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話題のドキュメンタリー映画『蒸発』インタビュー

年間8万人が失踪する現代日本のミステリー “蒸発者”たち、残された家族それぞれの心情

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40以上の国際映画祭で上映された『蒸発』のハートマン監督と森監督

「蒸発」とは本来は液体や個体の表面が気化する現象のことを指すが、人間がこつぜんと姿を消すことも蒸発と呼ばれる。日本では毎年約8万人もの人たちが失踪しているという。実際には保護されたり、居場所が分かるケースが多いのだが、それでも数千人は完全な「蒸発者」となっている。

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 いま海外では、日本で起きている「蒸発」という現象が話題を呼んでいる。社会学者の中森弘樹氏によると、2014年にフランスでルポルタージュ『Les evapores du Japon』(日本の蒸発者たち)が出版されたことがきっかけで、海外のメディアはこぞって日本の「蒸発」を取り上げているそうだ。

 アニメやゲーム文化で知られる日本で、まるでTVアニメの最終回か、ゲームをリセットするかのように人間が姿を消してしまうことが、海外ではミステリアスに感じられているようだ。

 ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀作品賞を受賞したほか、40以上の国際映画祭で上映され、ドイツでは50館以上で劇場公開された、ドイツ・日本の合作ドキュメンタリー映画『蒸発』が、日本でも公開されることになった。

 ドイツのベルリンを拠点に活動するアンドレアス・ハートマン監督、ベルリンで暮らして15年になる森あらた監督に、日本で起きている「蒸発」現象について語ってもらった。

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大阪西成地区にある三角公園。自由を求める人たちが集まる

取材のきっかけは、西成で感じた開放感

 ハートマン監督と森監督の共作となる『蒸発』には、さまざまな事情の「蒸発者」たちが登場する。借金、ブラック企業、息苦しい人間関係からの逃避など、蒸発した人たちの理由はいろいろだ。失踪原因がはっきりしないケースもある。また、蒸発した息子のことを心配する母親、家族に代わって蒸発者を探す私立探偵、蒸発をサポートするプロの「夜逃げ屋」の姿もカメラは追っている。

 まずはハートマン監督と森監督に、取材を始めた経緯について尋ねた。

アンドレアス・ハートマン監督(以下、ハートマン) 私は2014年に京都に滞在し、『自由人』(2017年)というドキュメンタリー映画を撮りました。日本の若い男性のホームレスが鴨川で暮らしている様子を撮ったものです。そのとき取材した彼も蒸発者のひとりでした。彼を取材していく中で、大阪の西成、釜ヶ崎にも行くようになったんです。そこには本名ではなく、偽名を使って暮らしている人たちがいました。夜逃げ屋という蒸発を手伝う仕事をしている人たちがいることも知ったんです。蒸発という現象は日本独自のものに感じられ、とても興味を持ちました。

森あらた監督(以下、) 僕は欧州で18年、ベルリンで暮らすようになって15年になります。ハートマン監督とはベルリンで会い、蒸発というテーマを一緒に取材しようと持ちかけられました。僕自身が日本社会に窮屈さを感じ、誰にも告げずに欧州に渡った蒸発者のひとりなんです(笑)。ハートマン監督と一緒に外国人のような感覚で取材したのですが、自分が知っている日本とは全然違う一面を知ることができたように思います。蒸発した人たちを取材しながら『これって、自分自身のことじゃないかな』と感じていました。日本のイメージが、180度変わりましたね。

 ハートマン監督が興味を持った西成は、日本では日雇い労働者たちが多く暮らすワイルドな街というイメージがあるが、『蒸発』では自由な空気と開放感にあふれた活気のあるコミュニティーとして捉えられているのが印象的だ。

ハートマン すごくポジティブなエネルギーを西成から感じたんです。西成で暮らしている人たちは、自由に、自分の意思で生きているように私には思えました。西成ではカラオケスナックがとても人気ですが、そんな場所が一種のコミュニティーにもなっていて、本当の家族とは離れて暮らしている人たちが“擬似家族”になっているように感じたんです。

 蒸発や失踪と聞くと日本ではネガティブに感じがちだが、ハートマン監督らが回したカメラは、深い挫折感を味わったであろう蒸発者たちが重すぎる重圧から解放され、安堵した表情を映し出している。『蒸発』がドイツや世界各地の映画祭で話題を呼んだのは、すべてを失うことで自由を得るというこのドキュメンタリー映画の逆説的な幸福論に共感を覚えた人たちが多かったからではないだろうか。

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故郷を離れて37年になる「蒸発者」のひとり

「蒸発」は日本ならではの現象なのか?

 日本で起きている「蒸発」は、海外から見るとどこが特異に感じられるのか? ドイツと日本をはじめ、さまざまな海外の文化に触れてきたハートマン監督と森監督に聞いた。

ハートマン 日本では毎年8万人の人が失踪していますが、実はドイツでは12万人もの捜索願が毎年出されています。日本よりも多いんです。でも、ドイツや他の多くの国では誰でも警察に捜索願を出すことができるのですが、日本では家族か特別に親しい関係と認められる人しか届け出ることができないようになっています。なので単純に数字だけで、日本と海外を比較することはできないんです。

 日本の文化では、家族の中から蒸発者が出たことを口外することが社会的にタブー視されているように思います。社会文化の違いは大きいでしょうね。海外では、小さいころから自分の意見を主張することを徹底的に教育されます。それに対し、日本では規則を守ることを最初に教えられる。自分の考えや感情を出すことが、家族間や夫婦間でもしにくい文化のように感じます。そうして溜め込んだものが、あるとき爆発し、抑えていた上ぶたが吹き飛び、一気に蒸気が噴き出してしまう。そんなケースが、日本で起きている蒸発には多いんじゃないでしょうか。

 平野啓一郎の小説を妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝らで映画化した『ある男』(2022年)、佐藤二朗が迫真の演技を披露した『さがす』(同年)など、失踪をテーマにした小説や映画は少なくない。人生をゼロからやり直すというテーマはどこかロマンを感じさせるが、小説や劇映画とは違い、現実はそうロマンティックなものではないはずだ。

ハートマン 確かに、私が最初に映画にしようと思ったのは、蒸発という現象にミステリアスなものを感じたからです。でも、実際に蒸発した人たちから話を聞くと、そうきっぱりと過去を断ち切ることができるものではないようです。それに残された人たちもいるわけで、蒸発した人たちは自分が蒸発した後の世界を知ることはできません。残された人たちのもうひとつの世界、現実の世界もある。必ずしもロマンティックなことばかりではありません。

 僕も蒸発という言葉には、どこかロマンティックな響きを感じていました。誰もが感じていることだと思うんです、今ある生活とは異なる生活を送ってみたいと。でも取材を進めていくうちに、ファンタジーでは済まないシビアな現実の世界があることを感じるようになりましたね。

 会社勤めしていた息子が突然蒸発したシングルマザーは、息子の異変に気づくことができなかった自分を責め、また携帯電話会社などに発信元の場所を教えてほしいと頼んでも「個人情報保護法があるから」という決まり文句で断られ、悩み続ける日々を過ごしていると打ち明ける。ハートマン監督、森監督の取材に彼女が応じたのも、蒸発者に残された家族の気持ちを知ってほしいという願いからではないだろうか。

 そうしたことも理解した上で、ハートマン監督はこう言葉をつなぐ。

ハートマン 現実の蒸発はロマンティックなものではないかもしれません。でも、第二の人生をまったく知らない土地で送ることが可能であるということは、ある意味では希望でもあると思うんです。蒸発者が自由を求める気持ちまでは、否定することは私にはできません。

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家族に代わって、私立探偵は蒸発者の写真を手に繁華街を尋ね回る

AI技術を使い、顔出しOKになった蒸発者たち

 本作に登場する多くの蒸発者、そして彼らの逃亡に協力し、安全な住居や新しい仕事の斡旋までする「夜逃げ屋」経営者の顔は最初は「ボカシ」が入っている。しかし、次に登場するシーンではボカシが消え、顔が映し出されることに驚く人もいるかもしれない。

 実は『蒸発』は海外のみの上映を前提に制作されたため、登場人物たちは「海外なら顔出しでもかまわない」と了承し、オリジナル版はボカシなしで上映されている。

 だが、日本で起きている「蒸発」現象を日本でも知ってほしいと日本でも公開されることが決まり、ボカシの代わりに日本版『蒸発』では生成AIによるディープフェイクを使い、顔や声の一部を加工している。ドキュメンタリー映画に生成AIが使われていることでも注目を集めそうだ。

ハートマン オリジナル版は顔出しだったことも、日本版にAIを使うことも出演者たちの了解を得た上で行なっています。日本版には顔にボカシを入れていますが、ボカシが入ったままでは表情がわかりません。彼らの表情がはっきりわかるよう、AI技術を使ったんです。

 ドキュメンタリー映画でAIを使った先行例はあまりありません。僕たちにとっても挑戦でした。日本でどのように受け入れられるのか気になりますね。AIを使ったことで話題になるかもしれませんが、僕らはそのことはあまり意識しておらず、この映画をご覧になるお客さんたちには“没入感”を味わってほしいんです。僕が『自分のことだ』と感じたように、これからご覧になる方たちも『自分の物語』として体感することができると思うんです。

 蒸発者のひとりは家族や故郷のことが忘れられず、数十年ぶりに実家を目指すことになる。すべてを捨てて蒸発したはずなのに、自分が生まれ育った土地への郷愁までは断ち切ることはできなかった。

 日本版『蒸発』のスクリーンには、AIによって顔が変わった蒸発者たちが自分の心情をとつとつと語る様子が映し出される。人間本来のアイデンティティーとは何か、生きる価値はどこにあるのかを、蒸発予備軍でもある我々は思索する86分になるのではないだろうか。

医療界の抱える闇

(取材・文=長野辰次)

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ドキュメンタリー映画『蒸発』
監督/アンドレアス・ハートマン&森あらた
撮影/アンドレアス・ハートマン 編集/カイ・アイアーマン 音楽/ヤナ・イルマート&竹原美歌 音響/ニルス・フォーゲル、リヌス・ニックル
プロデューサー/アンドレアス・ハートマン 共同プロデューサー/森あらた
配給/アギィ 3月14日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
(C)2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM
https://aggie-films.jp/jht/

アンドレアス・ハートマン
ドイツ生まれ。2014年に京都市にある日独文化交流施設「ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川」に滞在し、ドキュメンタリー映画『自由人』(2017年)を撮影。『自由人』は釜山国際映画祭にて、最優秀ドキュメンタリー賞「釜山シネフィル賞」を受賞した。その他のドキュメンタリー作品に『Days of Rain』(2010年)、『My Buddha is Punk』(2015年)がある。

森あらた
ベルリンと東京を拠点に活動する映画監督、映像編集者、アーティスト。学習院大学日本語日本文学科およびロンドンのセントラル・セント・マーティンズ美術大学ファインアート学科卒業。ヴィム・ヴェンダース監督が選び、新進気鋭の若手映像作家に贈られるヴィム・ヴェンダース奨学金を受賞。初期作である実験ドキュメンタリー映画『ア・ミリオン』(2021年)はライプツィヒ国際ドキュメンタリー映画祭に出品。NHKスペシャルではイランなどの危険地帯に赴き、難民や運び屋を取材した。パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」では、国際エミー賞候補に。

※3月31日(火)発売の雑誌「サイゾー」5月号では、『蒸発』でどのようにAI技術が使われたのかをより詳しく伝えます。

長野辰次

映画ライター。『キネマ旬報』『映画秘宝』などで執筆。著書に『バックステージヒーローズ』『パンドラ映画館 美女と楽園』など。共著に『世界のカルト監督列伝』『仰天カルト・ムービー100 PART2』ほか。

長野辰次
最終更新:2026/03/10 13:00