『おむすび』第82回 作り手が信じてないものを、見る側が信じられるわけないんです
「しかしこいつら、いっつも太極軒だな」と、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』を見てきた人なら一度は思ったことがあるはずです。
結(橋本環奈)と翔也(佐野勇斗)のデートはもちろん、カスミン(平祐奈)が家出してきて、結ママ(麻生久美子)とカスミンママが密談していたのも太極軒だったし、結が翔也と別れてなっちゃんの大学の友達と合コンしてたのも太極軒。荒んだナベ(緒形直人)も太極軒で3000円分くらいひとりで飲んで酔っ払ってたし、翔也が炊飯器アンケートでがんばった日に結が「打ち上げしよう」と言ったのもここ。いっつも太極軒だった。ほかに飲食店ないのかよ。
でもドラマだし、まあセットにも限りがあるし、そこは飲み込んで我々も前に進んでいきましょうと思ってきたころに、こういうことを言ってくるんだよな。
「うちの商店街、飲食店多いから」
うるせえよ。なっちゃんかわいいし、適当に遊んでそうだし、ボランティアとかちゃんと行くし、就活もコンビニの本部に決めちゃうほどがんばったみたいだし、たぶん面接でパラパラとか踊ってないだろうし、けっこう好きだったんだけどな。こういうこと言われると嫌いになっちゃうのよ。
なんかホント、よさげな人物が何かしゃべるたびに愛着がなくなっていく。変なセリフをあてがわれたせいで、裏切られたような気分になるんだよね。緑子も昨日の「焼き立てパンをシカト」からの「小売店」で、かなり好感度下がってます。気を付けて!
第82回、振り返りましょう。
聖人、初孫に目をくれろ
スケジュール都合か何なのか、ここまで商店街の危機に絡んで来られなかった主人公の結さんでしたが、満を持しての登場となりました。なっちゃんが「名物メニューの考案だ!」といつものようにお膳立てを整え、結パパ(北村有起哉)が大阪のアパートに馳せ参じることに。目に入れても痛くないほどかわいいはずの初孫には目もくれず、こうべを垂れて結様にお告げを乞うのでした。
ヘイ、グランパ! 初孫に目をくれろ。
こういうところなんだよな。人の感情を疎かにしてる。もともと自分たちが作った嘘っぱちのキャラクターに魂を吹き込み、血を通わせるのがドラマの仕事でしょう。そこに実存を見るから、私たちは感動したり共感したりするんでしょう。なんであえて、逆に血を抜くようなことをするのか。ノンジ氏、吸血鬼なのか。
こんなのさ、
グランパ「はぁぁ~花ちゃん今日もかわゆいでちゅねぇええ~」
翔也「この人、だいじか?」
結「ちょっとお父さん、何しに来たのよ」
グランパ「おお、そうやったそうやった。あのな、商店街がな」
翔也「商店街? だいじか?」
とかやっといたらいいじゃん。結が糸島時代に、書道王子に対してぽやーんとしてたでしょう。あれを北村有起哉にやらせるんですよ。たったワンターンでいい、そういう会話さえあれば人物に血が通うんです。
まあいいや。ともあれ結様が神通力を発揮して新メニューを考案。オーロラ餃子とメロンパンが四次元ポケットから出てきたみたいにすぐ完成しちゃう。これだって、「そんなにすぐ思いつかないよ、宿題にさせて」としておいて、勉強と育児の合間をぬっていそいそと試作する結さんと試食する翔也を撮ればいいのに。
翔也「なんだこの餃子の色、だいじか?」
結「いいから食べてみてよ」
翔也「うめ! こんなにうめくてだいじか!?」
とかやればいいのに。橋本環奈って事務所的に「がんばるシーンNG」なのかと思っちゃうよ。なっちゃんと聖人の食レポもどきも別に悪くないけどさ、情緒とか苦悩とか、そういうものの出しどころがずっとズレてるんだよな。
集客という課題への正解
『おむすび』では過去に集客についての正解が示されています。結ママが客足の伸びない床屋のホームページを作って、客が殺到したという事例がありました。
その現象自体に説得力があったわけではないけれど、少なくとも『おむすび』は「ホームページを作れば、客が現れる」という『フィールド・オブ・ドリームス』(90)でいうところの「野球場を作れば、彼がやってくる」的な世界線であることを明言しているわけです。
作れよ、商店街のホームページを、今こそ。起こせよ。ムーブメント。
なっちゃんも「ネットで拡散」とか言ってたのに、いざ試食したときはチラシ配りやらポスティングやら急にアナログな人海戦術を提案してるし、結ママは結ママで「日本中の人が見てる」ブログを持ってるのに、そのブログでアピールしようというアイディアが出てこない。ガジェットとか伏線とか、そういうものの出しどころがずっとズレてる。
この「愛子ブログでアピール」というアイディアが即座に出てこないことって作劇上けっこう深刻な問題で、要するに脚本側が自分たちで作った「愛子ブログは日本中で大人気」っていう設定を信じてないんです。本気で「日本中で大人気」だと思ってないの。作り手が信じてないものを、見る側が信じられるわけないんですよ。
亡き人の、声を忘れる
緒形直人のお芝居の説得力もあって、「マキちゃんの声を忘れていく」という痛みはそれなりに伝わってきたんですよ。ああ、切ないなって思ったの。それはどうしようもないことだし、結ママが言った「忘れるのは、前に進んでいるから」という言葉もさ、忘却に対する諦念と、その罪悪感への慰めとして適切だったと思う。
だってもう二度と、誰もマキちゃんの声を聞くことはできないんだから。ナベも私たちもみんな年齢を重ねていくし、忘れてしまうのはどうしようもないことだから。
でも、例えば自分たちが死んでいくことだって「マキちゃんの声を聞きに行く」と思えば、悲しいことばかりじゃないじゃん。あの人の声を、もう一度聞きたい。そういう小さな願いを心の隅に置いておけば、死ぬまで生きていけるじゃん。そう思ったんです。もう時間は戻らないから、どうしようもない思いを抱えて生きていくしかないから、だったら「前に進んでる」って思い込んで明るく生きていくほうが、マキちゃんだってきっと笑ってくれるじゃん。
珍しくしんみりしてたんだよ。なんだよカセットテープって。物理かよ。こっちも四次元ポケットかよ。そういうことじゃないだろ……。
マジで情緒とか苦悩とかガジェットとか伏線とか、そういうの全部ズレてるんだよ。
だいたいさ、そのカセットテープを持ってるんだったら、アユさんあんたは今まで何回そのテープを聞き直したの? なんで初っ端ナベに「墓参りに来るな」と言われたときに、それを出さない?
なんだろう、この感じを言葉にするのは難しいんですけど、とにかくズッコケたよ。カセットテープの登場にはズッコケました。ここまで大胆不敵な「後付け」ある? すげえな、もう恥も外聞もないんだな。
いよいよ本当に試練になってきたと思う、『おむすび』を見続けるという行為が。迂闊にしんみりしちゃうと、すごく損した気分になる。
心を強く持って明日を待ちましょう。とにかく、「まきとアユ」とラベリングされたテープの内容がまったく想像つかないのが本当に怖いです。怖。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/