CYZO ONLINE > カルチャーの記事一覧 > 近藤房之助インタビュー

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生の画像1
(写真:荒熊流星)

 2月15日放送の『NHKのど自慢』は、長崎県大村市からの生放送。いつものように番組を楽しみにしていたファンや、何気なくテレビをつけていた視聴者は驚いた。

「番組初登場です! B.B.クィーンズのお2人!」

 36年前と変わらぬ格好と歌声で披露された大ヒット曲「おどるポンポコリン」に、SNS上でも大きな反響が広がった。

 そんな、B.B.クィーンズの中心メンバーのひとりであり、ヴォーカル・ギターを務める近藤房之助に話を聞いた。

歌舞伎町、西成、モンゴル、インドで出会った強烈な人々

「なかばヤケクソで演奏」された「おどるポンポコリン」

『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)の新オープニング曲「おどるポンポコリン」を、昨年12月からAdoが担当している。当初は「曲の雰囲気に合わない」との声もあったが、ヒャダインによる編曲と、普段の彼女の激しいロック調とは異なる“演歌のような”歌唱が功を奏し、視聴者からは好評を得ている。

 ただし、原曲にあった「ベイベー!」や「イエーッ」といった渋い“合いの手”がないのは、少々物足りない……。

「おどるポンポコリン」は、1990年に発売され、『ちびまる子ちゃん』の初代エンディング曲として使用されたB.B.クィーンズのデビューシングル。これまで36年間にわたり、さまざまなアーティストにカバーされてきた。それだけではなく、高校野球の応援歌としても親しまれている。

 ヴォーカルの坪倉唯子と、ヴォーカル・ギターの近藤房之助を中心としたB.B.クィーンズは、活動休止期間を挟みながらも、現在も中心メンバーの2人が現役で活動を続けている。

「メガネでおかっぱの女性」と「シルクハットにペンで描いたヒゲの男性」という、2人の“仮装”のようなビジュアルも強い印象を残しているが、改めて考えると、「おどるポンポコリン」も異質なアニメソングである。例えば近藤が披露している渋い声のブルージーなコーラスは一体何だったのか?

「それはいろいろ試行錯誤しましたよ。で、苦肉の策があれです(笑)」

 そう語るのは、74歳となった今も精力的にライブ活動を続ける近藤房之助。

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生の画像2
(写真:荒熊流星)

「『おどるポンポコリン』の大ヒットを受けてB.B.クィーンズを結成するわけですが、40歳だったのに、10代アイドル並みの忙しさ。バンド稼業との二重人格的な生活は、本当に疲れましたね」

 実は「おどるポンポコリン」は、ビーイングのスタジオミュージシャンたちによる書き下ろし楽曲で、B.B.クィーンズは同曲のために結成された暫定的なバンドだった。

「ビーイングはいろいろな企画を持っていて、そのひとつが『おどるポンポコリン』だったわけです。なかばヤケクソで演奏した憶えがあります(笑)」

 B.B.クィーンズ結成前はブルーズ・バンドで活動

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生の画像3
(写真:荒熊流星)

 本来の近藤はブルーズ・シンガーであり、B.B.クィーンズ結成前はブルーズ・バンドで活動していた。

「小さい頃は漠然と絵描きを目指していましたが、ビートルズに出会って音楽にのめり込み、バンド音楽を片っ端から聴くようになりました。そんな中、ブルーズを特集する雑誌や、1970年代初頭に放送されたNHK特派員報告『シカゴ・ブルース』を見て、レコードを躍起になって集めるようになったのです。音楽屋というよりディスクマニアですね」

 当時、名古屋を拠点にしていた近藤は、同地で東京、京都、大阪の“音楽屋”たちと触れ合い、ブルーズ・バンド「BREAK DOWN」に参加するため京都へ移る。

「約10年そのバンドに在籍したのち、近藤房之助 & ONE ARMを結成しました。当時は下北沢でブルーズバーも経営していましたが、フルタイムのミュージシャンを目指して、何でもやってみようと思い、ビーイングの企画モノにも参加するようになったんです。そのひとつがB.B.クィーンズ。あの大ヒットには正直、困惑しました」

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生の画像4
(写真:荒熊流星)

 作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎、プロデュース・中島正雄と長戸大幸という豪華布陣で制作された「おどるポンポコリン」は、オリコンシングルチャートで週間1位を7度獲得。発売から半年後には100万枚を突破し、1990年のオリコン年間シングルチャートで1位を記録した。

 さらに同年の日本歌謡大賞では放送音楽特別賞、日本レコード大賞ではポップス・ロック部門を受賞。『NHK紅白歌合戦』にも出場を果たした。

「よく憶えているのは、当時、茗荷谷に住んでいて、短パン、草履、タンクトップ姿で近所のコンビニに行ったとき、店内で『おどるポンポコリン』がずっと流れていたこと。気付かれるはずはないのですが、ものすごく恥ずかしくて、逃げるように帰ったことがあります(笑)」

 同曲の大ヒットを受け、暫定的なバンドだったB.B.クィーンズは3年間にわたり活動を継続。「ギンギラパラダイス」や「ぼくらの七日間戦争〜Seven Days Dream〜」をはじめ、現在も『はじめてのおつかい』(日本テレビ系)で使用されている「ドレミファだいじょーぶ」や「しょげないでよBaby」など、ヒットを重ねた。

74歳でもまだまだ現役でステージに立つ!

「あの大ヒットには正直、困惑しました」――B.B.クィーンズ・近藤房之助が明かす「おどるポンポコリン」制作秘話とブルーズ・シンガーとしての人生の画像5
(写真:荒熊流星)

 バンド活動休止後の1994年、近藤は初のスタジオアルバム『A LOW DOWN DIRTY SHAME』をリリースする。

「強情なワタシは、ここは綱引きだなと思い、本来のバンド稼業に力を入れるようになるんですね」

 90年代後半から2000年代にかけては、FUSA and GRUB STREET BANDをはじめ、近藤房之助 & THE PLACEなどさまざまなバンドを結成し、日本だけではなく、世界を股にかけて、ライブやCDリリースを重ねていく。

「ニューヨークやロンドンでの仕事は、各地のエージェントに自分が納得できるライブ演奏数曲を収めたカセットテープを送ったら、トントン拍子に決まりました。幸運でしたね。そして、バンドはメンツです。それぞれの可能性を思い切り楽しみました」

 以降も、ドラマーの村上“ポンタ”秀一や木村充揮(憂歌団)とのコラボレーションアルバムを発表し、フジロックに出演するなど、ブルーズ・シンガーとしての活動を続けている。

 そして、2011年にはB.B.クィーンズを再結成。2013年には神聖かまってちゃんと「夢のENDはいつも目覚まし!」を発表した。

 冒頭で触れたように、B.B.クィーンズとしての活動にとどまらず、現在も全国各地で毎月のようにライブを開催。京都・磔磔や吉祥寺・STAR PINE’S CAFÉなどで、ステージに立っている。

「邪悪なコロナ禍でもワタシは活動を止めませんでした。そういうところは強情なんです。ただ、レコーディングについては、そろそろ重い腰を上げようと思っています。ここでは言えませんが、テーマは2つ。自分で買い占めたくなるような、良いものを作りたい」

 そんな近藤は、今の音楽業界、そしてAdoをはじめ。30年以上にわたり「おどるポンポコリン」がたくさんのアーティストによってカバーされ、愛されていることについて、こう語る。

「昔は、ワタシの生まれ故郷である愛知県で生まれる音楽や文化が世界に発信されるなんて、まず無理だと思っていました(優秀な日本人はもちろんいましたが)。でも、今の人たちは偉いね。頼もしく思っています。そして『おどるポンポコリン』に限らず、新しい才能がどんどん表に出てくるべきですね。”爺”の刺激になります」

ライブハウス・無力無善寺の店主が断固拒否

(取材・文=千駄木雄大)

近藤房之助(こんどう・ふさのすけ)
1951年、愛知県生まれ。1976年、ブルーズ・バンド「BREAK DOWN」を結成し、京都を中心に活動。1990年、B.B.クィーンズに参加し、「おどるポンポコリン」が社会現象を巻き起こす。B.B.キングやオーティス・ラッシュなど、数多くのブルーズ・アーティストとも共演を重ねてきた。

千駄木雄大

1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「東洋経済オンライン」にて「奨学金借りたら人生こうなった」、「ARBAN」にて「ジャムセッション講座」を連載中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)、原作を担当したマンガ『奨学金借りたら人生こうなる!?~なぜか奨学生が集まるミナミ荘~』(祥伝社)がある。

X:@yudai_sendagi

千駄木雄大
最終更新:2026/03/24 12:00