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『おむすび』第89回 作り手が愛していない人を見る側が愛することなんてできるわけないんです

橋本環奈(写真:GettyImagesより)
橋本環奈(写真:GettyImagesより)

 いやぁ、今日は徒労感あるなぁ。たった15分でここまで人の心を落ち込ませてくるNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』、まったくたいしたもんですわ。キーを押す指が重いよ。

 この悲しみはなんなんだろう。やっぱりどっかで、テレビドラマにおもしろくあってほしいと思ってるんですよ。放送されちゃったらたくさんの人が見るわけだし、感動する人がいればしない人もいる。ドラマ鑑賞なんて個人的な体験ですし、見る人の歴史や環境によって感じ方が違うのは当たり前なんだけど、こういうのは断絶を生むんだよ。私だっていちおう世界の平和と安寧を願っている一市民ですけれども、こうして口汚い批判記事を書くことでその断絶に手を貸しているような気分になる。

 じゃあ悪口書かないで適当にホメときゃいいじゃんって話なんだけど、いちおう仕事ですしウソを書くわけにもいかないのでね。真面目にやりたいんで、すみません。

 第89回、がんばって振り返ろう。

はいまず床屋

 NSTとNSCのおもしろいくだりは、まあいいやと思ったの。おもしろいと思ってやってることがおもしろくないのは単なる失敗であって、人を楽しませようという挑戦をした人をむやみに叩くのもどうかと思うし。

 そう思ってたら結さん(橋本環奈)が「これ、わかる人どんくらいおるん?」ってメタ発言をしてくる。もううぜえ。挑戦してねーんじゃん。「震災」と「ギャル」と「栄養士」を扱った朝ドラで、少し道を外れてコメディリリーフを差し込むのはいい。ここでやってることは、さらにもうひとつ道を外れてるんです。ふたつ外れたら、もうそれは腐れ外道なんですよ。そこに道はないの。

 そんで、ロン毛のバンドマンがケジメの髪切りにやってくる。聞けば、「夢をあきらめてマトモな仕事をしよう」と決めたのだという。

「情けないっスけど」

 それに対して結パパ(北村有起哉)が「全然情けなくないでしょ」「新しい夢が始まるってことやないですか」とか知ったような口をきくわけですが、私たちはこの人がママ(麻生久美子)の不在時にトイレチェックも備品管理もしないまま店に立っていたことを知ってるんです。人の仕事や夢にどうこう言えるような人間じゃないでしょう。

 これ、翔也(佐野勇斗)を床屋に転職させるための段取りなんでしょうけれども、『おむすび』はさんざん「ヨネダは一般客の来ない寄り合い場」「パパはひとりじゃ仕事もできない半人前」と描いてきたことで、いざ翔也にパパを尊敬させようという段になったら場所の性質も人物像も豹変させるしかなくなってる。こんなことを言うパパ、誰も見たことないんですよ。

 そして「新しい夢」というワードを出したことで、翔也の20代の10年は完全にゴミと化すことになりました。

 夢だったプロ野球選手をあきらめることになった翔也は炊飯器のアンケート仕事を通して「総務の仕事の素晴らしさ」を実感していました。それだって無茶苦茶な算段で強引に実感させたものでしたが、ともあれ翔也は総務で居場所を獲得し、周囲に認められ、そこで「新しい夢」を見出していたはずなんです。

 その翔也が「夢をあきらめてマトモな仕事をしよう」と言っている元バンドマンに共感しているという構図、これは「総務の仕事に夢はない」と言っているのと同じだし、翔也は10年間総務で「夢のない人生を送ってきた」と言ってしまっている。展開のために、翔也というキャラクターが生きてきたはずの10年という時間の価値を水泡に帰してしまっている。

 バンドマンが挫折を経験して前を向くのはいい。「バンド」と「マトモな仕事」を対比させるのもマトモな神経とは思えないけど、それはまあいいよ。挫折とは、何かに本気で取り組んだ者だけが得られる特権です。翔也は、挫折すらさせてもらえない。

 特に翔也について、作り手側が愛情を持って描いていないことがビンビンに伝わってくるんですよね。ずっとこの人は物語の犠牲になってる。前にも似たようなこと書いたけど、作り手が愛していない人を見る側が愛することなんてできるわけないんです。残酷すぎるよ。

次、花ちゃん

 うどんうまそうだな。そこはよかった。

 結さんが福岡弁で翔也が栃木弁なのに、花ちゃんが大阪弁をしゃべっていることについて。花ちゃんにこんなことを言わせている。

「だって、うちはうちやもん」

 年端もいかないボーイッシュガールを登場させて、うっすら多様性を語らせることの是非は置いておくとしても、会話になってないんですよね。いつから方言は選択制になったんでしょう。個人における習慣と主義主張を混同してませんかね。

「学校でもサッカークラブでも、みんな大阪弁やから移ってしまってる」
「テレビもみんな大阪弁やし、こっちのほうが自然やねん」

 ならわかる。生まれたときから大阪のド真ん中で暮らしている子どもが大阪弁を話すのが「うちはうちやから」では、理由になってないんです。エピソードの取捨選択が間違ってる。というか、このような個性的なルックスで登場させておいて、服装や髪型で「男かな? 女かな?」を語らせることにビビっているから、本来、人間の子どもが選べるはずもない「方言」の話でお茶を濁してるということです。

 朝っぱらから濁ったお茶を飲ませないで。

 さらに「コーチが変わってから(ハルトくんの父親が死んでから)あんまり強くなくなった」と、また誰かの価値を上げるためにほかの人の価値を下げている。後任のコーチにも人生があるんだぜ、知ってるか?

そんでハルトくん

 おぞましいエピソードでしたね。

 全然ごはんを食べないハルトくんに、結さんは「食べたいもの言ってみて、なんでもってわけにはいかんけど、できる限り用意するけん」と語りかけます。

「じゃあカレー」

 しかし、カレーは過去に何度も供されており、ハルトくんは食べていなかったそうです。事件は完全に迷宮入り、というか、もう一度聞きにいかなきゃいけない。

「ハルトくん、カレーなら何回も出したけど、食べなかったらしいじゃん。どんなカレーなら食べるの?」

 面倒なんだろうな。人物同士が相互理解に至る会話を書くのが面倒なんでしょう。例によっていつものイージーモードが発動し、結さんはハルトのカルテにあった父親「死別」の文字から「ハルトの父親は生前ハルトにカレーを作って食べさせていて、ハルトが言っているのは父親のカレーのことなんだ」と察することになります。名探偵どころじゃないよ、千里眼だよ。超常現象だ。

 ともあれ、どうやら父親のカレーを完全コピーできたらハルトも食ってくれるかもしれない。そういう結論に至った結さんは、病室から出てきたハルトママを呼び止めます。

 病人に食わせるカレーだからママが作るわけにいかないのはわかる。出入り業者に作らせるしかない。16時過ぎだってさ。なんか「患者のため」とか言って人情話になってるけど、明日にしろ。あとベースおまえが作ってこい。

 ママから聞いたレシピもひどいもんで、「牛筋、トマト絶対!、ナツメグ、チョコレート隠し味」。さらに「減塩」と「牛筋は無理でも」という付帯条件がついてくる。

 父親のカレーの「味」をコピーするんだよね。ルーはハウスなのS&Bなの? ジャワなのバーモントなの? いや減塩ってことは既成のルーは使えないかな。マリ科長は「いつものカレーにクミンを入れている、代わりにナツメグとチョコレートを入れれば同じ味になる」と言っている。こんな適当なこと濱田マリ大先生に言わせないでよ。

 このエピソードの肝要な部分は、ハルトにパパカレーとまったく同じカレーを食わせることができるかどうかです。それが、物語が乗り越えるべき最大の障壁であって、パパカレーのコピーが作れればハルトは救われるし、できなければ救われない。そして、こんなクソレシピでコピーが作れるわけがない。どうする柿沼、ヤベー仕事を引き受けちまったぞ……。

 そういう困難を乗り越える様子も方法も描かず、解決だけ見せることを、ドラマの世界では「ご都合主義」と呼びます。『おむすび』の作り手が、人の死が関係するエピソードのもっとも肝要な部分を「ご都合」で済ますという「主義」を持って『おむすび』というドラマを制作しているということです。

 出来上がったカレーを殊勝にも食べ始めるハルトくん。ひと口目は肉片でしたね。牛筋なのか普通のお肉なのか、見てる側には判別できませんし説明もありません。しかし、牛筋なら「下処理に時間がかかる」という柿沼の言葉と矛盾するし、牛筋じゃないならパパカレーではない。何しろ「牛筋、トマト絶対!」だからね。

 そのカレーを食ってハルトくん、「これ、パパのカレーや……」。

 ウソつけガキ、引っ叩くぞ!(本当にごめんなさい心が汚れているのは私です)

 ともあれ今日も今日とて「米田さんのおかげ」でハルトについても一件落着。お次は潰瘍性大腸炎の人にとりかかるようですが、NSTの松崎医師について、メンバーが「医大入るのに5浪してん」「5浪!?」という会話をしてるのは、ダメ押しでしたなぁ。ダメのダメ押し。5年も浪人して医者になる夢を叶えて、患者のために先輩医師との軋轢の中で仕事を全うしている人を馬鹿にする権利が誰にあるんだ。人の人生を気安く値踏みしてんじゃねーよ。

 このマインドで翔也の「新しい夢」を語ろうというんですよ。厚顔無恥とはこのことです。

 あーあ、世界よ平和になーれ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/02/06 14:00