『あんぱん』第43回 展開の都合とエモにあてがわれる継ぎはぎの「感情らしきもの」

今日も変なシーンから始まったなぁ。故・寛おじさん(竹野内豊)の初七日が過ぎて、嵩(北村匠海)は東京へ戻るという。柳井の家の玄関を出ると、弟の千尋(中沢元紀)が家から出てきて「兄貴!」と嵩を呼び止める。
何かと思えば、「のぶさんのことやけんど」。
寛おじさんが亡くなって7日間がたって、この兄弟が直接会話を交わしたシーンはほとんどありませんでした。寛について、嵩がもっとも語り合うべきは千尋であるはずなんです。寛のもとで十数年の日々を共有してきた兄弟ですよ。積年の思いがあるはずだ。寛との日々、寛が与えてくれたもの、寛の言葉、そしてこれからどう生きていくか、当然、のぶさん(今田美桜)の結婚についても話題になって然るべきなんです。
「のぶさんのことやけんど」
千尋がそう言ってしまったことで、嵩と千尋の兄弟の絆というものが消えてなくなってしまうんです。寛が死んだっていうのに、初七日の間、この2人は大して話もしていなかった。嵩も千尋も、互いの人生にまるで興味がない。そういうことになってしまう。
こういう雑なことをやってしまうと、一発で信用を失ってしまうんです。今後、千尋の身に何かあって嵩が狼狽したり号泣したりすることがあっても、こっちは今日のシーンを思い出して「いやいや、絆あれへんやん君たち」としか思えない。海辺の相撲のシーン、よかったよね、確かに兄弟の絆を描こうとしてたよね、帳消しなんですよ。
そんで千尋は紙袋からおもむろに赤いハンドバッグを取り出して、嵩に「持っちょき」とか言ってる。赤いハンドバッグを提げて汽車を乗り継いで東京に帰れというのか。せめて紙袋ごと渡してやることはできないのか。もう嵩が拒否する前提で話を作ってるから、こんな不自然な提案をするしかなくなってる。紙袋ごと渡して、嵩がそれを覗き込んで「これ……」「兄貴が持っちょき」とする、そのひと手間をどうしてかけることができないのか。
するとその後、千代子(戸田菜穂)とおしんちゃんが玄関から出てきて、弁当を渡してくる。これじゃ、千尋が嵩を呼び止めなかったら千代子は弁当を渡せなかったことになる。
家の中でやれ、家の中でやれよ、そういうの全部。ゆっくり向き合って会話させたらボロが出るから外でやってる。姑息な演出ですよ、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第43回、振り返りましょう。
もうひとつの絆も消える
朝田の家は柳井医院と駅の間にあるんですね、初めて知りました。
駅に向かう途中、朝田パンの前を通りかかった嵩は次郎(中島歩)と鉢合わせて、のぶの結婚を知ることになります。
「のぶちゃん、お幸せに」
「うん」
のぶはこれ、どういう気持ちなわけ?
シーソーのシーンで、のぶは嵩を親友だと言いました。今は亡き寛おじさんに「涙を分け合ってきた」「今は平行線でもいつか交わる」と言われて滂沱の涙を流していたし、おっかない黒井先生(瀧内公美)に堂々と「大切な人だ」と言い切っている。
あのシーソーのシーンね、嵩が寛を「お父さん」と呼んだ呼ばないの話をしていた場面。あそこのシーンが2人の中でどう終わったんですかね。帰り際、どんな話をしたんですかね。嵩がのぶに気持ちを伝えようとして、それをやめる。気まずい沈黙が流れる。
普通に、言わなきゃいけないよね。のぶは嵩にあの場で「結婚することになった」って伝えなきゃいけないし、伝えたいはずだよね、だって親友なんだぜ、誰よりも喜んでほしい相手じゃないの、あそこでのぶが嵩に結婚を伝えなかったということは、明確に「伝えたくない/伝えるべきじゃない」という思考が働いているということで、じゃあ親友じゃないし、嵩の気持ちに気付いてるけど泳がせてたってことになっちゃうし、いずれにしろ2人の間にもう絆なんてないし、のぶってなんか嫌なヤツだなという印象だけが残ってしまうよね。
立ち去る嵩を見送るのぶの表情からは、どんな感情も読み取れません。ここ、今田美桜はホントに不憫だなと思っちゃった。こんな意味不明な場面で顔面ドアップで抜かれて、こういうときどんな顔をしたらいいかわからないよな。
3姉妹が泣きながらラジオ体操するところも「エモ」の匂いだけがあって、まるで意味がわかりませんでした。これ、第4話で結太郎(加瀬亮)が死んだ回のレビューで「ここまでのぶと妹たちとの関係性もほとんど描かれていませんので、この段階で父が死ぬと、『平常運転の朝田家』において3姉妹が幼少期にどんな姉妹だったのか、それがもう二度と描けない」と書きましたが、まんまその弊害が出てるね。知らんのよ、君たちの関係性を。
次郎とのぶの祝言も嫁入りする側の実家でやったり、「家族だけ」はいいけど次郎は3兄弟だったはずなのに母親しか出席していなかったり、もうむちゃくちゃです。朝ドラヒロインの結婚式なのに、ひとかけらの感動もない。なんじゃこりゃ。
薄情者の巣窟
のぶの結婚を知って、失意の中、東京に帰った嵩。こたつと一体化して「もう何もかも遅かったよ」とか言ってます。
この「何もかも」には、のぶに気持ちを伝える前に結婚してしまったことと、寛おじさんの死に目に会えなかったこと、その2つが含まれていて然るべきです。
ところが『あんぱん』は、このときの嵩の悲しみを「のぶ」のほうだけとして扱います。
「銀座行ってみんね」と嵩をこたつから引きずり出す健ちゃんの明るさには救われる部分もあるけどさ、親が死んで初七日から帰って来たばかりの人間にやることじゃないよね。これ女にフラれた程度の相手にやることだよね。父親が死んでるんだぜ。少しはひとりで考える時間をくれてやれよ。だいたいおまえ、勝手に嵩の下宿に転がり込んできてるってことは、おまえが住んでるその下宿の家賃も寛おじさんが払ってたんだからな。わかってんのか。就職祝いだ? 祝いだと? 父親が死んでるんだぞ。
愛国への逡巡はどうしたの
子どもたちに愛国教育を施して、豪ちゃん(細田佳央太)が死んでそれに疑いを持って、次郎にその逡巡を語ることで結婚にこぎつけたのぶちゃん。高知の家に嫁に入ってからも御免与の学校に通勤してるみたいですけど、その逡巡はどうケリをつけたんですかね。次郎の前で「悩める女」を演じるために逡巡してみせただけで、本当は迷ってなんかないんですかね。そもそも愛国にも興味がなかったんじゃないかとも思いますよ。それくらい、のぶが何者なのかが伝わってこない。理解できないから共感なんかできるわけない。
もう本当にね、嵩と登美子(松嶋菜々子)の偶然の再会もそうだけど、展開の都合とショックとエモ画面だけがあって、人の感情の連続がひとつもないんですよ。シーンと矛盾しないことだけを目的とした継ぎはぎの「感情らしきもの」が次々に現れては消えていく。結果、人物の中に大きな矛盾を生んでいく。主人公が何を考えて、その考えがどう変化していっているかを追うことができないから、物語そのものが停滞して見える。何も進んでいないように感じる。
朝ドラってこんなに展開遅かったっけと思って『おむすび』の第9週レビューを振り返ってみたら、もう神戸に来て専門学校に入学してましたね。どらまっ子AKIちゃんは「アユの墓参り見せろ!」とか言って激怒してました。あのときは怒ってたなぁ。
そういう怒りは、『あんぱん』には全然ないんだよな。やっぱりところどころ、蘭子とか蘭子とか眼福なシーンがあるので、それなりに満足しちゃってる部分はあるんだと思う。なまじ技術があるだけに、こっちのほうが始末が悪いような気もしてきましたね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)