佐藤健『グラスハート』に「寒い」と拒否反応相次ぐも……皮肉まじりでもいいから“観るべき”ワケ


若木未生のライトノベルを原作としたNetflix配信ドラマ『グラスハート』が話題沸騰だ。7月31日の配信開始から2週間で日本の週間シリーズTOP10で1位、週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)で8位に上り詰めた。劇中バンド「TENBLANK」のアルバム『Glass Heart』も日本のApple Musicのアルバムランキングで1位を奪取し、さらにTENBLANKのアジアツアーの開催も決定した。
しかしながら、日本での作品評価ははっきり賛否両論。Filmarksドラマでは現在5点満点で3.7点とそれなりのスコアで、「演奏シーンの演出がカッコいいし楽曲のクオリティも最高」など絶賛の声の一方、「ツッコミどころが多すぎ」「私の妄想が公開されているようで寒い」などストーリーには厳しい声も多く、「佐藤健が自分に酔いすぎ」など演技面でも批判が寄せられる。
実際に作品を観てみれば、それも納得。「王道の少女漫画的な展開」に「酩酊できるか」または「冷めてしまうか」で、はっきりと好き嫌いが分かれる内容だったのだから。その上で、音楽を主体とした新時代の日本のエンターテインメントとして、間違いなく観る価値がある。内容に触れつつ、特徴や魅力を記していこう。
※以下、ドラマ『グラスハート』の決定的なネタバレは避けたつもりですが、一部内容に触れています。
異なるタイプのイケメンに囲まれて音楽活動をする「女の子の夢」

『グラスハート』のあらすじは、「バンドをクビになったドラマーの大学生・西条朱音(宮崎優)が、天才音楽家・藤谷直季(佐藤健)に再会し、新生バンドへスカウトされる」というもの。平凡に思えた女性が音楽の世界で劇的に人生を変える、恋愛と友情を描くドラマという点から、漫画『NANA』(集英社)を連想する方も多いだろう。
そして、本作の魅力でもあり、最大の批判部分にもなっているのは、佐藤演じる藤谷のキャラクターだ。彼は天才だが、音楽以外のことは無頓着で、「作曲モード」になった時は返事さえもろくにできず、「普通のこととか、当たり前のこととか、そういうの全部苦手になっちゃう」とつぶやく。その上ヒロインには「朱音ちゃんがくれた音だよ」と甘い言葉をささやき、メンバーから反感を買うたびに「ごめんね」と少し笑みを浮かべながら謝ったりもするのだ。
これは非常に少女漫画然とした「守ってあげたくなる天才」像だ。さらに、メンバーのメンター的な役割の高岡尚(町田啓太)、批判的な物言いをするも常識人な坂本一至(志尊淳)、さらにはライバルバンドのボーカルの真崎桐哉(菅田将暉)と、人気俳優それぞれが「穏やか」「ツンツン」「野性的」という、ある種の「王子様」キャラクターに扮している。おかげで「違うタイプのイケメンに囲まれて超人気バンドの音楽活動をする」という、「女の子の夢」のような世界観が構築されているのだ。
意図的にせよ好みが分かれる「ナルシスティック」な演技と「エモ」な演出
とはいえ、その女の子の夢に「酔えない」のであれば、本作は「合わない」だろう。特に佐藤は「儚い天才」へと振り切った演技をしているのだが、その節目がちな表情や、ささやくような言葉は、人によっては過剰にナルシスティックに感じられるのは間違いない。劇中で佐藤演じる藤谷の(側から見れば)自己中心的な振る舞いはたびたび批判されており、つまりはナルシストぶりもある程度は意図的なものと言えるが、それにしたって拒否反応を覚えてしまうのも致し方ない。
演出も「エモ」をとにかく優先しており、特に各話のクライマックスで「心の(あるいは物理的な)距離が近づく」場面で挿入歌を流すという演出も、うっとりできるか、それとも気恥ずかしくなってしまうかで評価が分かれるだろう。そのエモいはずの場面は、1話目では「藤谷が天才がゆえの異様な行動」を示してもいるし、2話目では「交通事故に遭いそうで危ない」とも思ってしまうものなので、せっかくの挿入歌の演出もチグハグ、または逆効果に感じてしまう人もいるはずだ。
笑ってしまうほどの展開も「こういう作品だから」と思えば楽しい

そうした現実離れしたキャラクターや盛り盛りな演出のことを置いておいても、リアリティーの面から考えて「あり得ない」シーンもある。特に取り沙汰されるのは3話のクライマックスで、そのシチュエーションの強引さはもとより、「ピンチに駆けつけた佐藤健の座り方」が「笑ってしまう」シーンとして揶揄(やゆ)の対象になってしまった。
ほかにも井鷺プロデューサー(藤木直人)が異常な権限を持ちすぎだとか、「ファンの少女が実は……」の種明かし部分にミスリーディング以上の意義を感じにくいとか、ツッコミどころをあげるとキリがない。さらに、物語の後半に明かされる藤谷の「よくある」秘密に至っては、「出た! 少女漫画どころかケータイ小説時代の伝家の宝刀だ!」と思ってしまった。
ただ、筆者個人は、こうした少女漫画然とした展開があまりに無尽蔵に詰め込まれているので、もう清々しく感じられるレベルになった。「自分勝手なイケメンに不満を募らせるヒロインに密かな恋心を抱くいいヤツだ!」「良い子だと思ったらイケメンを取り合うライバルの女の子だ!」「あの胸キュン展開もそのドキドキ展開も、ここまでお金をかけた作品でやってくれるのか!」など、「こういう作品だから」とファンタジーとして割り切って、皮肉まじりでもいいので観ることができるのであれば、本当に楽しくなれると思うのだ。
楽曲の高すぎる「絶対条件」のクリアや、映像面は心から称賛したい

ここまで意地悪な書き方をしてしまったが、音楽と映像面のクオリティは掛け値なしに「世界レベル」だと称賛したい。何しろ楽曲を手がけるのは、野田洋次郎(RADWIMPS)に加え、Taka(ONE OK ROCK)、川上洋平([Alexandros])、清竜人、Yaffle、TeddyLoid、たなかというトップアーティストばかり。劇中の音楽は「天才が手がけておりヒットチャートを賑わし大歓声で迎えられる」ため、そこまでのクオリティがないと作品自体が成立しない「絶対条件」かつ、とてつもなく高いハードルがあるわけだが、完全にクリアしていることに驚嘆する。
実際に歌手としても活躍する菅田将暉や、アニメ映画『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』でも美しい歌声を披露した高石あかりの表現力も素晴らしく、さらに佐藤健の歌声も称賛の声が多く、勝手な見方だが彼にとっての「過去のリベンジ」とさえ思えた。なぜなら、2010年の実写映画『BECK』では、意図的にせよ「天才ボーカリスト役の佐藤健の歌声が聞こえない」演出がされていたことが批判を浴びていたからだ。そのほか、1年以上のトレーニングを積んだという俳優陣の楽器の演奏にも「綻び」と思える部分はない。
映像面では、ライブシーンの躍動感も文句のつけようがない。注目は坂本龍一やMr.Childrenのミュージックビデオのほか、21年の映画『恋する寄生虫』も称賛された柿本ケンサク監督が手がけた回で、日常的なシーンでもパキッとしたシャープな画に見惚れるし、1話冒頭での14年の映画『セッション』のオマージュのような「演奏のシンクロ」や、最終10話での「丸ごとほぼライブシーンのみ」での構成と魅せ方には大きな感動がある。
先ほどは「少女漫画然としている」「笑ってしまう展開もある」と揶揄をしてしまった物語部分も、キャラクターのわかりやすい書き分けと、次々にキャラクターの感情を示して先が気になる構成になっていること、そして最終10話に向けて「集約」していく構成に感心する。さらに、脚本家に『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(フジテレビ系)などのアニメで知られる岡田麿里が参加していることも注目ポイントで、特に4話では実に岡田脚本らしい「人間関係のこじれ」が描かれており面白く観られた。
また、原作のライトノベルは1993年から連載されているので、王道の少女漫画らしい展開が今となってはやや古くも見えてしまうのは致し方のないことかもしれない。それでも、SNSやストリーミングなど、2025年の今の音楽シーンへうまく組み換えているところもあり、少なくとも見た目では現代のエンタメとしてふさわしいクオリティになっていたのは間違いない。
佐藤健はキャラクターの「わからなさ」もわかっている

幻冬舎コミックスのインタビューによると、ドラマ版の共同エグゼクティブプロデューサーも務める佐藤健が原作に惚れ込んだ理由は、「『グラスハート』以上に登場人物が魅力的な作品はなかった。だからこそ自分が映像化を手がけるなら、この作品しかないなと思いました」だという。同インタビューでの「原作に泥を塗るようなことはしていないつもりです」といった言葉から、その愛情と覚悟は伝わるだろう。
その佐藤は、自ら演じた藤谷について「僕のこういう生き方をしたいという美学をまさに体現している人」と憧れを語っている。それが劇中の演技のナルシスティックさにつながり、賛否を呼ぶ結果になってしまったのかもしれない。一方で、佐藤は同インタビューで「藤谷みたいな人間にはなれないし、同じことはできない」と自身とは完全に同一視できないことも語っている。
その上で、佐藤は「藤谷って何を考えているかわからないじゃないですか。彼の本当の気持ちがどこにあるか、なかなか読者にもわからない」と、藤谷が共感しづらいキャラクターであることを前提にしつつ、「だけどもドラマオリジナルの部分で、(野田)洋次郎の曲がすべて語ってくれた」とも話している。佐藤は藤谷のキャラクターの「わからなさ」もわかった上で、作品の楽曲がそれをカバーするどころか、「すべて語ってくれる」ほどに楽曲を信頼し、だからこその大きな感動もある作品に仕上がったと言えるだろう。
いずれにせよ『グラスハート』が賛否を呼ぶ作品であることに異論はないが、序盤の少女漫画然とした展開で過剰に拒否反応を持ってしまうのはもったいない魅力があるし、特に最終10話では「ここまで見届けていたからこその感動」があるのもまた事実だ。前述したように皮肉まじりでもいいので、ぜひ楽しんでほしい。
(文=ヒナタカ)
参考:佐藤健スペシャルインタビュー::グラスハート::幻冬舎コミックス|若木未生が贈る、伝説の青春×音楽小説!
https://www.gentosha-comics.net/event/glassheart_interview.html
※宮崎優の崎は「たつさき」が正式表記
※高石あかりの高は「はしごだか」が正式表記