松村北斗主演『秒速5センチメートル』、アニメ未見でも受け入れられる理由とは? 賛否から紐解く“改変点”


2007年に公開された新海誠監督による同名アニメ映画を実写化したSixTONES・松村北斗主演『秒速5センチメートル』が劇場公開中だ。10日間で興行収入10億円を突破するヒットとなっており、映画情報サイト「映画.com」では4.0点、「Filmarks」では4.1点(10月23日正午時点)と評価も高い。既存ファンが多く、「どうしたって文句が出てくる」リメイク作品としては、大成功と言っていい結果だろう。
それでも、アニメ版からの「改変」のいくつかが、熱心なファンにとっての注目ポイントであると同時に、賛否を呼んでいるのも事実。そのことを記しつつ、さらに「アニメ版を未見でも意外と受け入れられた」作品になった理由もまとめていこう。
なお、10月24日深夜24時25分から、フジテレビにてアニメ版『秒速5センチメートル』が放送される。実写版を見た人もそうでない人も、この記事を読んだ上で放送をチェックすれば、作品への理解がより深まるだろう。
※以下、『秒速5センチメートル』アニメ版と実写版それぞれの内容を含みますのでご注意ください。
ファンからの賛否1:構成の変更
アニメ版からの最も大きな変更点は、「短編3作のオムニバス」だったのに対して、実写版では「1991年および高校生の頃の物語が回想として、現在(2008年)と並行して描かれる」ことだろう。その構成は、一本の映画としてのダイナミズムを感じやすく、「過去に囚われている」ような主人公・貴樹(松村)の心理をより汲み取りやすい効果を生んでいるといえる。
一方で、アニメ版のように時系列に沿って物語を描くほうが、「過去にはもう戻れない」という時間の不可逆性が強調されている印象を持つ。どちらも「苦さ込みでの思い出を持ちつつも、人生を肯定する」作品の主題にマッチした構成といえるが、好みは人によってはっきり分かれるだろう。
ファンからの賛否2:山崎まさよしの挿入歌の使い方
さらに、原作ファンから激しい賛否を呼んでいる具体的なポイントには、山崎まさよしの挿入歌「One more time,One more chance」(1997年)が流れるタイミングの大胆な変更がある。同楽曲は実写版の劇中でDVDとして登場する山崎の初主演映画『月とキャベツ』(96年)の主題歌でもあり、『秒速5センチメートル』という作品の「顔」と言っていいほど歌詞が物語にシンクロしている楽曲なだけに、「そこは変えないでほしかった」と思ったファンも多いだろう。
ただ、筆者個人は「これまでの思い出が集積していく」貴樹の心理は共通しているし、アニメ版ではやや唐突に感じられた“ミュージックビデオ的な使われ方”に対し、実写版では“具体的な貴樹の行動にリンクする形”で使われるというのは、なかなか理にかなった変更であると思えた。
ファンからの賛否3:「ヒロインに寄り添う物語ではない」印象
さらに、高校生時代のエピソードは、アニメ版ではヒロインの1人である花苗(実写版では森七菜)のモノローグが多く、「主人公が花苗へと切り替わった」ような印象があった。一方で、実写版では貴樹の描写が付け加わり、物語全体の主人公が貴樹のままで、「花苗に寄り添う物語ではなくなった」ように感じられた。これにより、「花苗にとって望んだ通りにはならなかった」切なさをさらに際立たせる効果を生んでいるといえるが、アニメ版の花苗が好きだった人にとっては、不満が出るのも致し方ないだろう。
総じて、アニメ版のファンにとっての実写版『秒速5センチメートル』は、「原作の切ない物語をリスペクトし、かつそのままトレースするだけでなく、実写映画にうまく落とし込んでいる」と感じるか、また「原作に忠実にして欲しかった」と思うかで、好みが分かれると言っていい。
アニメ版未見でも受け入れられる理由は「モノローグ」のカットにもある?
一方で、アニメ版を未見で今回の実写版を見た人からは、「劇的な物語ではないことに驚いた」「純粋すぎて眩しい」といった、多少の「戸惑い」や「気恥ずかしさ」込みで称賛している意見が多く上がっている印象だ。その理由は、原作で多用された「モノローグ」の多くがカットされたことも大きいのではないだろうか。
それらのモノローグは登場人物の心情をポエティックに綴る、もちろんアニメ版の大きな魅力であった一方、それぞれが自身の切ない感情に「耽溺(たんでき)」している印象も強い。ある種の抽象化された表現のアニメではない実写映画で、これらのモノローグを安易に再現してしまうと、「自己陶酔しているような気持ち悪さ」や「過剰な説明」のように感じてしまう可能性もあっただろう。
しかし、今回の実写版では、2008年の大人になった貴樹の描写がとても多く、「誰かとの関わりの中で自分の思いを口にする」場面も付け加えている。これは、今作を手がけた奥山由之監督の作品『アット・ザ・ベンチ』(24年)とも共通している「会話からその人の世界や価値観が広がる」面白さであるし、その切実な心情の吐露は共感を得やすい。
さらに、現在の貴樹が「30歳を目前にしている」という設定も強調されており、それは年齢の「節目」に何かを考えてしまう多くの人が共感しやすくなる効果を生んでいる。アニメ版を知らなくても、「アラサー世代」にもピンポイントで「ささる」内容になったと言っていい。
新海誠監督の「作家としての成熟」にもリンクした変更かもしれない
アニメ版では、登場人物たちの「自己完結」ともいえる物語が、今回の実写版で「誰かとの関わり合いで変わる」というベクトルへと変化していることは、アニメ版を手がけた新海監督の「作家としての成熟」ともリンクしているといえる。例えば、『新海誠の世界 時空を超えて響きあう魂のゆくえ』(著:榎本正樹、KADOKAWA)では、新海監督による以下の言葉が記されているのだ。
「いつまでも今のままの自分でいたいと思っている人って、多くはない気がします。自分はこう変わりたい、こういう人生を送りたいという気持ちを、皆切実に抱えていると思うんです。それらを叶えてくれるものは、他者との出会い以外にありえないのではないでしょうか。自分1人で内発的に人生を変えていくことは難しいと思います」
実際に新海監督による後年の『すずめの戸締まり』(22年)などではモノローグがほとんどなくなり、物語としても登場人物が「他者との出会いで変わっていく」ことがはっきりと感じられる。作り手が明確に意図したことではないかもしれないが、今回の実写版『秒速5センチメートル』で見られたアニメ版からの数々の改変は、新海監督という作家へ、やはり多大なリスペクトを捧げた結果にも思えるのだ。
松村北斗がほぼ満場一致で称賛される理由
そんなわけで、全体的には好評寄りでありつつも否定的な声にも納得できる実写版『秒速5センチメートル』であるが、満場一致とさえいえるレベルで称賛されていることがある。それは何しろ主演の松村北斗だ。
全体的には「どこか冷めている」「表向きには平気そうに思える」ような印象がありながらも、どこか影を感じさせる。そして、実写版オリジナルとなる「誠実で切実」な心情に当てはまる言葉を探しながら少しずつ語る場面での松村の表情が忘れられない。アニメ版の貴樹という主人公の「その先の物語」を見届けたような感慨もある。今回の実写版が成功したのは、彼の存在感と演技力によるところがあまりに大きい。
また、今作で演じた貴樹は、松村が近年出演した作品のキャラクターとシンクロする部分も多い。上白石萌音とダブル主演した『夜明けのすべて』(24年)は、「他者との距離」を感じさせる山添という役柄と「プラネタリウム」という要素が共通している。また、主演・松たか子と相手役を演じた『ファーストキス 1ST KISS』(25年)では、クールで朴訥(ぼくとつ)とした印象の駈役を好演し、思い人への切実な心情を吐露するなど、貴樹と重なる部分があるだけに、『秒速5センチメートル』で松村が気になった人は、これらの過去作も併せてご覧になってほしい。
(文=ヒナタカ)