『おむすび』第75回 ラーメンの天才・藤原紀香、その才能を無駄にするな
「あれから17年か~」ということで、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第15週「これがうちの生きる道」が終わりました。
阪神・淡路大震災を扱うドラマとして、1月17日を通過する週ですから、まずはここに向かって走ってきたわけです。この日に何を描くかで『おむすび』というドラマの真価が問われることになる。
結果としては、「何を言っているのかわからない」という感触でした。
何がやりたかったのかはよくわかります。実際の映像に重ねて、結さん(橋本環奈)たち、神戸の人たちがあの日に思いを馳せる。深い傷を負ったその日を、主人公である結さんの新たなスタートの日とする。そういうことをやりたかったのは、よくわかる。
それをやろうとして失敗した。なんかこう、『おむすび』というドラマが失敗していることが明確になった週だったと思います。
ろくにスケジュールを渡してこない人気俳優を主演にして、ギャルだ震災だ栄養士だとコンセプトを詰め込んで、おそらく脚本にも各方面からの多大なリテイクが入っていることでしょう。逆に、これを作っている人たちの中に「俺たちのやりたいことは完璧に実現できている」と言える人がいたなら、それこそ恐怖でしかない。
第75回、振り返りましょう。
まずその「震災の痛み」の描写に失敗している
1995年の1月17日、阪神・淡路大震災を神戸で体験した結さんが、どんな痛みを抱いたのか。具体的に、何に傷ついたのか。何を失ったのか。それを描こうとしなかったのが最初の失敗だったと思います。
糸島で結さんは、海を眺めながら「全部消えちゃう」とか言って、シケた顔をしていました。どうやら震災でつらい思いをしたらしい。6歳の子から、10年以上にわたって笑顔を奪ってしまうほどのことがあったようだ。姉のアユ(仲里依紗)に「マキちゃんのことは私だってつらい」と食って掛かったこともあったし、エピソードトークで翔也(佐野勇斗)を泣かせたこともあった。
その一方で書道部のイケメン王子に美顔を寄せられれば「うちの青春、始まった!?」とハシャいでみたり、他校のイケメン野球部に弁当を渡せば感想メールを待ってウキウキでセンター問い合わせを繰り返したり、普通に恋愛を楽しむ少女としても描かれている。
心に傷を負った女の子が恋愛したって別にいいと思うけど、これだと「心に傷は負っているけれど、イケメンと仲良くなれれば平気な子」になってしまうんです。ドラマの筋とは関係なく「恋する乙女・橋本環奈、キャピ♪」を演出してしまったために、アンバランスが発生している。
この時点で結さんの心の傷が見えにくくなっていたんですが、さらに実際に描かれた震災の回想で、結さんはずっと平気な顔をしている。おむすびが冷たければ「チンして」と言うし、マキちゃんが死んだことを知ったときもどんな心境だったかは描かれていないし、何に傷ついたのかがまるでわからない。
後に「チンして」発言を後悔しているというくだりもありましたが、「チンして」発言と「全部消えちゃう」的な思想はつながりようがない。アユのギャル化による家庭不和だって、結さんはアユがマキちゃんの遺志を継いでギャルになったことを知らなかったわけだから、結さん視点で見れば震災とは関係がない。
つまり、阪神・淡路大震災は結さんという人間から何も奪うことができなかったのです。言い換えれば、ドラマは「震災で傷ついた結さん」を演出したかったのに、当時6歳という設定にしてしまったために、結さんを傷つけることができなかった。傷つけることができなかったのに、ずっと劇中で「傷ついている」と言わせ続けてきた。そうして迎えたのが、1月17日放送の第75回だったわけです。
深い傷を負ったその日を、主人公である結さんの新たなスタートの日とする。
それをやりたかったはずだけど、できるわけないんです。深い傷を負ってないんだもん。「管理栄養士になる」という決意は確かに再スタートではあるけれど、震災には関係がない。開始から2カ月にわたって描かれた糸島時代のすべてが、ゴミ箱に捨てられた瞬間でした。
その決意のきっかけにも失敗している
それがスケジュール都合なのか何なのかは知りませんが、出産したばかりの結さんは東日本大震災にも向き合うことができませんでした。
カスミンから現地報告を聞いて、「ウチにできることって……」と深刻な顔で言っていたのが昨日。「つづく」とテロップが出ていましたので、今日はその続きだと思って見てみたら、全然続きじゃなかった。
黙祷して、自分の子に震災のことを語り継いでいこうという思いを新たにしますが、それは神戸に住む人が去年もおととしも1月17日にはやっていたことのはずで、東日本大震災とは関係がない。
そもそも当時6歳だし、震災後すぐに糸島に引っ越したから具体的な復興の様子も見ていないし、当時の学校でどんな授業が行われていたかも知らないし、たいして語り継げることがない。この人は自分に震災の記憶があるのかないのか、それさえあやふやなんです。だから「花が大きくなったら、あの日のことちゃんと話そうと思った」と言われても、何を話すのか想像ができない。内容が想像ができないから、セリフが意味をなさない。
東日本大震災に際して主人公が何を思ったのか、何をしたのかを描かなかったことで「震災を適当に扱っている」という印象を与えた『おむすび』ですが、もうひとつ「何を思ったのか」が描かれなかった重要な転機があります。
母になる、ということです。
はっきり言って、遠くで起こった震災なんかより自分が人間を産み落とすことのほうが、個人にとっては大事件であるはずなんです。
このドラマでは、主人公である結さんが母になることについての葛藤や不安、喜びさえも、一切描いていません。苦痛すら、突然の腎盂腎炎と抱き合わせで味わわせるだけだし、育児に忙殺されるストレスもない。
妊娠がわかって何を思ったかもわからなければ、産んでみてどう思ったかもわからない。結果、結さんが母になったことが「東日本大震災の現地に行けない」という撮影都合についての言い訳と、先輩管理栄養士と出会うきっかけ作りとしてしか作用していない。
人間を描く上で、人生初の妊娠・出産という超大型イベントにおける心情が描けなかったことも、このドラマの大きな失敗になっていると感じます。
そのほか、今回の細かい失敗
藤原紀香がバスガイドを辞めて管理栄養士になった理由を結さんに聞かせる場面。もう固形物を食べられなくなった重病のママが「ラーメンを食べたい」と言い出し、ラーメン屋にスープのレシピをもらって家で作ったらすごく喜んだ。そのラーメンのおいしさがママに活力をもたらし、寿命が伸びた。おいしいラーメンスープは人を幸せにする。
だから私、ラーメン屋になったの!
だったらわかるんですけど、なんでそれでバスガイドから管理栄養士につながるのか。ママの寿命を伸ばしたのは栄養じゃなくて、あんたが作ったラーメンスープの味だったんでしょう。マジでラーメンの才能あると思うよ。今からでもラーメン屋やったらいいのに。
それと、バスガイドは左手を上げて「左手に見えますのは~」とは言いません。乗客と対面して、左手を上げながら「(乗客の)右手に見えますのは~」とやるのがバスガイドの仕事です。
育休から戻ることになって社食を訪れた場面。代理の栄養士が入っていることを結が知らなかったのも変です。この日まで、結は社食メンバーと一切の関りを断っていたことになってしまう。
自分が戻ったら代理の子がどうなるかも、あんたじゃなく会社が考えることです。ここで育休から戻ることを結がためらう描写がありましたが、これは放送免許を持つ公器として絶対にやっちゃいけない描写でしたね。育休を堂々と取る、明けたら堂々と戻れることを保証するのが育休制度の意義であって、「気を使って復帰をためらうのが美徳」とするのは時代に逆行してます。
このバスガイドの件と代理栄養士の件は、2つとも『おむすび』というドラマの社会的常識の欠如を象徴しています。普通の大人がわかってることを、わかってない。こうしたリアリティのなさもまた、このドラマが失敗していると感じさせる部分です。
結が翔也に管理栄養士になる決意を伝える場面。
「うち、困っとう人がおったらすぐ助けるの、ずっと……」
もうこっから先は耳に入ってこないんです。おまえの目の前にいる人を見ろ。そいつが人生最大に困っとうときにおまえが何をしたか思い出せ。
あの翔也の一件で、結という人は「困っとう人をすぐ助けないで遁走する」人物であることが明確に語られています。誰でもない、自分の彼氏ですら助けない。もちろん東日本大震災の被災者も助けない。そういう人を描いておいて「すぐ助ける」のが「うちの生きる道」だと宣う。
1月17日という節目に、主人公に「うちの生きる道」を表明させました。その「道」は、主人公自身がすでに閉ざしています。これ、めっちゃ失敗してるよね。「生きる道」がないんだもん。
NHKさんには、この失敗を糧に次回作以降がんばってほしいところです。『おむすび』はもう無理だと思うので、せめて「おもしろトンチキなツッコミ待ちドラマ」として明るく楽しくやってほしい。今日はそれくらいな感じ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/