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『あんぱん』第42回 急に差し込まれる「泣き」のテンプレートに意味が宿らない

今田美桜(写真:サイゾー)
今田美桜(写真:サイゾー)

 時代劇を見る楽しみのひとつに、その時代、その場所の風習を知ることできるということがあると思うんですよ。NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』では4日目で結太郎(加瀬亮)が死んだとき、白装束で葬列をつくって畦道をみんなで歩くというお葬式が描かれていて、おお、こういう葬式なんだ、と思ったんですよね。とっても雰囲気のあるいいシーンだったんです。

『あんぱん』竹野内豊の名演も空回り

 その後、豪ちゃん(細田佳央太)が戦死して開かれた葬式は朝田石材の作業場にイスを並べたもので、ずいぶん簡素といいますか、ランク(?)によって葬式のスタイルも変わるのかと納得していたわけです。

 ランクという意味でいえば、昨日死んだ寛おじさん(竹野内豊)はSSSクラス、御免与という町における最重要人物であるはずです。何しろ町で唯一の医者ですし、誰もが尊敬する人格者だ。顔も広いし、寛おじさんに助けられた人もたくさんいることでしょう。往診も頻繁にしていたから近隣の村からも葬式に出たい人はいくらでもいるだろうし、東京の学会なんかにも参加していましたからね、どれだけ盛大な葬式になるのか楽しみにしていたんです。

 なかった、葬式、なかったなー。SSSなのに。

 今日の冒頭、のぶ(今田美桜)とママの羽多子(江口のりこ)が寛おじさんに手を合わせに、柳井の家に来ていました。その後ろでは、千尋(中沢元紀)が「おばさん、のぶさん、ありがとうございます」とか言ってる。どういう意味?

 第42回、振り返りましょう。

カットではなく「なかった」

『あんぱん』は、寛の葬式をカットしたのではなく、寛の葬式が行われなかった世界線を描いていたように見えました。

 唐突に寛と結太郎が子ども時代から無二の親友だったことになり、その2人の未亡人となった千代子さん(戸田菜穂)と羽多子さんが寛の遺したウイスキーで献杯している。

 そのシーン自体は構図もいいし役者の芝居もいいし、とっても見応えのある数分間だったと思うけど、単に涙腺をぐいぐいと刺激してくるような異物感だけがあって、頭の中に意味が入ってこないんですよね。

 そりゃドラマだから尺や予算の都合があって「描かれない行間」が発生することはあるだろうけど、葬式がなかった、あるいは葬式はあったけど羽多子とのぶは参列しなかった、という不自然さが勝ってしまって、おそらく作り手側の最大の目的だったはずの「視聴者を泣かせる」ことにつながっていないわけだから、やっぱり失敗してるなと思うしかないんです。

 のぶと嵩のシーソーのシーンもそうで、のぶ自身が寛の死をどう受け止めているのかが描かれていないから、あんぱんを持って来たり「友だち」って言ったりすることの意味が入ってこない。ここだってシーン単体で見れば悪くないけど、これが寛が死んでから何日目なのかわからないし、寛の死後、2人は初対面なのかどうなのかが曖昧だから会話が上滑りしていく。

トークテーマも変だ

 のぶと嵩のトークテーマは「嵩、寛おじさんを『お父さん』と呼べなかった問題」でした。のぶの口ぶりから察するに、どうやら寛おじさんは嵩に「お父さん」と呼ばれたがっていて、嵩は意地を張って「おじさん」と呼び続けたということのようです。

 受験のとき、嵩が戸籍を取り寄せていたことがありました。実の父(ニノ)が死んで、母親の登美子(松嶋菜々子)が再婚したことで、嵩の戸籍は空っぽになっていた。つまり、寛は嵩を養子にしていたわけではない。千尋は養子だけど、嵩はそうじゃない。

 じゃ、おじさんじゃんね。どんな事情があったか知らんけど、「お父さん」になろうとしなかったのは寛おじさんのほうじゃんね。嵩が寛を「お父さん」と呼ぶなんて、むしろおこがましいことじゃんね。

「育ての親を『お父さん』と呼べなかったことを後悔」というテンプレートを差し込めば視聴者は泣くと思ってるのかもしれませんけど、人の感動はスイッチ式ではございませんのでね、シラケるばかりです。

 あと嵩が寛おじさんの「何をして生きるのか」とか「絶望の隣は希望」とかいう名言を思い出してたけど、こうなるとそのやなせたかし先生の名言の数々は嵩がそのさまざまな経験から搾り出したものではなく、親戚のおじさんの受け売りということになっちゃうけど、大丈夫なのかな。私たちは寛おじさんが医者になるためにどんな葛藤を抱えていたのかも、どんな絶望を経験したのかも皆目見当がつきませんし、後に嵩がアンパンマンマーチの歌詞や著作物を制作する際に「親戚のおじさんが言ってたヤツ」を引用していたことになるわけで、だいぶ話が変わってきちゃうと思うんだけど。

何笑とんねん、のぶ

 そんなこんなで「ごめんなさい、お父さん……」とか的外れな後悔をしている嵩の横で、のぶはにっこりと笑うんですよね。寛が死んで、「やっとお父さんって呼べたね、嵩。寛おじさんも喜んでいることでしょうよ」ってことなんだろうけど、この「お父さん呼び問題」が今日になって急に差し込まれたものだから、この笑顔に違和感しかないんだよな。せめて以前に、

嵩「僕、おじさんをお父さんって呼べないんだ」
のぶ「呼びなよ、寛おじさんも喜ぶよ」

 というくだりがあればまだ納得できるんだけど、知らんもんその問題。主人公が笑う瞬間ってドラマにとってすごく重要で、この人物が何を喜んで何に幸福を感じるかという情報を読み取る最大の要素なわけですけど、なんか変なタイミングで笑うことがあるんだよな、のぶって。こないだも、蘭子(河合優実)が「私に気兼ねせず結婚しろ」と言ったとき笑ってたけど、意味わかんないんだよ。意味わかんないことで笑うやつって信用できないんだよ。

 なんかホント、いろいろうまくいってないなぁと感じる回でした。いつかおもしろくなるのかなこれ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/05/27 14:00