『あんぱん』第27回 創作でもいいけど「史実だから充実」「創作だから薄い」ではダメなんです

密かに思いを寄せる豪ちゃん(細田佳央太)に赤紙が届いて兵隊さんに行くことになった。その事実にショックを受けるけれど「おめでとうございます」と声を絞り出す蘭子(河合優実)。今日はもうこのシーンを見られただけでお腹いっぱいといいますか、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』を見た時間が無駄じゃなかったと思えたのでよかったです。
河合優実、演出部のオーダー以上のお芝居を返している感じがするんですよね。細田くんも、豪ちゃんどういう段取りで赤紙を受け取ったのかよくわからなかったけど、繊細で実直な人物像をよく演じてると思う。
豪&蘭子のロマンスに関しては構図がシンプルなこともあって見やすいんですよね。その分、のぶ(今田美桜)周辺のぼんやり感が際立ってしまっているように感じます。なんだ「ただ走りたい」って。こいつ1年間、この学校で何を学んできたのか。というか、この人の中で何がどう変わったのか。
先生を目指して師範学校に進んだが故、こうなった、という必然が何もないんですよね。黒井先生(瀧内公美)のような人物との出会いも、うさ子の変貌も、小さな町で育ったのぶという子にとっては大事件のはずなんだけど、何か影響を受けた感じがしない。黒井先生じゃないけど、走りたければそこらへん毎日走ってたらいいじゃないと思っちゃう。この1年、ランに対するモチベーションが描かれたことも一度もありません。厳しい寮生活にガチガチに縛られて自由がない、ということはナレーションでは語られているけど、しょっちゅう家に帰ってるし、今日も放課後に教室でひとりメランコリックに浸る時間というものが描かれました。自由だなぁと思ってしまうのよ。授業の後もひとりで教室にいて、誰にも何も言われないなんて、自由だなぁと。
そんなわけで第27回、振り返りましょう。
黒井と座間の対比
のぶ側の黒井先生はゴリゴリの軍国主義で管理主義。嵩(北村匠海)のほうの座間先生(山寺宏一)は反戦主義で自由主義。今日描かれたのは、そういう教師同士の対比でした。嵩は座間先生に大いに影響を受けて、世界を広げていっている。
裸婦デッサンがあって、大人の恋愛事情を垣間見たりして、変な歌を覚えて、軍人に怯まない座間先生の背中を見て、嵩はデザイン学校に進んだばかりなのに、たくさんの刺激がシャワーのように降り注いでいる。嵩はメガネの奥の瞳を輝かせながら、銀座の街角で好きな絵を描いている。まだ数カ月なのに、大きな変化が訪れている。
ここにきて、ようやくのぶが師範学校に進んだ意味がわかってきました。いや、人物の意志としてはあいかわらずわからないんだけど、ドラマの都合として、「東京・自由」の対比として「田舎・軍国」を置きたかったということでしょう。後に夫婦になる若い2人が戦争前夜、対照的な環境で青春時代を過ごした。そして自由を謳歌するはずだった嵩が戦争に行くことになる、という進行の前振りとして置いときたかったわけだ。
理屈がわかったって納得するわけじゃないけど、黒井の対比としての座間の振る舞いが過剰であったことで、少しすっきりしたのもまた事実ではあります。
創作だから薄い、ではよくない
おおむね嵩については史実に近いことをやっているのでしょう。だからエピソードも豊かになってきている。
一方で架空の人物である“今”ののぶちゃんに変化が与えられていないし、そもそもどういう人物なのかもよくわからない。蘭子の姉である、うさ子の友人であるということはわかっても、のぶがこういう人であるという主張がない。蘭子に「豪ちゃんへの思いを伝えろ」という場面でも、姉なら誰でも言えそうなことしか言ってない。
史実ではやなせたかしと妻は新聞社で出会っていて、このへんののぶは創作なわけですけど、創作であることを否定したいわけではないんです。創作なら創作でいいから、史実と同じくらいの精度で詳細を作り込んでほしいと思うわけです。嵩パートは史実だから充実している、のぶパートは創作だから薄い、そう見えてしまっていることが問題だと思うのよ。しかも、嵩は基本ナヨってるので誰にどんな影響を受けても違和感がないんだけど、のぶは無駄に「芯が強い」というイメージだけ与えられているので、よっぽどのことを起こさないと動揺しないという、キャラクターによる作劇の不都合まで生まれてしまっている。
豪ちゃんが出征してどうなるかの影響については蘭子が背負うことになるでしょうし、のぶにとってはしばらくぼんやりしたまま進んでいきそうな気がしますね。
今のところ、あんまり役に恵まれなかったなぁという印象の今田美桜。この人好きなんで、どうにか輝かせてやってほしいところです。
(文=どらまっ子AKIちゃん)