CYZO ONLINE > 芸能の記事一覧 > 『べらぼう』語り継がれる平賀源内生存説

『べらぼう』語り継がれる平賀源内生存説…「田沼意次が牢番を買収、源内を仮死状態にして連れ出す」説の信憑性

『べらぼう』語り継がれる平賀源内生存説…「田沼意次が牢番を買収、源内を仮死状態にして連れ出す」説の信憑性の画像1
『べらぼう』で平賀源内を演じる安田顕(写真:サイゾー)

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。

 前回(第16回)の『べらぼう』では、平賀源内役の安田顕さんの怪演が圧倒的な存在感を放ってました。

『べらぼう』家基、毒殺の“歴史的”真相

 詳細は明かされませんでしたが、源内は大工の久五郎(齊藤友暁さん)なる人物からタバコに薬物を仕組まれている様子でしたね。

 ドラマの中では「源内さん、最近様子がおかしいんだよ」というセリフで説明され続け、貧しさゆえに刀も売り払った源内がタケミツ(竹光=作り物の刀)を振り回す奇行も描かれてきましたが、おそらく長い期間かけてヒ素などの毒物を盛られつづけた挙げ句、最後は薬物タバコで完全に正気を失うように仕向けられ、殺人者に仕立て上げられてしまった……というところでしょうか。

 そもそも「なぜ」、江戸から追放された神山検校なる人物の広大な屋敷に、貧乏ゆえに長屋からすら追い出されそうな源内が「タダ」で入居できたのかというところからして怪しいのです。

 ドラマでは大工の久五郎を本当に殺したのは源内ではなく、源内に主人の代わりに屋敷の図面を依頼してきた武士だったのですが、結局、この事件の黒幕「も」一橋治済(生田斗真さん)で、田沼意次(渡辺謙さん)を追い落とすべく、意次のブレーンの源内をまず処分したという描かれ方なのかもしれません。

 ドラマの一橋治済の協力者は幅広いようですね。筆者の周辺でも、すでに田沼の側近に治済の内通者がいるのでは……という声もありました。三浦庄司(原田泰造さん)が内通者という説もありますが、筆者には田沼の嫡男・意知(宮沢氷魚さん)が怪しく見えました。

 平賀源内の死については現在でも諸説が乱れ飛び、曖昧模糊なのですが、一橋治済関与説はなかなか興味深いですね。

 ドラマでは「罪人の遺体は引き渡してもらえない」と説明されていましたが、安永8年(1780年)の年末、牢内で急死してしまったとされる源内の遺体はどうなったのかと疑問の方もおられるでしょう。今回はこのあたりのお話をしていきたいと思います。

語り継がれる平賀源内の突然の死の真相

 平賀源内にかわいがられた後輩の作家・大田南畝の発言をまとめると、「源内は二人殺した罪で、鍛治屋町の牢に入れられた」そうです(大田南畝『一語一言』)。

 また、源内の死から約16年後の寛政7年(1796年)に序文が書かれた史書『譚海』の記述をまとめると、乱心した源内は「勘定奉行松平伊豆守殿」に仕える男性に切りつけて手傷を負わせ、また「米屋久左衛門」なる人物の息子で「久五郎」という人物を殺した罪で即刻入牢し、その後に牢死してしまったとあります。

 それより少し後の時代、西暦19世紀初頭に成立したとされる『鳩渓遺事』という書物にも、源内が起こした事件の詳細が書かれています。ちなみにこの本では源内が切りつけたのは例の「久五郎」と、「松本十郎兵衛」なる武士に仕える「丈右衛門」という人物だとされていますね。

 江戸時代では凶悪事件が発生し、罪人の身柄が確保されても、それについて奉行所が情報公開をせず、源内についても家族や関係者にさえ「源内を捕えた」「源内が牢内で死んだ」くらいの情報しか共有しなかったことがわかります。

 それゆえ、源内が起こした(とされる)凶悪事件について、そして源内の突然の死について真相を知りたいと願う者は時代を超えて存在し続けたのでした。

 ちなみにドラマでは「罪人の遺体は引き渡されない」とされていましたが、史実ではそのあたりは少々異なります。源内の場合は奉行所でのお裁きを受ける前の死ですから、罪状は確定していないのですね。現代風にいえば処刑にはなっていたでしょうが、江戸時代では処刑と言ってもさまざまな違いがありました。

 たとえば奉行所に「下手人(げしゅにん)」に相当されると判断され、処刑された者の遺体は、遺族が望めば引き取り可能でした。

 しかし「下手人」より、凶悪性が高い罪を犯したと考えられる者は「死罪」という区分で処刑されます。「下手人」同様、庶民は首を刀で切断されて死ぬのですが、その死体は遺族が望んでも下げ渡されません。

 おぞましい話ですが、処刑業務一式を代々引き受けていた山田浅右衛門の手の者によって「死罪人」の遺体は引き取られ、刀の試し斬りに用いられたり、その脳や内臓は薬の原料にリサイクルされていったのです。

 遺体を使った刀の試し斬りは、「御様御用(おためしごよう)」と呼ばれ、将軍家ふくむ高位の武士の屋敷で、一種の娯楽としてさかんに行われていました。名刀を手に入れたとき、その優れた切れ味を罪人の遺体を切り裂くことで証明していたわけですね。このときに使われるのは、貴重な刀で斬っても刃に脂肪がこびりつかない(とされる)男性の遺体ばかりでした。

 また薬の原料として珍重されたのは、罪人の肝臓や脳でした。実際に山田浅右衛門は幕府から人間の内臓を原料とする、その名も「人肝丸」などの「医薬品」を販売する許可を得ていたのです。そしてかなり儲けていました(このあたり、詳しくお読みになりたい方は拙著『本当は怖い江戸徳川史』をどうぞ)。

 他にも処刑にはさまざまなグレードがあったのですが、これについては省略します。おそらく源内の場合は「下手人」くらいで済んでいたのではないかな、と想像するのですが、実際に遺族が源内の遺体引き取りを依頼したところ、まったく別人の遺体に源内の着物が着せられて戻ってきたという話も当時からありました。

 しかし、これらの説を明確に否定しているのが源内とも親交が深かった杉田玄白(ドラマでは山中聡さん)で、彼の発言をまとめると「当時は罪人の遺体を親類に下げ渡すことはなかったので、着物だけが帰ってきた。それらを遺体の代わりに埋葬した」のだそうです。

 ただ再三の指摘となりますが、源内は奉行所のお裁きを受ける前の死だったので、本当に「罪人」とひとくくりにしてしまっている玄白の発言を完全に信頼してしまってよいのやら……という気にもなりますよね。

 事件当時20代だったと思われる中尾樗軒(なかお・ちょけん)という「墓石マニア」の在野研究者は、源内の死に様だけでなく、墓石にも不審なところが多いことから独自調査を始めました。

 そして文化年間(1804年~1818年)、80代になった源内と会ったという証言にたどり着いたり、田沼意次が牢番を買収し、源内に薬を飲ませて仮死状態にしてから、自領・遠州相良(現在の静岡県牧之原市)に連れて行って匿ったという噂があることを記しています。

 源内の死を信じられない人はドラマの蔦重だけではなかったのですね。

 たしかに現在となっては詳細不明ではあるものの、源内生存説については「源義経が大陸にわたってジンギスカンになった」とか「西郷隆盛がロシア帝国で生存」などの風説よりは信憑性が高い気がする筆者でした。

 さて、来週はスペシャル番組だそうですが(これまでの振り返り?)、次回(第17回5月4日放送)は「蔦重(横浜流星)は青本など10冊もの新作を一挙に刊行し、耕書堂の認知度は急上昇する。そんな中、うつせみ(小野花梨)と足抜けした新之助(井之脇海)と再会し、話の中で、子どもが読み書きを覚えるための往来物と呼ばれる手習い本に目を付ける。一方、意次(渡辺謙)は、相良城が落成し、視察のため三浦(原田泰造)と共にお国入りする。繁栄する城下町を見て、ある考えを思いつく」という内容だそうです。

 吉原の俄祭のドサクサに紛れて、新之助とうつせみは足抜けに成功していたようですね。まぁ、新之助たちが「ありえない」とされた足抜けに成功できたのであれば、源内と蔦重が再会するという筋書きも「ありえない」わけではなさそう……。

 来週は江戸時代の児童教育書に相当する「往来物」などについてお話できれば、と思っています。

『べらぼう』四民の外という差別概念

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

作家、歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

X:@horiehiroki

堀江宏樹
最終更新:2025/04/27 12:00