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ゆりやん「ブス・デブ、むしろ言って」と発言も…タブー化する「容姿イジり」の是非と現在地

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イメージ画像(写真:Getty Imagesより)

 コンプライアンスの強化でバラエティでも「容姿イジり」が難しくなっているなか、ゆりやんレトリィバァが「ブス、デブと言わせないとは一言も言っていない」「むしろ言ってもらいたい」と発言したことが話題になっている。過度な配慮は芸人の武器を奪うことになるのではと指摘される一方、時代の流れ的に容姿イジりのタブー化は仕方ないとの見方もあり、賛否を呼んでいるようだ。

 お笑いにおける「容姿イジり」の是非や一般社会への影響、今後どのようになっていくのかといったことを含め、お笑い事情に詳しい芸能ライターが現状を分析する。

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ゆりやん「むしろ言って」と発言も…女性芸人の容姿イジり封印相次ぐ

 ゆりやんレトリィバァは12日、平成ノブシコブシの吉村崇と共に体験型展示イベントのメディア向け説明会に出席。「モヤモヤ」をテーマにした展示にちなんだトークで、吉村が「下の世代でルールを固めて持って来てくれ」と切り出し、「例えば容姿の表現。言われても全然平気って人もいるし、絶対ダメって人もいて、二つに分かれる。もうそっちでまとめてきてくれと。われわれおじさん世代はちゃんと読んで学ぶから。固まってない中でやられるのは一番しんどい」と愚痴をこぼした。

 昨今はお笑いにおいても「容姿イジり」の扱いが難しくなっており、不用意な発言で炎上するケースがある。吉村のような百戦錬磨の芸人ですら「ルールが分からない」というのだから、いかにデリケートな問題になっているのかがうかがえる。

 これに対して、ゆりやんレトリィバァは「先輩方はめっちゃ気を遣ってくれているのでしんどそう」と同情しつつ、「私は『ブスって言わないでください』とか『デブとは言わせません』とか一言も言ってないし、むしろ私は言ってもらいたい」と告白。さらに「私が女性芸人にブスと言わせなくなった張本人みたいになってて……ちゃうわ!」と“容姿イジり反対派”のレッテルを否定した。

 続けて、ゆりやんレトリィバァは「でも結局、本人より周りの人が『えー、なんでそんなこと言うの? かわいそうじゃん』みたいになる。私らは何も思ってなくても。笑いたくても、笑ったら『そういう風に思ってるんじゃないか』と周りに思われそうで笑えない人もいるはず」と指摘し、「もう何言ってもいいですよ。これ言ったらダメだとか、あれ言ったらどう思われるかとか、もういいじゃないですか!」と呼びかけた。

 近年のコンプラ強化に一石を投じる発言ともいえるが、昨今は女性芸人が自ら「容姿イジり」を封印するケースが相次いでいる。

 2021年には、3時のヒロインの福田麻貴が容姿ネタの炎上をきっかけに「私達は容姿に言及するネタを捨てることにしました!」と宣言。「芸人側は『イジってくれてありがとうございます』なんですけど、視聴者からしたら『かわいそうでしょ』とか『傷つくでしょ』ていう風になってきているのでウケなくなった」と語り、ネタが「リアルの言葉」と捉えられやすくなり、笑いにならなくなってきたことが封印の理由とした。

 また、尼神インター(現在は解散)時代の誠子も2020年ごろに漫才における自身の「ブスイジり」を封印。2018年には、相席スタートの山崎ケイの著書『ちょうどいいブスのススメ』がドラマ化されるも、このタイトルに「女性蔑視的」との批判が集まり、番組名が『人生が楽しくなる幸せの法則』に変更されるという騒動もあった。

「容姿イジり」には芸人としてのおもしろさが必要

 お笑いにおける「容姿イジり」とはなんなのか。今後どのような扱いになっていくのか。お笑い事情に詳しい芸能ライターの田辺ユウキ氏はこう解説する。

「『見た目がおもしろい』という面での笑いについては、これまで通り行われると思います。ここで頭に入れておきたいのは、『容姿ネタ』は主に2パターンあるということ。それは、その人の『素の見た目』を笑うことと、『リアクションなどの際の見た目』を笑うことです。世間的にNGとされているのは『素の見た目』を笑うこと。顔立ち、体型などその人にしかない見た目の個性を笑いものにするのは良くないのです。

当人が『その個性を笑ってほしい』と言っていれば、そういう相手に対する『尊重』としてイジるべきですが、現在の社会的な雰囲気ではなかなかそううまくはいきません。女性芸人の『素の見た目』をイジることに世間が抵抗感を持つようになりましたが、『見た目をイジってほしい』と考えている人は、それを『リアクションの見た目』で笑ってもらうように変換すればいい。ただそのためにはテレビ番組や劇場で、ネタ、平場での返しなどでしっかり結果を残さなければいけません」

 吉本新喜劇の看板女優である島田珠代は、昨年6月の「ウォーカープラス」のインタビュー記事で、「容姿イジリが過剰に見えてしまうと、お客さんは『それは珠代ちゃんがかわいそう』って感じてしまって、笑いにつながらなくなってしまう。だから、安心して笑ってもらえるように、イジリに負けないくらいボケを上書きしていって、『あ、これは珠代ちゃんがイジられても仕方ないわ』と思われるくらいの立ち位置をキープしている場合もあります」と、容姿イジりネタのコツを語っている。イジられる側にも相応の技術が必要になる時代のようだ。

 それを踏まえて、田辺氏は続ける。

「そもそも『素の見た目』だけで笑われても、お笑い芸人としての発展はないでしょう。前提として、ネタがおもしろかったり、リアクションがおもしろかったりしなければいけない。たとえば、男性芸人だとアインシュタインの稲田直樹さんはネタや返しがおもしろいから、容姿イジりが成立します。ゆりやんさんもやはりネタがすごいですし、どんなことでも笑いで打ち返せるから、見た目でも笑うことができる。

 芸人としてのおもしろさがあれば、イジる側も『こいつならちゃんと笑いに変えてくれる』と信頼ができますし、躊躇なく容姿イジりができる。その一方、安易に見た目で笑いをとる人は淘汰されるようになり、より純度の高いお笑いができる女性芸人に絞られ、そういった中で理解が得られる容姿ネタができあがっていくのではないかと考えられます。それでもこれはあくまで『綺麗事』『理想論』ではありますが……」

「容姿イジり」はプロ同士だから成立する

 先述したように、ゆりやんレトリィバァは「もう何言ってもいいですよ」と呼びかけたが、容姿イジりへの拒絶感が強まっていく風潮は今後さらに進んでいくのだろうか。田辺氏はこう見る。

「本人が『容姿をイジってもいい』としていても、今は世間がそれを許しません。良かれと思ってイジっても、そのイジった側に対して『酷いことを言った』と批判が向き、瞬く間に炎上する可能性が高い。あと、容姿イジりをするキャラが定着してしまうと、CMやイメージキャラクターなどの仕事の依頼が来づらくなる。つまりこのご時世、容姿イジりはほぼデメリットしかないのです。ただ、容姿イジりがテレビで放送されたり、記事に載ったりしているということは、本人サイドはそれにOKを出しているということ。その辺りを考えずに、イジった側を叩くのは基本的には筋違いです。

 また、島田珠代さんがインタビュー記事でおっしゃっていたように、見た目をイジられる側も、イジる側も、どちらもプロだからこそ成り立つということを私たちは頭に入れておくべき。珠代さんは、プロではない人がそれをやると『簡単に人を傷つける凶器にもなってしまう』とおっしゃっていますが、まさにその通りです。それらのルールがある上で容姿イジりは行われているのですが、ただ視聴者の立場として考えると、いちいちそんなことを理解した上で容姿イジりを許容しなければいけないのか、となりますよね」

 さらに「容姿イジり」問題の根本について、田辺氏はこう論じる。

「容姿イジりの悪影響として考えられるのは、子どもたちが真似してしまう可能性があること。やはり教育上、それは大きな問題があります。容姿イジりをされた過去を持つ人たちは、成長してからもずっと容姿にコンプレックスを持つ場合が多い。本当であれば、お笑い芸人たちの容姿イジりは『反面教師』にしなければなりませんでした。そもそもお笑いというのは、世間や常識やルールへの反面教師的な要素があるものですから。親、教師らが、子どもに小さいうちから『お笑いとはこういうことなんだ』『容姿イジりとはこうなんだ』という話をしてあげなければいけなかった。

 特に『テレビを見る』ということが定着した昭和後期から平成にかけて、そういった教育を実施するべきだった。それを、ただ単に『このテレビは悪影響だ』『子どもに見せたくない』と大雑把にまとめてきたから、歪みが出てきた。『なぜそれがいけないのか』『その笑いの背景に何があるのか』を教えるべき。日本は、大衆文化の側面から物事を教える力が乏しい。現在の『容姿イジり問題』は、そういう教育の欠点の一つです。

 こうなった以上は、容姿イジりへの風当たりが緩和されるなんてことはないでしょう。そしてさらに締め付けは『やりすぎ』のレベルにまでなっていくでしょう。ただでさえ人の美意識はより加速しています。容姿ネタはますます縮小し、問題は過度になり、人は自分の容姿そのものに対してより過剰に考えるようになる気がします」

(文=佐藤勇馬)

協力=田辺ユウキ
大阪を拠点に芸能ライターとして活動。映画、アイドル、テレビ、お笑いなど地上から地下まで幅広く考察。

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佐藤勇馬

1978年生まれ。新潟県出身。SNSや動画サイト、芸能、時事問題、事件など幅広いジャンルを手がけるフリーライター。雑誌へのレギュラー執筆から始まり、活動歴は15年以上にわたる。著書に『ケータイ廃人』『新潟あるある』がある。

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最終更新:2025/06/18 09:00