『おむすび』第107回 米田結の「娘への冷たさ」の正体、昭和の亭主関白を逆転させただけだった

なんでしょう。結さん(橋本環奈)の私服がどんどん迷走していくというか、ダサくなってんのはなんなのかしらね。なんか往年のビートたけしのセーターみたいなの着てなかった?
一方でアユ(仲里依紗)の会社ではスタッフも含めてちゃんとギャル服を着せてあげてるんだよな。ということは、結さんの衣装にもなんらかの意図があるはずなんだけど、それが全然見えてこないのが本当に気持ち悪いんです。
アユを通して「ギャルのドラマである」という主張は続けていて「服飾で人生を明るく楽しくする」というメッセージを打ち出すことはやめていない、今回は結さんにも「うちギャルやし」と言わせている。2人ともギャルであるはずなのに、この2人の間に深い断絶があるように見えるんです。
結さん、ガーリーズ行ったことあったっけ? ギャルの姉がブランドを立ち上げたら、ギャルの妹はそれに興味を持つのが自然じゃない? あなたチャンミカ(松井玲奈)やスタッフたちの前で「うちギャルやけん」って言える? アユと結さんが「ギャル姉妹」として画面に並び立ったシーンがひとつでもあった? スケジュール都合? 知らんし、そんなん。
都合のいいときだけ「ギャル」をつまみ食いすんなって話なんですよ。結さんにはもう潔く「ギャル」の看板を下ろしてほしい。
今回、結さんに「ギャルだからおっさんに見下されるのに慣れている」という設定を付与したのは、かなりどうかと思いましたよ。誰よりもギャルを見下していたのは高校時代のアンタだし、アンタがギャルに目覚めてからは誰ひとりアンタを「ギャルだから」なんて理由で見下してないだろ。結局、作り手側がギャルを「文化」とも「生き様」とも思ってないんだよ。単なる彩り、道具でしかない。
と思ったけど、ストーリーの整合性すら取れないドラマに思想の整合性なんて求めるもんじゃないわいな。
ついでに言うけど、アユのコレクション出展のくだり、なんで知り合いのプロデューサーのコネを使おうとするのよ。なんかNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』って「コネでゴリ押し」の正当化と「正規エントリー」の無意味さを丹念かつ明確に何度も打ち出してますけど、なんかそうしなきゃいけない理由があるんすかね、NHKに。邪推しちゃうぜ。
というわけで第107回、気を取り直して振り返りましょう。
リフレインが悲しげに叫んでる
また星河が始まったな、と思ったわけですよ。おっさんは無遠慮かつ理由もなく若い女を否定する。星河のコック長・立川(三宅弘城)の初登場時とおんなじ感じで、コンビニの開発部長が登場しました。
連れ立ってきたのは、食品工場の管理栄養士・土屋さん。この時点で、疑問が浮かぶわけですよ。なっちゃんもこの部長も、なんで土屋さんと一緒に開発するということにならないわけ?
前回、そういえばなっちゃんは結さんのことを「病院の管理栄養士さん」「病院の」と強調していましたね。マーケティング的に「病院の管理栄養士プロデュース」という看板がほしかったんだとすればあまりにも弱すぎるし、そもそも信頼していない部下のなっちゃんが連れてきた見ず知らずの栄養士の病院にわざわざ足を運ぶ理由もない。この時点で「無能で性格が悪いだけ」の部長という人物像が一丁上がりです。
この会議の進行も変で、まずなっちゃんが自分で考えてきた試作の詳細を披露。それをマリ科長が「いいと思う」と言って結さんにパス。結さんがダメ出しをするわけですが、なっちゃんこの会議の前に結さんに「これで提案しようと思うけど、どうかな?」って相談してないことになっちゃう。相談してないなら結さんに協力を仰いだ意味がわからなすぎるし、相談していて結さんが黙ってたなら「会議の場でなっちゃんを公開処刑してやろう」という邪悪な考えだったことになってしまう。これも「結さん、マリ科長より芯を突いたことを言う」というシーンを撮りたいがために、不条理が発生している。
ここで土屋さんに「見た目が地味」と指摘され、なっちゃんと結さんは各種コンビニ弁当を買い込むことにする。
「確かに、パッと見ただけでなんのお弁当かわかりやすいね」と結さん。
へ? なっちゃんが考えてきたのは、パッと見ただけでなんのお弁当かわかりにくいものだったっけ? パッと見ただけでなんのお弁当かわかりやすいかどうかは、フタが透明かどうかだけでしょ。「見た目が地味」とは関係ないじゃん。セリフ雑。視聴者に「一緒に考えたい」と思わせる訴求力が皆無。なっちゃんも「部長と土屋さんの言う通り」じゃないんだよ。おまえ、全然話聞いてなかっただろ。そういうとこだぞ。
そして翔也(佐野勇斗)と花ちゃんが帰ってくるわけですが、これはちょっと後回しにしてお弁当の話を続けます。2人で飲みに行っちゃって、テーブルの上の大量の食べ残しがロスになったのか翔也と花がおいしくいただいたのかわかんなくて怖いけど、これもきりがないのでスルーしますね。
心機一転、新しく作り直した試作の問題点がコストと製造過程の煩雑さによって否定されることになります。
これも星河でやってるよね。手間がかかるのはスコッチエッグ、「安定して大量調達できへん食材は使うのが難しい」は規格外野菜でやってるんです。
同じ轍を踏んでいる。まるで成長していない。物語がつながっていない。過去に描かれたエピソードの意味が無効化している。
というか、ちゃんと振り返ればスコッチエッグと規格外野菜も解決してないんです。
まずスコッチエッグ、第59回です。
あの日、ランチの日替わりメニューに結さんが提案したスコッチエッグの試作が完成したのは昼の11時過ぎでした。それからみんなで食べて仕込みを始めて、結果、配膳が間に合わなくて11人の社員が昼ごはんにありつけなかった。
その結果を受けてコック長・立川は「手間がかかりすぎて日替わりでは出せない」という結論を出したわけですが、どんなメニューでも11時過ぎから試食して、それから仕込みを始めたら間に合わないでしょう。次にスコッチエッグを出す日には10時から仕込みをすればいいだけなのに、立川はこれを失敗と断じた上に「仕事とは金を稼ぐことだ」などとズレまくった説教をしていました。
規格外野菜、これはもっと乱暴で、第69回、本来ならその調達のためには地域の生産者を一軒ずつ回って仕入れルートを確保しなければ星河社員100人分の規格外野菜は手に入らないはずですが、この仕入れの段取りを丸ごとスッ飛ばして「ハイ用意できました」としています。どっかから原口が持ってきて「みんなのために、おいしくて栄養のことを考えた料理を作る喜びを知ることができた。ありがとう」などと口走り、大団円を迎えていた。
今回のコンビニ弁当編では「その問題は前にやっただろ」と「そういえばちゃんとやってなかった」という2つのポイントが浮かび上がってしまいました。悲しいのは、それでも「コンビニ客は秒で買う商品を判断してる」とか「スイスチャード」とか、取材結果を反映したり過去とのつながりを意識したり、そういうことをやろうとはしてるんだよな。「まるでやる気がない」のではなく「やろうとして満足にできてない」んだ。その結果、20代前半でコンビニスイーツを企画開発したスーパーガールだったなっちゃんも、コスト管理も工場との折衝もできない無能な女の子に格下げです。
登場する人物がエピソードにからんでくると、どいつもこいつも無能化していく。結さまが通った道は、人材の焼け野原です。こんなドラマ見たことないよ。
現代的とは逆・亭主関白なのか
そして花ちゃんね。ここでまた恐ろしいシーンが登場してしまいました。
部屋に帰ってきた花ちゃん、帰宅直前に階段ダッシュさせられて疲労困憊なんですよね。その花ちゃんが部屋に入ってくるとき、結さんまったく花ちゃんを見ない。ずっと机に向かっている。なっちゃんが「パパすっかり花ちゃんのフィジカルコーチやね」と声をかけて、ようやくその存在を気にかけることになる。
ずっと結さんに「母親の愛情」を描くシーンがなかったことが不思議だったんだけど、このドラマが結&翔也の夫婦像をどんなふうに描きたかったのか、今日のシーンではっきりわかりました。
我が子に目もくれず仕事に没頭する妻と、かいがいしく育児をする夫。これ現代の夫婦像を描く意図だということはもう痛いほど伝わってくるんだけど、全然現代じゃねーのよ。昭和の亭主関白を男女逆転させてるだけなの。
亭主たるもの、一家の大黒柱であるからして、子育てにかまけて仕事がおろそかになってはならない。子の成長など、女房に任せて遠くから見守っておればよい。ときには声をかけてやってもよかろう、ありがたく思えよ、花。そういうことです。それを男女逆でやってる。だから、花ちゃんが目を輝かせて「オリンピックを目指すんだ!」と言っても、「いいねぇ~」と一歩引いている。昨日のあのシーン、花ちゃんはじいじ(北村有起哉)と結さんを交互に見ながらオリンピックの話をしていましたね。あれは家長への報告だったんだ。密な親子のコミュニケーションは翔也に任せて、稼ぎを上げながら「見守る」という役目を結さんに与えていたのだと、今日のシーンでようやくわかりました。
「花のことは私に任せて、お2人で飲みにいってらっしゃい、お仕事の話でしょう」なんて、内助の功そのものじゃんね。居酒屋で、そんな翔也を「優しい」と評されて「優しい?」と返す結さん。『東京物語』の沼田(東野英治郎)と周吉(笠智衆)かと思ったね。
勘違いしてたなー、それでも令和の新しい夫婦像を考えていると思ってたけど、なんてことはないクソ古臭い価値観を男女逆でやってただけだったなんて。ホントお手軽にやってんなって、むしろ感心しちゃいましたね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)