『おむすび』第117回 瓦解した哲学を解体再構築しようとする空しさ まるでゴミ箱の中を見ているよう

取っ散らかってるなぁ。残り2週、これまで半年間にわたって描かれてきたNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』という世界を閉じる集大成となるわけですが、登場人物たちの感情に蓄積がないので、単にその場その場でポイ捨てされてきた要素が次々に放り込まれて、まるでゴミ箱の中を見せられてるみたい。
なんだか今日は、改めてこのドラマで描かれてきた各エピソードに「納得していない」ということを再確認する回だったように感じますね。
その象徴が「おいしいもの食べたら悲しいこと忘れられるけん」という哲学であって、今回はそれを否定する人が現れている。
これ、ドラマが初回から打ち出してきたメッセージをクライマックスで解体し、再構築するという、なかなかダイナミックなことをやってるんですけど、そもそもなんですよ。そもそも「おいしいもの食べたら悲しいことを忘れられる」という理屈に私たちは納得していないのです。
専門学校編の炊き出しでナベべ(緒形直人)にワカメおむすびを差し出しながら、結さん(橋本環奈)からこの言葉が発せられたときも、管理栄養士編で八重ちゃんの膵臓腫瘍を見抜けなかった結さんに不器用なおむすびを差し出しながら花ちゃんが言ったときも、「そういうことじゃねーだろ」としか思えなかった。
なぜなら私たちの人生には、おいしいものを食べれば一時的に忘れられる「悲しいこと」と、おいしいものを食べても決して忘れられない「悲しいこと」の両方があるということを知っているからです。
今日、結さんからプリンを「食べり」されて、ひと口食べた詩ちゃん。優しい子だな、と思いましたね。「ふざけんな!」ってテーブルごとひっくり返してやってもよかったのに、わざわざ食べてあげて、目の前のクソガキ(34)に噛んで含んで教えてあげましたからね。「そういうことじゃないんですよ」って。ホント優しいよ。
ホント優しいし、詩ちゃんにそういう行動をさせたこの脚本家は自分に甘いなと思いました。
第117回、振り返りましょう。
親戚って何なん?
年老いた母が田舎でひとり暮らしをしていて心配である。愛子(麻生久美子)はそばにいたいから糸島に移住したいという。しかし、聖人(北村有起哉)は神戸に骨を埋めるつもりで、いつか母親も神戸に呼び寄せるつもりでいる。
母親は頑なに糸島から離れようとしない。
そういう状況を見たとき、米田家の全員に「親戚」という発想が浮かばないことが恐ろしいんですよ。聖人には2人の妹がいる。
本当に愛子が心からあの独居老人を心配しているなら、2人の妹たちと連携を取りあって然るべきなんです。あの2人がどこに住んでるか知らないけど、仮にじゃあ鹿児島とシアトルとしましょう。「○○おばちゃんはシアトルだし、鹿児島の○○ちゃんはこうだから」と、あの2人が糸島に帰ることは不可能であるという説明を明示しないから、愛子の「心配している」という心境にリアリティが出てこない。単なる「床屋飽きたから糸島でイチゴやりたい」というエゴに見えてしまう。だから聖人への訴えにも説得力がない。
妹2人を登場させるだけさせておいて、なんの説明もなくゴミ箱に捨てたツケですよ。こうやって、愛子のシリアスな心の動きを描く上でのリアリティの欠如につながっている。
しかも、今週のテーマは「家族って何なん?」だそうですよ。家族とは、シアトルと鹿児島ですよ。
その後も、聖人がパソコンを叩いてエクセルの関数ができたことに喜んでいれば、子ども食堂とかコミュニティセンターとか、金のかかる施策を民間の商店街仲間だけで成立させているという「願えば叶う」的な安易な作劇に辟易してしまうし、聖人にすげなく断られた愛子が翌日の仕事中に家族のグループLINEに愚痴ってるシーンを見れば「仕事中に私用LINEしてんなよ、管理栄養士ってヒマなん?」と思ってしまう。
半年にわたって視聴者の信頼を裏切り続けてきたドラマの綻びが、これでもかと具現化して連発されます。こういうドラマを見てきたんだよな、よく半年も見てきたもんだよ。
脇役の生き死により主人公の成長
で、詩ちゃんね。
まず、以下のセリフが今日イチの嫌なところ。
「ホントに悲しいことが忘れられるわけないって、私もわかってます」
いや、あのね。これ結さんがずっと大切にしてきたメッセージを自ら疑うという、いわゆる「人間的成長」を描こうとしていることはよくわかります。
でもね、あなたがさっきそれを言った相手は「死にたい」少女ですよ。あなたの自己批判の道具にしていい相手じゃない。「ホントはわかってる」んだったら、「ホントに相手のためになる」ことを考えて実行しろよ。誰を、自分の心の成長の試金石にしてんだよ。これ、死にたい少女に向かってお試しで哲学を吐いてみて「やっぱり悲しいこと忘れられないよね、てへ」ってやってるってことだぞ。
身元不明、栄養失調、天涯孤独、そうやって悲劇のテンコ盛りみたいなキャラクターを登場させておいて、その子の「生死」と主人公の「心の成長」を天秤にかけて、後者を優先している。結さんがそれをやることを、作り手は「許される」と思ってる。甘ったれんじゃないよ。こいつルーキーじゃないんだろ、9年選手で、栄養科の全権を上長から委任された科長代理なんだろ。
病院勤務の専門家が、搬送されてきた娘くらいの年の女の子に「ホントは(役に立たないと)わかってる」処置をほどこして、それを美談としている。結さんアゲ、ここに極まれりですよ。
ちょうどいいやついねーのか
サッカーの試合を見に行こうとして結さんに捕獲されたネフローゼ少年、メシが不味いから仕事に戻るといって顔を真っ赤にさせていたセンター分けウナギ、摂食障害だか意地っ張りだか結局よくわからなかったインスタ映え少女、どいつもこいつも「食べない」「自主退院する」のワンパターンです。
これ、生徒が不良だらけの学園ドラマだったら、そいつらを更生させるのが教師の仕事だから別にいいんだけど、『おむすび』の主人公は管理栄養士なんだよね。
たぶん詩ちゃんが最後の患者になるんだろうけれど、結局このドラマは「管理栄養士ならでは」の問題解決をひとつも描けなかったことになります。医者でもナースでも事務方でも、柿沼にパパカレーやママ味噌汁を作らせることはできた。「vs管理栄養士」という構図を作る上で「ちょうどいい設定」の患者を登場させることができなかった。
だから、結さんに「管理栄養士としての強み」「管理栄養士だからこそ、患者の役にたつこと」を与えられない。せっかく紀香スタイルのベタベタと馴れ馴れしくする対応を強みとして設定したのに、中途半端に「その顔が怖い」というエピソードをつまみ食いしてしまったせいで、ドラマの中で「問題に対処する人」として成立しなくなっている。
これは、作り手が管理栄養士という職業そのものを深く掘り下げて調べなかったことの何よりの証拠だと思いますよ。ドラマを作る上での取材というのは、「こういうことが現実にあった」という描写をするためのものじゃないんです。「こういうことが現実にあったのか、じゃあ我らが主人公・米田結だったらどうするだろう」と考えて、創作を行うことなんです。
その創作のスタンスの話です。「vs管理栄養士」という構図の中で、あえて「敵」という言葉を使うなら、結さんの敵は「病気」であるはずなんです。医療従事者と患者というのは「病気」という敵に対して共闘する立場であるはずなのに、このドラマでは一律に患者を「困ったちゃん」として描き、結さんと患者本人を敵対する関係に置いている。そして、その敵を打ち負かして、ひれ伏させることを目的としてきた。
敵じゃなければ障壁でもいいし、ハードルでもいいですよ。そういうものを「病気」というジャンルではなく、「食べたくない」という“お気持ち”にしか設定できなかったことが、このドラマが「管理栄養士のドラマ」として成立していない原因になっています。
ケガも呪いも
「花、なんで足ケガしたん?」
サッカーだっつってんだろ。小学生からサッカーに没頭し、大阪代表にまでなった選手が今まで一度も足をケガしたことがなかったというのか。サッカーと捻挫なんて、カレーと福神漬けくらい近しい関係ですよ。
ここでは、夫婦間の会話として翔也の右肩関節唇損傷および腱板損傷との対比が行われるわけですが、まるで性質が違いますよね。翔也が選手生命を絶たれた原因はケガをしたからじゃなく、すぐ病院に行かなかったからです。
それを「すぐ病院に来た女」こと花ちゃんのエピソードと対比させることになんの意味もない。ここでも、このドラマが「スポーツでのケガ」についてテキトーに描写してきたツケが出ている。当時の翔也の行動にまるで説得力がなかったから、この「心配」にリアリティが出ない。冒頭で書いた「感情に蓄積がない」というのは、こういうところです。
そしてフラフラの詩ちゃんを花ちゃんが備品庫に匿うシーンが訪れるわけです。花ちゃんはこれを「困ってる人がいたら助けなさいっていつも言われてる」、つまりは米田家の呪いの継承だといいます。
なんでフラフラの女の子を備品庫に匿うことが「助ける」なのか。バカなのか。匿ってどうするつもりなのか。これが花ちゃん個人の気の迷いならまだわかるけど、「米田家の呪い」の継承であると明言してしまったために、この米田家の呪いそのものがエゴに塗れた身勝手で姑息な「人助け」でしかなかったという拡大解釈を呼んでしまう。米田の教えそのものが「誤りであった」という印象を与えている。
どうでもいいけど「うた、田原うた」は「カズ、三浦カズ」へのオマージュですかね。あと令和5年のデータで中学生のスマホ所持率は73%だそうです。結さん、走り回ってるヒマあったら電話かけり。花ちゃんにスマホ買い与えてないなら、警備室行って防犯カメラ見せてもらり。
(文=どらまっ子AKIちゃん)