とんねるずの笑いとは何だったのか─「ハラスメント芸」が許容された時代を総括

中居正広氏の騒動に端を発したフジテレビ問題に関連して、とんねるずの石橋貴明が過去のフジ女性社員へのセクハラを謝罪した。これをきっかけとして、かつてのとんねるずの番組でのセクハラ・パワハラ的な悪ノリが糾弾される事態になっている。その一方で「今の感覚で昔の笑いを裁くのはおかしい」との意見も上がっている。
とんねるずの笑いとは何だったのか。80~90年代を中心に間違いなく一世を風靡していた彼らの功罪について、お笑い事情に詳しい芸能ライターが総括する。
石橋貴明の謝罪で浮かんだテレビ業界の罪…「タレント囲い込み」がハラスメントの温床に
上沼恵美子も「大嫌い」と断じたとんねるずの笑い
フジテレビの第三者委員会が報告書で「重要な類似事案」として、有力な番組出演者がフジ女性社員にセクハラ行為をしていたと指摘。これについて「週刊文春」(文藝春秋)が有力な番組出演者は石橋だったとしたうえで、10年以上前にフジ女性社員が石橋らの参加した集まりに呼び出された際に問題が起きたと報道。途中から2人きりにされ、別の店に移動した際に石橋が下半身を露出し、危険を感じた女性社員はその場から立ち去ったという。
これに対して、石橋は16日に「10年余り前のことで記憶が曖昧な部分もあります」「かなり深酒をしてたためか、覚えていないのが正直なところ」としつつ、「私自身の至らなさゆえ、かなり羽目を外してしまったかも知れません」「同席された女性の方には、不快な思いをさせてしまったことを、大変申し訳なく思っております」と謝罪した。
これをきっかけとして、かつてのフジテレビ系の人気番組『とんねるずのみなさんのおかげです』で繰り広げられていた悪ノリ芸がやり玉に上がることに。当時まだ駆け出しだった女優の松嶋菜々子に「ああ、クセになりそう!」「今日は私が上になるわ!」といった下ネタセリフを言わせたコントや、水着姿になった女性共演者に石橋が「おばちゃん、どうでもいいけどワキの毛を剃ってよ」「下の毛が出てる」などとひどいアドリブを浴びせて裁判沙汰になった騒動などが蒸し返され、糾弾の対象になった。
この他にも、同番組のコントでは「石橋が口から垂らしたおかゆを牧瀬里穂の顔にかける」「石橋が赤ちゃん役の小泉今日子がくわえていたおしゃぶりなどを自分の口に入れる」など、今では到底許されない悪ノリが目立っていた。石橋の悪ノリはとんねるずの番組にとどまらず、中居氏とMCを務めたTBS系『うたばん』でガールズバンド「ZONE」の最年少だった当時15歳のメンバーに対して「なんか〇〇〇〇(男性器の呼称)の先っぽみてぇだな」などと言い放って涙ぐませ、局が謝罪に追い込まれたこともあった。
こうした過去の事例を挙げて石橋を批判する意見がネット上で増加し、芸能界のご意見番である上沼恵美子も20日に出演した番組で「とんねるずの芸って、私が関西(出身)やからかなあ、下ネタをよくやって、それでワッと沸かすようなバラエティっていうのは、私は大っ嫌いです」「なぜかって言うたら面白ないから。女の子に卑わいなこと言わしてエッヘッヘって笑ってる石橋さんの笑いが分からない」と断じた。
その一方、ネット上では「今の感覚で昔のネタを糾弾するのはおかしい」「みんなそれで笑っていたのだから批判する資格はない」「今さら嫌いって言うのは後出しじゃんけん」といった擁護の声もある。実際、彼らが「時代の寵児」として支持されていたのは紛れもない事実だ。
とんねるずの功績と「ハラスメント芸」が支持された背景
お笑い事情に詳しい芸能ライターの田辺ユウキ氏は、とんねるずの笑いや当時の時代の雰囲気についてこう語る。
「1980年代、1990年代のとんねるずのバラエティ番組における破天荒な振る舞いは、バブル後で時代的に停滞感が出始めていたり、これから生きづらくなりそうな雰囲気があったりするなか、若者たちにとってスカッとするものだったのかもしれません。実際、多額の予算を使って爆破シーンを撮ったり、セットを壊したりする様子は、どこか痛快感がありました。同時に今になってみると、とんねるずの番組を放送していたフジテレビはバブル気分をずっと引きずっていたのだなと思えますね。
私は小学生のときから『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)、『とんねるずのみなさんのおかげです』(同)、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)をかなり熱中して見ていました。いずれも刺激的で、同級生の男子はみんなとんねるずとその番組の大ファンでしたし、放送翌日の学校は番組の話題で持ちきり。とんねるずは当時の少年や思春期の若者たちの気持ちをうまくつかんでいたと思います。
個人的には『とんねるずのみなさんのおかげです』で突然、視聴者に向けて『木梨憲武死去どっきり』を仕かけた回を鮮明に覚えています。本当に驚きましたし、ネタバレのときは大きな衝撃を受けました。テレビってこんなにおもしろいことができるのかと、そのときの私は素直にそう感じました。私の中では、あれを超える“バラエティ”はいまだに経験していません。そういったギリギリの企画を次々実現させ、『抗議の電話がなりやみません』と決まり文句を口にするところが、とてもパンキッシュでした」
悪ノリが支持されていった背景には、若い視聴者にとって彼らが一種のヒーローになっていた部分もあったようだ。
「地域によりますが、当時の小学生や中学生は、まだ親や教師から体罰を受けることがありました。授業で答えを間違えただけで教師から顔がボコボコに腫れるまで殴られるようなことも普通にありました。だからなのか、とんねるずがバラエティのなかで無茶苦茶をして、『とんねるずの番組は教育に悪い』と当時の大人たちを困らせるところも、子どもにはどこか嬉しさがありました。
さらに『生ダラ』では、木梨さんがPK対決でペレ、ルート・フリットらサッカー界のレジェンドたちと対戦し、石橋さんはカート対決でF1のアイルトン・セナとバトル。当時はインターネットもなかったですから、そういったスポーツ界のスターを日本のバラエティ番組で見ることができるのは貴重で、その点でもとんねるずにカリスマ性を感じていました。くわえて、石橋さんは米映画『メジャーリーグ2』のメインキャスト(タカ・タナカ役)として、当時としては異例のハリウッドデビューまでしています。
ちなみに『生ダラ』の対決企画で敗戦したとき、再戦をお願いするために『泣きの1回』として土下座するパフォーマンスも、かなり流行した記憶があります。トレンドを作ったり、子どもや若者を熱狂させたりした点においては、この30年くらいのバラエティ史のなかでもトップではないでしょうか」
識者が指摘するキャンセルカルチャーの危険性
とんねるずが80~90年代のお笑い界のトップランナーだったことは誰もが認めざるを得ない。その意味で功績は大きいが、先述したような「ハラスメント芸」を全開にしていたのも事実だ。それが許容されていた背景について、田辺氏は言う。
「当時、とんねるずと仕事をして、しんどい思いをされた方たちは間違いなくいると思います。私も子ども心に覚えていますが、『みなさんのおかげです』のコント中、水着姿の女性が石橋さんから『アンダーヘアが出ている』などと辱められ、その後、提訴した件も大々的に報道されたものの、業界や世間に許容傾向があったせいか、思っていたよりも大きな問題にはなりませんでした。
なぜアンモラルなことが『昔』は許容傾向にあったかというと、それが戦中・戦後直後の世代の影響力が非常に強かったことが、理由の一つにあると思います。日本は終戦してから復興に邁進し、経済成長をがむしゃらに目指した一方で、道徳的な面がずっと歪んだままだった。1990年代のバラエティ番組は、人材、考え方などすべての面で、まだまだ戦中・戦後直後世代の影響に色濃く包まれていたように感じられます。
また、よく『昔はOKだったものが今はダメになった』という言い方がされますが、昔も今もダメなものはダメだった。ただ、昔はそれが言い出せなかった。なにせ『うつ病は気合いで治す』みたいなことが本気で信じられていたような時代でしたから。そういう時代だったので、告発しようとしても相手にされなかった人は多数いた。つまり、当時は『人』に問題があったのです。そのため歯止めがきかず、バラエティの悪ノリは如何ともしがたい状況だったと考えられます」
ただ、昔の芸にハラスメント要素があったとしても、それを今の感覚で「裁く」のは賛否ある。現状では石橋の進退問題に発展しそうなほど批判が目立っているが、田辺氏はこう指摘する。
「すねに傷を持たない人はほとんどいません。だからこそ、かつての時代の笑いやノリに対して『こういうことは正しくなかったから、当事者も、そして私たちも教訓にして良くなっていこう』と建設的なやりとりへと持っていく方がいい。もちろん法に触れることは時代にかかわらず罪に問われるべきですが、かつての度を超えた笑いやノリに関しては『なにが悪かったのか、これから見直していきましょう』という方向性が正しい気がします。そして当事者を社会から締め出すようなことはせず、一緒に発展できるような体系作りが望ましい。
どうしても現代は『良くない過去を持っている人間は、今もきっと良くない人間であるはず』という思考に陥りがち。たしかにバラエティ上の笑いやノリだったとしても、モラル的にどうかということは多々ありました。だからといって『あんなことをしていたのだから消えろ』みたいな思考(キャンセルカルチャー)は、また数十年後、同じように『あの時代の考え方はおかしい』と糾弾される側になりかねないわけです。ですので『良くなるためにどうしたらいいか』を考える機会ができたらいいなと思います」
(文=佐藤勇馬)