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沖田臥竜の直言一撃!

フジテレビ会見で露呈した記者たちの暴力性―報じることのリスクと責任とは?

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フジテレビ本社ビル(写真:Getty Imagesより)

 中居正広問題を報じた「週刊文春」は、1月27日に行われたフジテレビの記者会見をどのように見ていたのだろうか。同局の経営陣をあのような場に引きずり出して満足なのだろうか。きっと違うだろう。

フジのお粗末会見、批判する他局も同じ

 一方で、感情的になり、ルールを守らず大声を出して、経営陣を糾弾する一部の記者たち。こんな連中がいるから、フジテレビに限らず、企業はクローズドで会見を行いたくなるのだろう。騒ぎたいだけ、目立ちたいだけの自己中心的な記者には、到底理解できないはずだ。

 中居問題を受けて、フジテレビサイドは責任を深く受け止め、会長と社長が辞任を表明した。企業として、現時点でこれ以上の責任の取り方があるのだろうか。納得がいっていない人たちには申し訳ないが、私はそれで十分だと思う。今、役員がこれ以上退任したら、それこそ真相究明や信頼回復に努めなければならない局内のガバナンスは崩壊してしまう。

 私は昨年12月半ばには、文春が中居問題で取材に動き出し、問題に関係していたとされる編成局長のA氏を追っていたことを把握していた。記事化の照準を年末の合併号に合わせていたのも知っていた。付け加えれば、その文春よりも半年前に、この問題を追っていた週刊誌があることも知っていた。そして、年末年始のテレビ局の動きも分析することができていた。問題が弾けるのは、年明けからだということも。

 だが、果たしてだ。当事者間で示談が済んでいる問題を、週刊誌がどこまで書ききれるのかと考えていた。

 これまでも、示談になったトラブルが記事化されたケースがないわけではない。その際、被害者の匿名性を担保し、人権を守らなければならないよう、最善の注意を払うことは報じる側の責務だった。

 だが今回、まさか文春が被害者に直当たりして、その声を文字化するとは思いもよらなかった。私だけではない。多くの媒体が、文春の記事に驚いたはずだ。

 示談したことは、加害者側が免罪符を得たこととはイコールではない。だが、示談は両者合意のもとで成立する。そこには当たり前の守秘義務も存在するはずだ。被害者に直当たりすれば、被害者が意図せずとも、守秘義務違反というリスクを冒す危険性がある。そんな状況下での文春の報道には、違和感を覚えずにはいられなかった。被害者は本当に問題を告発したかったのか。告発することのリスクを認識していたのか。今回の報道は被害者が望んだものであり、社会的に正当化されるのであれば、示談をしなければよかったのではないかと、当たり前の疑問が生まれてこないだろうか。

 私は週刊誌の仕事をしているし、危機管理的な側面から情報を扱う仕事もしている。そのため、他の誰よりも知っていることが多数ある反面、絶対に書けないことも抱えている。その分別について、私は私の中で判断している。少なくとも、お祭り気分にでもなってるかのごとく、記者会見で騒ぎ立てるだけのモラルもない記者たちとは違う。

 情報は生き物である。常に変化するのだ。だから、どの問題においても結末はわからない。正しい情報の扱い方なんてものもない。しかし、当事者の中居くんが芸能界から引退し、港浩一社長と嘉納修治会長が責任をとって辞任するのだ。

 記者会見での責任追及は、もう十分ではなかったか。あのように多勢に無勢で、長時間吊し上げる必要があっただろうか。「人権」を声高に叫んでいた記者たちは、彼らの人権をどう考えているのだろうか。

言葉の暴力で相手を痛めつける記者たち

 何度も言うが、当事者間で示談が成立しているのだ。トラブルの最中ではない。各々が歩み出していた。そうした場合、何が大切になってくるのか。これからのこと、今後のことだろう。問題の背後にフジテレビはどう関係していたのか。その真相究明はこれから時間をかけてしっかりやると言っているではないか。そんな中、記者会見で揚げ足を取ることが何かの役に立つのだろうか。バカバカしくないか。それがデリケートな問題に向き合う記者としての姿勢だろうか。記者会見で騒ぎ立てていた記者たちからは、国民の知る権利を委任されているという真摯さを感じることはできなかったのだ。

 今回、大きな騒ぎになったのは事実だ。だからこそ、これを教訓にしていかなくてはならない。ただ、そこまでではないのか。

 はっきり言えば、中居正広という人物をどこまで追い詰めれば気が済むのだ。犯罪者ではないのである。もう十分ではないのか。相手と合意の上で示談を成立させて、本人は芸能界から引退したのだ。

 記者会見というものは、何を言っても、何をやってもよいという場所ではない。ましてや地上波で放送されているのだ。社会人としての常識が存在すべきではないのか。記者会見は、言論の場である。感情的に大声を出して、我こそが正義と相手を詰めるようなことをしてよいはずがない。そんな態度を取る者は、記者としても大人としても失格だ。

 テレビが映る茶の間では、これからの日本の未来を作っていく子どもたちも観ている。ルールを守らず、言葉の暴力で相手を痛めつける記者たちの姿を、子どもたちに見せてよい理屈など断じてない。記者会見に出席するならば、それくらいの認識を持って望むべきではなかったか。

 物心ついた時、フジテレビは全盛期だった。『オレたちひょうきん族』を観て育ち、『ダウンタウンのごっつええ感じ』『めちゃ×2イケてるッ!』を毎週、楽しみにしてきた。放送後、学校ではその話題で持ちきりであった。大人になって、私自身もフジテレビで仕事させてもらったことがある。「あのフジで仕事できた!」と内心でうれしかった。それほど大きな影響力を持っているのである。

 だからこそ、問題点を認識し、改善して、ここから再び立ち上がり、またフジの栄光を取り戻してほしい。

 そして、中居くんにも早く平穏な日々が訪れてほしいと思う。もう悪戯に言い争うのは十分だ。

(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)

「和田アキ子&菊間千乃」の苦境

沖田臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』シリーズ(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

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最終更新:2025/01/28 16:34