【24年秋ドラマ】『全領域異常解決室』最終話 緻密なファンタジー設定とエンタメ心、そして藤原竜也の超絶芝居
町をうろついていると、たまに「3回食べてみてください 絶対ハマります」みたいな看板を出している飲食店を見かけることがあります。個性の強いスパイスカレーなんかを出すお店に多いような気がしますね。そういうのを見ると、「じゃ3回タダで食べさせてよ」という気分になるものです。
カレーはタダじゃないけど、ドラマを見るのはタダですからね。『全領域異常解決室』(フジテレビ系)、第1話では気に食わない部分もあったけど(モザイクスプレーな)、2話、3話と進むうちに、これはなかなかいいじゃないかという気分になってきまして、第5話の終わりで興玉さんが「僕も、神です」と言ったところで完全にハマりました。
おもしろかったし、クール中盤でのドラマそのものの領域展開には興奮しましたね。なかなか、ドラマを見るという行為では得られない類の体験だったと思います。
最終回、振り返りましょう。
あらすじ紹介はもういいでしょう
「事戸渡し」という事象の設定がめちゃくちゃ秀逸なんですよね。
人間の体を借りて生きている神様が「事戸渡し」を受けると、神様としての記憶を失って人間になる。
「事戸渡し」を受けた神様が借りていた人間の体が死ぬと、その神様は消えてしまう。ついでに、その体も遺体としてその場に残ることなく、消失する。
神様のことを知った人間は、必ず「事戸渡し」を受けて神様についての記憶を消されなければならない。
「事戸渡し」は、神様自らが行って自分の神様としての記憶を消すこともできる。
「事戸渡し」を行えるのは神様だけだが、飛鳥時代に一人だけ「事戸渡し」を習得した人間がいる。
このあたりが矛盾なく物語に作用して、神様という存在の持つ力と、その存在の儚さ、さらに人間の記憶、つまりは「人を大切に思う気持ち」が消えていく切なさを見事に語り切っていたなと感じます。
ここに「不老不死」という設定が加わることで、物語の展開できる幅が大きく広がっている。第6話、不老不死の美容家が神様と恋をして、記憶を消されても「必ず、必ず、(来世の)彼と出会ってみせます」と言ったシーンなんて、この設定の真骨頂でした。
この設定の真骨頂をドラマ的にめちゃんこ素敵なシーンで説明してくる。しかも、領域展開した次の回で伏線設置として済ましておく。ホントによくできたお話だったと思います。
そして6話から9話までどんどん重苦しくしておいて、最終回の神様アベンジャーズ感だったり、京都の神様の愛らしさだったり、ちょっとテンションを抜いて楽しくしておいて、いよいよ藤原竜也と広瀬アリスのロマンスと「ヒルコの正体」という2つのクライマックスに突入していく。貫録あふれる作劇だったと思います。
そして、最終回に来て藤原竜也のお芝居のスパークも見ることができました。絶叫を期待していたけれど、それ以上に切ない表情でしたね。アリスの手を取って「呼び出しの鈴が聞こえました」と語りかけるシーン、42歳にもなって、こんな瑞々しい少年みたいな表情が出せるなんて。TVerで4回見直してしまいました。すごい芝居。声もいいんだよなー。
ラストで病室から姿を消した二宮のの子(成海璃子)、鈴をちりんとならす小夢っち、余韻もカンペキですし、何より得した気分になります。こんな面白いやつを最後まで見られて、得した気分。よかった!
あとは好みの問題
前回、「ヒルコの正体」が何か、人の意思の介在しないAIから自然発生的に生まれてしまった宇宙意思のようなものだったらいいな、といったことを書きましたが、結果的にめちゃくちゃ人間臭い個人のエゴでした。
このへんは好みの問題で、全然いいと思う。メッセージそのものについては、現代だけじゃなくデマに踊る大衆なんて大昔から問題だったし(井戸に毒とか)、「現在を刺したか」といえばそうは言い切れないと思うけど、それはもうこっちの好みに寄せろっていう要求になってしまう部分なんですよね。
個性の強いカレーを食べて、それにハマったからこそ「もうちょいクミンを効かせてほしかった」とか思っちゃう。この人たちなら、身勝手なリクエストにも応えてくれそうな気がしちゃう。そういうところまで連れてきてくれるドラマの存在は、本当にありがたいことです。
(文=どらまっ子AKIちゃん)