『おむすび』第123回 子育てしない母親が大上段から語る母親論に「おまえが言うな!」の大合唱が鳴り響く

あー、詩ちゃん役の大島美優って子、めちゃくちゃ上手いな。だいぶ救われてるわ。今回、アユ(仲里依紗)と一緒に働き始めた詩ちゃんが心を開いていく様子は、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』において、久しぶりにお芝居を見る楽しさがあった気がしました。やっぱ多少のアラは芝居で押し切れるんだよな。いろいろ押し切ってほしかった。
なんだかんだで、ふさぎ込んでた子が笑ってくれたら、それだけで見てるほうも嬉しいんです。愛しくなっちゃう。そういえば、糸島でずっとふさぎ込んでた女子高生(橋本環奈)がいたけど、あいつが笑ってもあんま嬉しくなかったし愛しくなかったな。
なんで愛しくなかったんだろうと思い返してみると、あいつ第2回くらいからイケメン書道王子に距離詰められてポヤポヤしてたから、別につらそうじゃなかったんだよな。
詩ちゃんは「生きててもしょうがない、死んでもいい」と思ってて、当時の結さんは「うちの青春、始まった!?(キャピ♪)」とか言ってた。その違いです。
つくづく、主人公のキャラクター造形に失敗していたんだなということを再確認できた第123回、こういうの伏線回収っていうんですかね? ロングパス? 振り返りましょう。
越権の極み
「結はNST活動が休止の中、大腸がんの患者・丸尾の食欲不振にひとりで向き合っていました」
いや、NSTがとりあえず休止になりました。丸尾はNST対象から外れます。丸尾の主治医は理事長が東京の大学病院からスカウトしてきた外科医。その外科医は来週の手術の予定(もう今週か)を延期するつもりはなく、点滴による栄養補給で患者の体力を補いつつ、一刻も早くがんを切除したいと考えている。当たり前だよ、どうやらステージIIIか、もしかしたらステージIVかもしれないというのだからね。
ドラマが結さんアゲをしたいあまり、丸尾のがん治療よりも「結さんが常食を食べさせるかどうか」を優先してしまっている。何が「ひとりで向き合っていました」だよ。ひとりで向き合ってんじゃないよ。主治医の指示に従えよ。責任取れんのかよ。
しかも、またぞろ焼き直しの「家族と同じ味の再現」をまるで切り札のように繰り出したかと思えば、お次は点滴の中身を疑ってみる。
さらに点滴にも嚥下にも問題がないとわかると、今度は勝手に心理カウンセリングを始める始末。越権の極みです。このへんの段取り、もう何度も見て来たけど、徹頭徹尾むちゃくちゃなんだよな。管理栄養士である結さんに手柄を振りたいけど、作り手がその管理栄養士の仕事をまったく理解していない、勉強していないから、栄養管理ではない要素で解決に導いてしまう。
主治医は「丸尾さんは抗がん剤で術前治療を終えたところです」と言っていました。当然、食欲不振には抗がん剤の影響だってあるでしょう。そうした主治医のセリフを単に「性格が悪い」という表現だけに利用し、「抗がん剤を投与している」という医療行為の意味を放棄して、単に「手術が不安」「術後の生活が不安」という心理的問題に帰結させている。不安なんて当たり前だろ。あと説得が終わったところでマスク外したのは何? 美人顔を見せて安心させるという心理的アプローチ? 少なくとも管理栄養士の振る舞いじゃないよね?
ここで行われているのは、標準医療の軽視、すなわち患者の命の軽視です。そういうものがNHKで放送されているという、作り手の意図しないところで異常事態が発生しているわけです。マジでヤベーですよ。公共放送が持つ影響力を、もう一度考え直した方がいいと思う。がん患者だって見るんだぜ。
といっても、ノの字や統括さんたちにはむちゃくちゃなことをやってるという自覚はないだろうから、これはもうNHKという組織の問題だと思うよ。倫理のタガが外れています。気を付けて。
あと、もう最後なんで倫理とは別に作劇の部分でね、例えばNSTに心理士がいたら、と考えるわけですよ。この病院のNSTにはいなかったけど、いるケースもあるよね。ここに心理士が入ってたら、全部の患者に対して、結さんって人はなぁーんにもできなかったということになってます。管理栄養士としての役割を果たしてないからね。結論として、管理栄養士を主役にした医療ドラマとしては、正真正銘の0点でした。
日本中に「おまえが言うな」が鳴り響く
アユと詩ちゃんの話。
そりゃきっかけはマキちゃんに顔が似てることだったに違いないけれど、仕事場でコーデ考えてるところとか、確かに2人の間には絆が生まれ始めていますよね。ここは珍しく、演出の意図通り「絆が生まれ始めている」と伝わってきてたんです。アユが詩ちゃんのコーデを誉めそやすのだって、とりあえず全肯定して元気だしていこうというギャル魂だと思えば納得できるところです。
牛丼とかタコパとか「食が人を結ぶ」的なテーマについても、ここではちゃんと描かれてましたね。その「食」の場を作って詩ちゃんを笑顔にしたのは結さんじゃなくアユだったけどね。
ここで未成年後見人という制度を持ち込んでしまったのが第一の失敗。まずドラマとして詩ちゃんに選択肢を与えず抱え込むことの不気味さが否めないし、仮に詩ちゃんがスーパー納得しているとしても、亡くなった両親から莫大な遺産を引き継いでいるとか、何か継続的な治療が必要な難病があるとか、そういう事情がないなら別に「中卒でアパレルに弟子入り」で済む話なんです。これは男の子で考えてみれば、全然不自然じゃないことだよな。天涯孤独の不良少年と出会った大工の棟梁がその少年の性根とセンスを見込んで弟子入りさせて、住まいを用意してやる。アユは全国に知られたギャルのカリスマで講演会に飛び回ってるくらいだから経済的な不安もないでしょう。
義務教育を終えた健康な若者を「かよわい子ども」みたいにしか扱えないのも、作品の奥底にある女性蔑視なんだと思うよ。カズが単身ブラジルに渡ってボール蹴ってた年齢だぜ。
そうやって詩ちゃんを「かよわい子ども」扱いした上で、結さんがアユを説教するくだりはもう、悲惨としか言いようがなかったですね。
まず、大阪の事務所で働いているアユが結さんを神戸に呼び出して、神戸の自宅でこの話し合いが行われているわけです。結さんは大阪勤務、大阪在住だよね。いや、大阪の喫茶店でやりなさいよ。なんだこの無意味な場所移動は。これからシリアスな話し合いがあるのに、バカをやるんじゃないよ。
で、結さんが大上段から「母親論」を語るわけですが、この人はKOGでの詩ちゃんの働きぶりも、牛丼やタコヤキを食べて笑顔になった詩ちゃんも見てないんです。
さらに、結さんという人を「一般の母親像」からなるべく遠くに置こうとしてきた演出もここで悪影響を及ぼしています。妊娠、出産における心情を描かなかったこと。乳幼児期の苦労やストレスを描かなかったこと。夫が家事育児のほとんどを担当し、ろくに娘とコミュニケーションを取らない母親として描いてきたこと。作り手が「結&翔也」という夫婦を描く上で意図的に時代を意識した部分、その意識によって失敗してきた部分、その両方が、このときの結さんの言葉から説得力を奪っているのです。
「おまえが言うな!」
日本中の視聴者が口をそろえただろうね。考えてもみなさいよ、アユと詩ちゃんのタコパみたいな、あんな楽しそうな笑顔、結さんと花ちゃんの食事シーンで見たことあります? これも脳内補完すべき? マジで?
今日含めて、あと3回だそうですよ。不思議な半年間でしたねえ。最終週にきて、1話ずつ、あらゆる角度から「過去イチのヤバさ」を更新し続けています。日本のドラマ史に残る事件だったと思うよ、ここまで崩壊した作品が全国放送されていたという事実は。視聴率とか別に関係なく。
(文=どらまっ子AKIちゃん)