼ぎ、進学校として有名な県立小松高校に入学。家計の厳しさから大学は通信制を選択した」(地元関係者)
大学入学と並行して地元の信用金庫に就職し、その頃知り合ったのが、後に「私が社長です」の看板広告とド派手な帽子で一躍有名となるアパホテルの社長・芙美子夫人(78)だったという。
結婚の翌年、独立し、住宅販売会社を設立。1984年にはホテル事業へと進出したそうだ。
彼の経営手法のポイントは“逆張り”だという。
「バブル期に誰もが土地を買い漁る中、次々と売って米国映画や飛行機産業に投資。儲けた金で、バブル崩壊後に競売物件を次々と落札し、駅前の土地や銀行跡地を各地で安く手に入れていった」(経済誌記者)
これが大当たりして、全国に展開するアパグループのホテルは1000を超え、客室数は約14万室にものぼるという。
「六年前の経済誌のインタビューで、元谷氏は『二百億円まではポケットマネー』、『(会社の)資産は1兆三千億円以上ある』などと豪語。有り余る資産の使い途について、『一線を越えると使い切れない』とも語っていました」(同前)
だが私生活では意外にケチだったそうだ。
アパの関係者がこう明かしている。
「会長と芙美子社長は回転寿司が大好き。芙美子社長はユニクロを愛用し、新幹線を使う際もグリーン車には乗らないようです」
政界人脈も豊富で、元谷は一時、安倍晋三元首相の後援組織「安晋会」の副会長を務めていたという。新潮は、元谷の会へ高市早苗も来ていたと報じている。しかし、
「政治家のパーティー券は全然買ってくれない。同郷の石川県出身の森喜朗元首相ですら、毎回たった1枚しか買ってもらえなかったそうです」(議員秘書)
子どもの頃おカネで苦労したのだろう。自分のカネだ、どう使おうと勝手だと考えていたのだろう。合掌。
さて、ミラノで行われた冬季五輪が終わった。この大会の主役は、ノルウェーのヨハンネスヘスフロト・クレボであろう。
冬季五輪で単独最多となる1大会6個目の金メダルを獲得し、通算で11個目の金となって自身が持つ最多記録を更新したのだから。
日本人選手もそこそこ活躍した。中でもスキージャンプ混合団体で銅メダルを獲得した高梨沙羅(29)の涙も見る者に感動を与えた。
だが、文春によれば、高梨の得意はジャンプだけではないという。カネの稼ぎが半端でないようだ。
代理店関係者がこう明かしている。
「高梨選手は現在、NIKEやSUBARU、VISA、エイブルといった大手企業十四社とスポンサー契約を締結しています。高梨選手ほどの知名度があれば、契約金は一社あたり年間で三千万円ほど。単純計算で約四億円分の契約を結んでいることになります。代理店にマージンが入るとしても、彼女の手元に渡る金額は、一億円は軽く超えるでしょう」
昔と比べて奇麗になったと思うが、そっちのほうでもすごいんだそうだ。
「高梨選手といえば、モデル顔負けのメイク力でも人気です。自分でも『化粧をすることでスイッチが入る』と語っており、冨永愛や田中みな実らと並んでティファニーの展示会に招待されるほど。その美貌からインスタグラムのフォロワーは約四十万人と、女性アスリートの中でもトップクラスです」(同前)
文春が彼女のアカウントを覗いてみると、頻繁に現れるのが「PR」とタグ付けされた投稿だという。「ジバンシイ」、「ロレアル」といったフランスの高級コスメブランドから全農山形のお米まで、その内容は多岐にわたるそうだ。
「これらはいずれも、クライアントの商品を紹介することで報酬を受け取るSNS案件です。フォロワー一人当たり四〜五円が相場で、高梨選手の場合、一投稿あたり二百万円ほどではないでしょうか。代理店と折半すると考えても、本人は一度の投稿で百万円ほど得ているはず」(同前)
なるほど、今はこういう稼ぎ方もあるのだ。彼女の能力はジャンプだけではなかった!
ところで、大勝した高市首相は、トランプ大統領顔負けのやりたい放題の政治をやるのではないかと、心配する向きが多い。
だが、高市早苗という人間がどういうことを考え、何をしたいのかが見えてこない。
これは、考えてみれば怖いことである。
文春は、識者たちに「高市フィーバー」について語らせているが、中でも、元日経の記者で、『ギフテッド』が芥川賞候補になった作家の鈴木涼美(42)の見方が面白い。
「高市政権の支持率は若い世代ほど高い。若い人たちに話を聞くと、例えば、同性婚や選択的夫婦別姓に賛成で、それらを進めてほしいと思っているのに、真逆の立場にいる高市さんになぜか好意的。つまり、彼女の政策や思想ではなく、ハキハキした物言いや、日本も女性がリーダーになってなんとなくイケてる国になった感覚、そうした漠然とした面にしか関心が持たれていないんだと思います。
コアな支持者はごく一部だと思いますが、いわゆる『ネトウヨ』、排外的で日本礼賛を好む人たちでしょう。政治家は常に批評の対象であるべきですが、彼女の熱心なファンは真っ当な指摘や批判を受け入れず、攻撃的な部分が目立ちます。(中略)
高市さんは媚びない姿勢を売りにする一方で、来日したトランプ大統領と米軍横須賀基地の空母に乗艦し、彼の隣でピョンピョン跳ねてはしゃいでいた。
今後、彼女が交渉しなければならないのはトランプだけじゃないし、アメリカは政権交代する国です。なのに、あんなトランプと心中するかのような姿を世界中にさらすなんて、愚策中の愚策。ベタベタ甘えて『ステキ〜』なんて女性を売りにしたと批判されていますが、むしろホステスとしても三流です。歌舞伎町一の嫌われ者だけどお金だけはある闇金の社長に、みんなの前で『大好き!』と言っちゃう、デビューしたてのキャバ嬢の振る舞いです」
よくぞいった。だが、60超えたオバサンが、トランプの前で飛び跳ねてるっていうのは、可愛げではなく醜悪ではないのか。
高市批判は、政治的なことで批判してもダメだ。だって、まだ何もやっていないのだから。
こういう、彼女の振る舞いやセンスを批判するほうが、彼女には堪えると思う。
高市首相はこれだけ大勝したのだから、このままいけば任期いっぱいまで選挙はしないだろう。しかし、永田町には魔物が住んでいる。安泰だと彼女が考えているなら、足をすくわれるだろう。
新潮は、自民党一強になったが、安倍晋三の時とは違う、周囲の声を聞かない高市政権の危うさを指摘している。
まず、高市首相は党幹部に「予算委員会の野党の質問時間を減らせ」と指示したというのである。
それは、予算委員会を短くすれば、おのずと全体の時間が減り、予算成立が早まるという意図だそうだ。
政治部デスクのいうように、質問時間が削られたら国会審議は形骸化してしまって、いったい国会議員は何のためにいるのかという、民主主義の根幹を揺るがすことになる。
高市首相は人の意見を聞かず、一人で何でも抱え込んでしまうタイプ。人と会わない、国民の生の声を聞かないと、安倍第一次政権のように、本人がボロボロになって退陣ということも十分あり得る。
元NHKの記者だった岩田明子は、安倍は官房長官、官房副長官、総理秘書官が一堂に会するディスカッションの場を1日2回、必ずつくったという。
大臣たちの失言、スキャンダルにもすぐに対応したそうだ。
高市首相も安倍の当時の今井尚哉を内閣官房参与として迎え入れてはいた。だが、今井の助言をことごとく退けていたというのだ。
中曽根康弘には後藤田正晴というご意見番がいた。靖国参拝を止めたのも後藤田だといわれている。
安倍には菅義偉という官房長官がいた。だが、高市政権には人材がいない。これで高市政権が長続きしたら奇跡である。
お次は天皇の長女・愛子さんのお話である。
文春はほかにいい特集がないのか、巻頭に持ってきている。まるで、愛子天皇が決まったかのような持ち上げ方である。
文春によると、愛子さんの存在感は次第に高まっているという。
「昨年十月に主婦と生活社から発売された愛子さまのカレンダーは二万部を超える異例のヒットを記録しています。女性天皇についても、九割が容認という世論調査結果もあるほどです。
一月一八日に両国国技館で天皇皇后両陛下と共に大相撲を観戦された際には、愛子さまのご登場と同時にその圧倒的なオーラに観客が魅了され、自然な流れで大歓声と盛大な拍手が沸き起こった。外国人観光客たちも同様でした」(宮内庁担当記者)
人懐っこい笑顔に明朗な人柄、自然と滲む両親への敬慕。人々は愛子さんのこうした姿に“理想の娘”像を見出すとともに、その気品に心を掴まれていると文春はいうのだ。
原点ともいうべき場面が、ちょうど2年前にあったという。大学卒業を目前に控えた24年2月、東京都美術館で開かれた第98回国風盆栽展の鑑賞のときだったという。
「盆栽といえば、天皇陛下が中学時代から熱中され、その渋さからご学友に『爺』とあだ名をつけられたことで知られる。即位以降、山登りやスキーといったご趣味を控えておられる陛下にとって、今も楽しんでおられる数少ないご趣味でもあります。この年は即位後初めての同展訪問となり、そこへ初めて愛子さまを伴われた。ご自身のご趣味を愛子さまとも共有したいという思いと共に、大学卒業後に本格的な公務デビューを控えておられた愛娘に、公務の在り方を伝えたいともお考えになったのでは。愛子さまのお出ましは、主催者側には当日伝えられたほどのサプライズ訪問でした」(前出・記者)
案内役を務めた日本盆栽協会の青蔭文雄理事長(75)がこう振り返る。
「天皇皇后両陛下はもちろん、愛子さまも盆栽にお詳しいと感じました。皇居にも盆栽が栽培されている庭園があり、そこを散歩なさる際にはつぶさに盆栽を見て回ることが多いと職員の方から伺いました。盆栽展では愛子さまが3種類の花を咲かせる木瓜ぼけに惹かれ、『どうして一つの木から三種類の花が咲き分けられるのですか?』と、自然に木瓜のほうに歩み寄られた。心からご興味を抱かれたようでした」
さまざまな樹齢や樹種の盆栽を鑑賞する中で、愛子さんはこう質問したという。
「こんなに小さな鉢の中で、何百年と命を紡いでいるのは、どういうことなのでしょうか?」
青蔭がこう続ける。
「私は『日頃の手入れが最も肝心。そうして命を何百年と繋げてきたのです』と申し上げました。愛子さまは真剣な眼差しで頷いておられた。何百年と命を繋いでいく盆栽の在り方に、皇室の長い歴史を重ね合わせられたのかもしれません」
この後に、愛子さんの猫に対する愛情についても縷々語られる。
そして、愛子さんのファッションも存在感を高めているというのである。
最初の変化は、60000人余りが来場した1月2日の新年一般参賀だったという。愛子さんのファッションは、昼間の女性の正礼装と位置付けられるローブ・モンタント。胸元にはブローチが輝く。変化したのは、その意匠。黒い宝石があしらわれたブローチだったというのだ。
これについてファッション評論家の石原裕子がこう解説する。
「愛子さまはこれまで、ウエストを強調しないボックスシルエットのドレスなど、コンサバなコーディネートをされてきました。ジュエリーも皇族ファッションの定番であるパールが中心で、デザインもリボンや花といった可愛らしく小ぶりのものが多かった。しかし、今年の一般参賀で選ばれたブローチは、パールだけでなく、オニキスという黒い宝石やダイヤもあしらわれた華やかなもの。デザインも優雅な流線形で、これまでの愛子さまでは考えられない高尚で挑戦的なセレクトでした」
それから3週間後。冒頭の皇宮警察年頭視閲式でも天皇と揃えた黒のコートを身につけたそうだ。手にしていたのは、黒と白が縞模様になった、小ぶりなゼブラ柄のバッグだったという。
前出の石原氏も「アニマル柄はきわめて珍しい」と驚く。
「この日の愛子さまは黒のコートとショートブーツに、白のハイネックというシックな白黒スタイル。そこにアクセントとしてゼブラ柄を合わせた、とても大人びたコーデでした。式典にも登場した護衛馬部隊の馬を意識されたのかもしれません。愛子さまなりに、日頃、警護してくれる皇宮警察への敬意を示すのにぴったりだと考えられたのでしょう」
文春によれば、コンサバな優等生ファッションから脱皮し、個性を表現しつつもメッセージを込めた決意のスタイルだというのだ。
愛子さんの“開花”は、折に触れて詠まれる歌にも表れているそうである。
22年から皇室の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務める歌人の永田和宏(78)がこう明かす。
愛子さんが今年の歌会始で寄せられたのは、昨年11月のラオス訪問を題材とした歌だった。
〈日本語を学ぶラオスの子どもらの明るき声は教室に満つ〉
この一首に永田は「皇族の一員としての強い自覚を感じた」と語っている。
「日本を代表する立場で訪問された先で、子どもたちが日本語を一生懸命勉強してくれていることへの喜びと頼もしさが伝わります。公務として訪問されたという責任感から、単に見聞きされたことを描くだけではない歌が生まれたのでしょう。他に五首ほど候補作がありましたが、全てラオスでの出来事を取り上げておられました」
文春は「皇女の覚醒が、令和皇室に新風を吹き込もうとしている」と結ぶ。
しかし、ウルトラ保守派の高市首相が考えているのは男系優先の皇室典範改正である。これでは愛子天皇誕生が遠のいたとしか思えない。
それならば、愛子さんが自分の将来は自分で決められるようにしてあげるべきである。
彼女の幸せに生きる権利を奪うことは、たとえ首相であってもやってはいけないことであること、いうまでもない。
