『おむすび』第94回 尺埋めのエピソードも選択ミスで「明日の負け」が確定している
![橋本環奈(写真:サイゾー)](/wp-content/uploads/2024/12/20241226-cyzoonline-column-hashimotokanna-eyecatch.jpg)
うわー、これまた変な回だったなNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。マリエちゃん、登場すらしないんかい……。
いちおうそれなりにこっちも気持ちを乗せて見てるわけですよ。マリエちゃんという、SNSのキラキラ加工女子みたいにかわいくなりたいと思ってる女の子が出てきて、やせたいからご飯を食べないと言っている。この時点で、「いやいや普通にそのままでかわいいし、きっとメイクしたらちゃんともっとかわいいと思うし、ごはん食べてほしいな」と思うわけです。
でも、視聴者である私たちはマリエの人生に手を貸してやることができないから、劇中の関係者にその思いを託すことになる。
早々から「ややこしい患者」扱いされ、検査入院なんだか治療入院なんだかもわからないままベッドに寝かされ、せっかく話が合いそうな薬剤師さんと知り合えたのにガキだかババァだかわからん年齢不詳の馴れ馴れしい管理栄養士に割り込まれ、病室に持ってきたとみられるメイク道具には指一本触らせてもらえず、内科的な疾患が見つからないのにメンタルの専門家につないでもらえることもなく、にもかかわらず追加料金が取られるはずの個室をあてがわれ、まるで催眠術にでもかけられたように参加したくもないはずのバイキングに参加させられ、あるって言ってたお好み焼きもないし、本来なら家で百万回は繰り返してきたはずの「私が食べなくなったのはママのせいだ」という話を公衆の面前で披露させられ、ママもなんか今さらビックリしてショックを受けてるし、マリエが当初語っていた「この病院は信用できない」という直感が当たっていたという証左が次々に明らかになっても、まだ私たちは「いやいや普通にそのままでかわいいし、きっとメイクしたらちゃんともっとかわいいと思うし、ごはん食べてほしいな」と思ってる。
そして不本意ではあるけれども、『おむすび』の世界線においてマリエを救えるのは年齢不詳の馴れ馴れしい管理栄養士こと結さん(橋本環奈)しかいないわけだから、どうか結さん今回ばかりはネフローゼボーイのときのように魔法カレーを錬成したり、窒息センター分けジジイのときのようにご自慢の美顔で押し切ったりするのではなく、道理にかなった方法で、然るべき手順を踏んで、私たちが納得する形でマリエさんを助けてやってほしいと思っていたんです。
明日の金曜、マリエが救われることは火を見るより明らかです。それは朝ドラだからもういい。その前日の木曜にマリエの出番がなかったということは、これは「手順は特にない」という宣言なんだよな。普通、ドラマを見ていてガッカリしちゃうのは「それ」を目の当たりにしたときなんだけれども、今回のマリエ事案については「それ」が起こる前からガッカリさせられている。明日の負け試合が確定している。なかなか斬新な鑑賞体験ですよこれは。
第94回、振り返りましょう。
「母親って何なん?」って何なん?
そういえば今週は「母親って何なん?」の週だったな、と思い出すのです。マリエ事案について見どころがないことが確定し、尺を埋めるための日ですよね。
マリエが「食べない」という問題の根幹にあったのは、母の「自分は貧乏でろくに食べられなかったから、娘にはたんと食べてほしい」という思いでした。その思いから大量の食事を作って食べさせていたことには良い面も悪い面もあると思うけど、どうやら『おむすび』はこの事案について医療面からのアプローチを放棄し、結さんに解決させようとしていることだけは間違いない。
結さんには娘さんがいますね。8歳の花ちゃん。元気ハツラツサッカー少女だ。今のところ反抗期もなく、すくすく素直に育っているようだ。
マリエにも8歳の時期があったはずです。そして、そのやり方が正しかったかどうかは別として、母親は大いに8歳のマリエに愛情を注いでいた。そこには濃厚な親子関係があった。
そして、マリエ事案を解決する糸口は、医療的なアプローチを放棄したからには、この親子関係の修復にしかない。それを担うのは結さんである。
だからこの日、尺が足りなかったとしても、描くべきは結さんと花ちゃんの親子関係であったはずなんです。結さんと花ちゃんに何かが起こる。その経験から、マリエと母親の関係修復についてのヒントを得る。それだって、ドラマにおける「然るべき手順」になりえたはずだ。結さんと花ちゃんが「こういう親子」だったから、結さんは母娘関係に悩むマリエ親子に「こういうこと」が言える。その結さんの言葉に説得力を生むのは、米田家の母娘関係の実存に他ならない。その対比によってでしか、母親としての結さんの言葉には力が宿らない。マリエ母にも視聴者にも刺さりようがない。
今日描かれた結&花のコミュニケーションを振り返ってみましょう。
寝ている花、それを触る結。以上。
結さんが花ちゃんを妊娠したことが発覚した日のことを思い出します。
腎盂腎炎と悪阻の苦しみの中で医師から妊娠を伝えられ、絶句。目が覚めたらすでに初産に向けての不安や葛藤や喜びすらクリアされており、「お腹に赤ちゃんがおるのに、ご飯も食べんで、ずっと無理して」と自己憐憫に浸って涙を流していた。「お腹の赤ちゃん」より「お腹に赤ちゃんがいる自分」のことを考えて、泣いていた。
以来、結さんが正面から花ちゃんと向き合ったシーンがあったでしょうか。私たちは産声すら聞いていない。それどころか、花ちゃんの声を初めて聞いたのは8年後のダイジェストの中です。
マリエ母が食事を作りすぎていた一方で、劇中、結さんは小学生になった花ちゃんに一度も料理を作ってないじゃないか。いや、うどんはもしかしたら結さんが茹でたかもしんないけどさ、印象付けられてないしさ、スパゲティミートソースも昨日のカレーとアイスクリームも、全部翔也(佐野勇斗)が花ちゃんに与えていたでしょう。その間、結さんが何をしていたかといえば、当日誘われた飲み会にホイホイついていって、居酒屋の女将の前で表情豊かにカロリー漫談を披露し、周囲をドン引きさせていただけだ。家に帰れば姉のアユ(仲里依紗)が買ってきてくれた花ちゃんのジャージに礼も言わず「地味じゃない?」などと文句をつけ、夢に向かってヘッドマッサージ練習に勤しむ夫と娘に背を向けて、アユに患者の個人情報を垂れ流している。
妊娠した日から今日まで、描かれてきたのは結さんの娘に対する「興味のなさ」ばかりだ。
それが結さんの「母親って何なん?」でした。そして、その結さんが明日、マリエ母娘に「母親って何なん?」を語るわけです。ああ、こんなの負け試合確定だろ。
ブログ書籍化の顛末
10年以上更新してきたブログに書籍化の話が舞い込んだ愛子(麻生久美子)、その一報を聞いた瞬間、「ヒィィイイイイイイ!」と南米の鳥みてえな鳴き声で叫んでいました。その直前には、このブログを「SNSと連動させた」と言っている。
結論から言って、愛子は書籍化を断っていました。その理由は「結と歩をモデルにしている」「本になったらもっといろんな人に見られて、あんたたちが嫌な思いをするかもしれない」というもの。
すごくいろいろ言いたいことがあるんだけど、まずは「あの内容で売れると思ってたんだ」という身もフタもない感想でしたね。思い上がってんなよ。出版不況ナメんな。あんな毒にも薬にもならないイラストと2~3行の陳腐なテキストで「いろんな人」が買うわけないだろ。言いたかないけど、こっちは毎日3,000文字とかだぞ! やれんのか! おまえに! もう大変!
というか、ちょっと編集の仕事をかじった身からすると、あのクソ薄い内容のブログに書籍化を持ちかける編集者というのは、もはや逆に不倫目的に見えちゃうんだよな。
「奥さん、奥さんのブログ、ボクが本にしてあげますよ。絶対共感を呼ぶと思うんだ。ボク正直、奥さんのブログで4回は泣いてます。ボクね、いわきの出身なんですよ(ウソ)、震災のとき、すごく勇気づけられたな。普通の日常がこんなに貴重だったんだって、奥さんに教えてもらったんだ。ねえ奥さん、全国の書店さんに奥さんの本が並ぶんですよ。夢のようでしょう、江國香織や東野圭吾の小説の横に、奥さんの本が並ぶんです。表紙も奥さんにお願いしたいな。もちろんハードカバーです。パソコンの画面やコンビニのコピー機とは画質が違いますよ。見てみたいなぁ、奥さんのイラストがオフセット印刷されて、色鮮やかにコーティングされたところ。うちのデザイナーにも手伝ってもらいますよ、普段は洋書専門なんだけど、奥さんのファンだから是非ともやりたいって。『愛子ママの本ならノーギャラでいい』なんて言ってましたよ。どんなイメージですかね、少し場所を移して、詳しく打ち合わせしましょうよ、ねえ奥さん、奥さん……」
というやつね。この話で2回会ってるのが、なんとも不自然なんです。それか自費出版詐欺な。「出版をサポートします」とか言って、著者本人に在庫を抱えさせるやつ。怖いね、気を付けよう。
あとは「そんな心配があるなら最初からブログ書くな、あとバズった時点でやめろ、SNS連動すんな」ということと、「ずっと断ってたんだけど」という設定と「ヒィィイイイイイイ!」という奇声は矛盾してませんか? という、まあそんくらいです。
で、ここからが今日の本題。
よかったんだよなぁ、愛子が生まれて初めてオフィスという場所に立ち入って、ドキドキしたという話。興味深そうにオフィスの中を歩く愛子さんの姿。すごくよかったんだ。『おむすび』で初めて、人の「日常」を見た気がするんです。今が不幸なわけじゃ全然ないけど、ほかの人生もあったかもしれないと、その可能性に思いを馳せること。ホントに、これは皮肉でもなんでもなく、すごく豊かなシーンだったと思う。
そういう豊かなシーンが、「尺が足りない」という事情と、その尺埋めのエピソードでも間違った選択をしたことで生まれている。これはなんとも皮肉なもんだなと思います。(文字数:4193)
(文=どらまっ子AKIちゃん)