『あんぱん』第15回 乱暴な展開を乱暴な松嶋菜々子が圧し潰す、眼福な画面と揺らぐ信頼

おぉ、今日は過去イチでよくわからない回となりましたNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』。これはなんだ、何を言っているのだ、と考えているうちに強いシーンがどんどん出てきて視聴欲が満たされていく感じ、傍若無人な美魔女・松嶋菜々子に征服されていく画面、眼福でございました。
特に、登美子(松嶋)と千代子さん(戸田菜穂)のバチバチはよかったですね。こういう中年女性同士のやり合いはもう、理屈抜きで性癖にブッ刺さるんです。どうこじつけてもいいから、登美子vs羽多子さん(江口のりこ)というマッチアップも見てみたい。江口のりこ、『ぐるりのこと』での木村多江との試合もすごかったんだよな。今回の役柄的に、2人が衝突したら登美子はめためたにされてしまうと思うけど、それもまた一興です。興奮してきた。
それにしても、今日の話はなんだ、何を言っていたのだ。第15回、振り返りましょう。
乱暴な展開を乱暴なキャラで食う
ほとんど手ぶらで御免与町に舞い戻ってきた登美子さん。往来で目ざとく嵩(北村匠海)を見つけると、そのまま柳井家に突入。その第一声から奮っています。
「しばらく、こちらに置いていただけないでしょうか」
聞けば、嵩を捨てて嫁いだ高知の家とは「離縁いたしました」とのこと。その変わらぬ美貌を見るにつけ、こいつ人格にそうとうの問題があるんだろうなと想像させます。あちらのおうちにも嵩より少し年下くらいの女の子がいましたね。何かトラウマを植え付けてなければいいけど。
大人たちは登美子の事情を聞こうとしますが、その登美子に目を向けようともしないのが千尋さん。何にも言わないもんだからその心中は想像するしかないんだけど、千尋さんが何を考えているのか皆目見当もつきません。
幼いころに柳井の家に養子に出されて、登美子のことを「おばさま」と呼んでいた。登美子が消えると、あんぱんを食って銀座での記憶が蘇り、登美子が母であることを認識した。もしくは、ずっと認識していたが柳井の家に馴染むために忘れたふりをしていたことがわかった。熱が出たら「母ちゃまに会いたい」とか言い出した。この「母ちゃま」は明らかに登美子のことで、この言葉が嵩の足を高知に向けさせることになった。
この「思い出した」のか「わかっていて忘れたふりをしていた」のか、どちらにしろドラマチックではあるのだけれど、千尋が登美子に対して何を思ってきたのかが、どう頭をひねっても想像できないんです。
そんな状態で、千尋の言葉を聞きたいなぁと思っていたら、シーソーのところでひとりごちている千尋をのぶ(今田美桜)が発見。千尋はこんなことを言うのです。
「兄貴みたいには喜べんがやき。面と向こうたら、ひどいことを言うてしまいそうやき」
なんとなーく、雰囲気だけは伝わってくるんですよね。そら大事な兄貴を捨てて出ていった女が8年たって勝手に戻ってきたわけだから、恨み節のひとつも言いたくなるでしょう。でも、その恨みが自身の記憶に基づく自身の恨みなのか、あるいは捨てられた兄貴の寂しさを代弁したいのか、そこがよくわからない。千尋という人と視聴者の間で記憶の共有がうまくできていないから、じゃあ具体的にどんな「ひどいこと」を言ってしまいそうなのかわからないし、このわからなさが作り手にとって意図的なものなのか、単に失敗しているのかもわからない。わからんなーと思っていたら、また美しい登美子があんみつなんか食べちゃって、その色気の前ではあの屈強な少年の悩みなど、どうでもよくなってしまう。
「嵩は怒らないのね」「あら、一人前なこと言って」「優しいところも清さんそっくりね」「でも母さん、あの家で肩身が狭いのよ」「千尋も素っ気ないし」
きれいな人だなー。きれいな人だし、実に身勝手で乱暴なことを言う。作り手によって乱暴に引き戻された登美子という人物が、その人物そのものが乱暴であることによって説得力を持っていく。こんな感じじゃ登美子さん柳井の家には馴染めないだろうし、また嵩と登美子の別れの予感だけがひしひしと伝わってくる。この邂逅もまたひととき、刹那なのでしょう。
だから優しくするんだ嵩は
その刹那を味わっている2人の前に現れたのぶちゃん。登美子の身勝手な行動をしこたま糾弾するわけですが、これもなんとなーく言いたいことはわかるけど、芯を突いてない感じがするんだよな。ここで挿入すべき回想シーンは嵩が登美子に会っているところではなく、のぶが実際に見た風景、つまりは高知帰りに畦道に座り込んでいた嵩や、短いハガキにはしゃいでいた嵩であったほうがよかったんだろうな。のぶは嵩と登美子の高知での抱擁を見ていないわけだから、そのシーンを挟んでものぶのセリフに体重を乗せるという作用にはつながらない。
「のぶちゃんは母親に捨てられたことないだろう」
「のぶちゃんに何がわかるんだよ」
北村匠海のすごくいいお芝居は見られましたが、のぶの糾弾に体重が乗ってないので、ちょっと過剰防衛に見えてしまっている。場面として、視聴者の全員が「そうだ、のぶの言う通りだ!」と賛同してからの嵩によるカウンターであれば泣いちゃったかもしれないけど、ここもあんま上手くいってない気がしました。
「泣かなかった嵩」との整合性
登美子に「親戚の子」呼ばわりされて追い返されたとき、嵩は泣かなかったんですよね。悲しみより、理不尽に対する憤りのほうが大きく見えた。その第10回のレビューで「柳井嵩という人の作家性につながる萌芽を見る」「創作のエネルギーはえてして憤りから生まれたりするものでしょう。なんらかの悲しみや憤りを心で受け止めたとき、それを涙ではなく作品として放出する人なのかもしれない」と書きました。
別に、だから突っぱねろと言いたいわけじゃないし、母親への思いに整合性を求めるのも酷だよなとは思うけど、ちょっと今回の「母を戻す」という作劇にはやっぱり乱暴というか、作家の若年期を丁寧に描くことよりも「盛り上げよう」という下心のほうが勝っている感じがして、めちゃんこ眼福な回だったけれども、ドラマそのものへの信頼がけっこう大きく揺らいだ気がしましたね、今日は。
どうだろう、まだ来週が楽しみではあるけれども。
(文=どらまっ子AKIちゃん)