CYZO ONLINE > 芸能の記事一覧 > 『あんぱん』竹野内豊の名演も空回り

『あんぱん』第41回 竹野内豊の名演も空回り「同じことを言う人」という存在の浅はかさ

今田美桜(写真:サイゾー)
今田美桜(写真:サイゾー)

 NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第9週、「絶望の隣は希望」が始まりました。「絶望の隣は希望」、嵩のデザイン学校の合格発表の日、試験に落ちたと思い込んでいた寛おじさん(竹野内豊)が言ってましたね。このドラマのモデルとなっているやなせたかし先生の著書『絶望の隣は希望です!』からの引用です。

『あんぱん』主人公の結婚をまるで祝福できない

 寛おじさんは局面でたびたびやなせ先生の名言を引用するbotと化して周囲の涙を誘ってきましたが、今日は死にました。よく死ぬなぁ、人が。

 第41回、振り返りましょう。

どういう感情で見ればいいんだ

 冒頭、いきなり登場した次郎という男前にプロポーズの返事をするのぶ(今田美桜)が再び映し出されます。土日を挟んでいるのですっかり忘れてしまいましたが、なんでこの人、次郎と結婚することにしたんだっけ。亡き父・結太郎(加瀬亮)と同じことを言う人だったからか。

 そもそもなんですが、同じことを言ったからなんなんだ、と思うんですよね。その文言が同じなら意味も同じで、それを言った人も同じような人だというわけじゃないでしょう。

 その言葉を言うタイミング、シチュエーション、時代背景、人柄、そういうさまざまな要素をひっくるめて言葉には意味が生まれるわけで、「同じことを言った」という事実だけをもって人が人を愛することになる理由の裏付けに使うのは浅はかだよなと思ってしまうわけです。だから、のぶの結婚に対する決意が浅はかに見えるし、全然祝福できない。

 そして、このドラマにおける言葉についての浅はかさの象徴だったのが、やなせ先生と「同じことを言う」でお馴染みの寛おじさんでした。その言葉を言うタイミング、シチュエーション、時代背景、人柄と関係なくやなせ先生の名言を引用し、それによって周囲が心を動かされるということが何度も起こっている。もう一度書くけど、同じことを言ったからなんなんだという話です。やなせ先生の言葉を引用するたびに、寛おじさんという人のキャラクターが瓦解し、人間に見えなくなっていく。単なるbotになっていく。

 今日はそのbotが更新を停止しました、じゃなくて劇中で多くの人のメンターとなっていた寛おじさんが亡くなりました。

 これをもって、何を思えばいいんだろう。

 朝田のぶという主人公の女性がいて、そののぶが結婚を決めて朝田家は祝福ムードに包まれていて、後にのぶと結婚する男性の育ての親が急死する。その死んだ男は主人公とも親交があって、「のぶと嵩は一緒に涙を分けてきた」とか言ってた。その言葉を聞いて、のぶは号泣していました。

 こっちは2人が涙を分けてきたシーンなんてひとつも見ていないけど、まあ号泣してたから「そうか、のぶにとって嵩はそういう人なんだな」という理解で見ていたら、結婚を決めるまでの間、のぶは嵩のことをひとつも考えていない。

 そして、「のぶと嵩は一緒に涙を分けてきた」と言っていた人が死んだ。いよいよ一緒に涙を分けるときが来たと思ったら、のぶは結婚を決めてるし、もう涙を分けるような関係じゃなくなっている。

 のぶにとって嵩は初婚ではありません、嵩は卒業制作の作業に追われておじさんの死に目に会えませんでした、そういう史実と、のぶと嵩が幼なじみでした、という創作部分を強引にミックスしたおかげで、のぶと嵩の関係性の中で寛おじさんの死という事実に対する受け入れ態勢が整わなくなっている。ただ、人の死=ショッキングという印象だけがあって、私たち視聴者がこのショックを誰に共感しながら受け入れればいいかわからない。のぶの思考回路は意味不明だから嵩に共感しようとしても、それも無理になってしまう。

嵩への共感が無理なのは

 嵩に共感できないのは、「チチキトク」の電報を受けても卒業制作を続けようとするシーンの説得力のなさです。

「これを仕上げないと、おじさんに顔向けできないから」

 なんそれ。

 ここまで、嵩が学費やら下宿代やらを工面してくれているであろう寛おじさんに恩義を感じているようなシーンは皆無でした。東京でどんちゃん騒ぎをして、バイトをしている様子もないし、のぶに買って行った高そうな赤いハンドバッグも、状況から察するにおそらくは寛おじさんのカネで買ったものでしょう。

 その赤いハンドバッグを携えた夏休みの里帰りでも「おじさんのおかげで云々」というシーンはなかったし、東京にも勝手に汽車を1本早くして、おじさんにあいさつもなく帰っている。

 絵に対する情熱もずっと停滞していて、のぶに手紙を書くか書かないかしか考えてなくて、いざ「手紙を書くぞ、卒業制作を仕上げて」と心に決めてとりかかったのが、今描いているポスターです。

 これを仕上げないと、のぶちゃんに会えない。その一心で描いていたはずのポスターが、いつの間にか「おじさんに顔向けできない」に変換されている。何を差し置いても絵を完成させるのだという芸術家としての狂気のようなものも今の嵩の中に宿っている様子はなかったから、ただただ「なんでやねん帰れよ」としか思えない。

 結果、嵩は絵を仕上げてから汽車に飛び乗るものの寛おじさんの死に目には会えないわけですが、そこで今度は千尋から「遅い」となじられることになる。

 いや、どんくらい遅いの? 電報から絵の完成、帰郷まで何日かかったの? 画面からの情報だけで判断すると夕刻に電報を受けて徹夜で絵を仕上げて、翌朝の始発で発ったように見えるけど、だとすれば最速じゃね? と思うんですよ。嵩が電報を受けてから絵を完成させるまでの時間がどれくらいだったのかは、嵩の絵に対する執念とおじさんへの思いがどれくらいの時間にわたって葛藤していたのかという重要な情報なわけですが、それがわからないから嵩の後悔にも共感できない。

 あと、柳井の家には電話があって、東京のデザイン学校にも電話はあるよね。電話せえよ、千尋。君は普段何をしてるんだ、千尋。なんか法律家を目指して学校に行ったんじゃなかったのか、千尋。もうめちゃくちゃじゃないか。

 竹野内豊の死に目の芝居はよかったと思うよ。というか、嵩が電報を横に置いて絵筆を取る場面も前後を無視すればエモーショナルではあるんだ。普段明るい健ちゃんのあの感じもいいし、山ちゃんがガチった瞬間も迫力があった。もうね、シーン単体でしか評価できなくなってるのだわ。悲しいことだわ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん朝ドラ『あんぱん』全話レビュー

『おむすび』最終回もダメダメ

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/05/26 14:00