CYZO ONLINE > 芸能ニュース > 『おむすび』取材結果を「置いただけ」

『おむすび』第113回 綿密な取材結果を「置いただけ」ではドラマにならないのです

橋本環奈(写真:GettyImagesより)
橋本環奈(写真:GettyImagesより)

 コロナの何が怖かったかって「死ぬ病気」だってことだったんですよね。海外じゃ人が死にすぎて火葬が間に合わないとか、埋葬できない遺体が路上に放置されているとか、そういうニュースが伝えられるたびに「これは普通の病気じゃない」「地球規模で大変なことが起こっている」という実感に打ち震えたんです。

『おむすび』描かれない無力感

 日本でも、病床が足りないとか救急車が来ないとかで、重症化して自宅で死んでいく高齢者がたくさんいたことを記憶しています。

 あの恐怖感を朝ドラで国民に再体験させる必要なんてあるわけないし、あのとき感じていた「死の匂い」なんて思い出したくもないんだけど、じゃあ今ここでNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』が描いているのは、いったい何なんだろうとは、どうしても思ってしまうよな。

 搬送されてくるのは常食対応の軽症患者ばかり。タラか、サケか、ふりかけはどうだ、それが問題だという。

 悩ましいのは、今週は特になんですけど、このコロナ期が描かれているドラマを当時の過酷な状況を脳内補完しながら見ればいいのか、あるいはこの程度のヌルい世界線のファンタジーとして見ればいいのか、作り手がどっちをやりたいのかがわかんないんですよ。

 わかんないけど、今日も放送されちゃってるからね。振り返りましょう。第113回です。

聖人、ザ・老害やな

「で、どないしはりましたん?」と、ヨネダにやってきた市役所の若ちゃんは聖人に尋ねます。

 ということは、聖人は市役所に電話をかけて若ちゃんを電話口に呼び出し、要件も告げずに店に呼びつけたということです。

 いるんだよな、こういうやつ。「人手、足らへんのですか?」って言葉では言うけど、その口ぶりとは裏腹に自分は多忙な市役所の人間を個人的に呼び出していいと思ってる。

 理髪店が営業を続けてもいいかどうか、もう年寄りだから市役所のホームページを調べるのも面倒だし、電話じゃまどろっこしいし、しゃーないやろ、そう思ってる。ニュースも新聞もろくに見てないから、必死にソーシャルディスタンスを維持しようとする若ちゃんに対しても被害者ムーブをかまし、相手に気を使わせる。完全に老害ですよ。

 そして若ちゃんも若ちゃんだ。てんやわんやの中、あんたひとりがヨネダの対応にあたることで周囲に迷惑がかかってることについて、どう思ってんの? のんきにエア指切りなんてやってる時間があったら、行政の担い手としてほかにやることがあるんじゃないの? というのが、このシーンにおける人物の言動と行動の不一致についての話。

 それに加えて、若ちゃんあんたショッピングセンターのときも出張ってきたけど、どういう部署なんだよというのと、ヨネダだって理髪店協会的な、連合組合的なところからコロナ対応のガイドラインが届いてるはずだろ、という社会常識についての話が重なってくる。

 リアルとしてもファンタジーとしても成立してない。ただ「エア指切り、微笑ましいでしょ」というおべっかがやりたいだけに見えてしまっている。

 総じて、このシーンの感想としては「若ちゃん、ずいぶんヒマなんだな」という、作り手がまったく意図していないであろうところに落ち着いてしまう。これ、ひねくれてこう言ってるんじゃないですよ。自然と、そう導かれてるんです。片っ端から文句言いたくて見てるわけじゃないんだよ。だからしんどいんだよ。

アユ、爆売れ

 これいつごろの話なんだっけ。とりあえず緊急事態宣言が出て、4月か、5月か、爆売れしたならしたでいいけど、なんでこの時期に爆売れしたのかは説明してもいいんじゃないかと思うんですよね。

 ホームページを更新したおかげとかなんとか言ってたけど、リサポンの媒体のWEB記事が出てバズったときにそのECサイトも更新してない意味もわからないし、バズったタイミングで爆売れしてない意味もわからないし、理由もなく「コロナ期に爆売れ」って言われても、こっちもアゲ~! ってならないんです。単なるご都合主義だし、なんでここで「爆売れ」なんてご都合主義の展開が必要なのかもわからない。

 たぶん取材で「巣ごもり需要」という現象を知った制作陣が、それをそのまま置いただけなんでしょうけど、需要を見越した戦略的な成功だったのか意図しない爆売れだったのか、それによってアユ(仲里依紗)が何を考えてどう行動したのかを描くのがドラマであって、取材結果を「置いただけ」では見ていて何も感じられないんです。

連発される「置いただけ」感

 患者さんに手紙を書きましょう、ディスポ容器が足りません、近所の居酒屋さんがお弁当を差し入れてくれました、これらのエピソードも取材結果を「置いただけ」感の強いものでした。

 前後に申し訳程度のやり取りがありますが、「置いただけ」を有機的に補強するようなものではありません。

 手紙については「200床くらいだったと思うけど、全員分ですか? ヒマですか? 1通1分として延べ3時間以上かかりますよ?」と思ってしまうし、ディスポが足りないことを「事件」と呼ぶ白々しさも、「それは事件ではなく在庫管理の不備と見積もりの甘さですよ?」としか言いようがないし、お弁当の差し入れは「受け入れちゃうんだ」からの「全員で食うの? みんなヒマですか?」がきて、ドクター森下(馬場徹)の「次いつ食えるかわからんぞ」というセリフが浮きまくってしまう。

 昨日も似たようなこと言ったけど、取材と作劇の目的と手段が逆転してしまってるんだよな。伝えるべきメッセージやストーリーを補強するために取材結果が挿入されるのではなく、取材結果を見せるために物語が作られている。

 実際にあったことのリアルを見たいなら、ドキュメンタリーでいいんです。人の心のリアルが見たいから、ドラマを見るんです。「こんなに取材してきたから、見てください」というのは、もう駄々っ子の仕草なんですよ。お呼びじゃないのです。

結さんが、何と向き合ったのか

「さらなる事件が」とナレーションが入って、配膳係に濃厚接触者が出たことが明らかになります。結さんは自ら名乗りを上げてイエローゾーンに食事を運び、レッドゾーンの住人から「ありがとうね」と言われている。

 今日はここがいちばんキツかったな。なんだよ「ありがとうね」って。

 その前からおかしかったんだよな。濃厚接触者が出たことについてマリ科長がこう言うんです。

「この状況で患者さんに食事が届けられへんってことは、なんとしてでも避けたいんやけど」

 当たり前だろ。「代わりの人がおれへん」ことを結さんと石田っちに伝えに来る理由は何なん? もうこの時点で「おまえら立候補しろ」としか言ってないじゃんね。

「代わりの人がおれへんから私が行ってくる」ならいい上司だと思うし、「年寄りの私より若いあなたたちのほうが重症化リスクが低いから、あなたたちに行ってほしい」と言うなら素直なもんだと思いますけど、ここで“お気持ち”による立候補制を採用してしまったことで、このドラマが病院におけるレッドゾーンを「穢れ」として描いていることが明白になってしまっている。

 そして結さんと石田っちを「特別に自己犠牲を払った人」としてイエローゾーンに立ち入らせ、その「穢れ」の側から「ありがとうね」と言わせて美談にしている。

 これ、医療を描く上での倫理観として相当ヤバいことをやってると思うんだけど、大丈夫かな。作り手としてはいつもの「結さんアゲ」をやってるだけのつもりかもしれないけど、越えちゃいけない一線を越えてると思う。「医療従事者としての通常業務」と「人助け」を混同して描いてきたツケが、もっとも醜い形で具現化していると感じました。

 あとさー、ラップおにぎりを「愛情が伝わらないこと」の象徴みたいにするのやめてくんないかな。基本、素手のほうが気持ち悪いから。それにしても、からあげと白米だけの食事にはカロリー警察発動しないんすね。野菜食え。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
第57話~

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/03/12 14:00