『べらぼう』松前藩の蝦夷地追放計画と江戸城内での暗殺、そして四民の外でも吉原で歓迎された江戸の「三大モテ職業」のひとつ関取の人気ぶり

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。
前回(第23回)の『べらぼう』、「我こそは江戸一利者なり」のタイトルどおり、江戸城に近く、権威あるビジネス街だった日本橋への蔦重(横浜流星さん)の進出計画が描かれる陰で、田沼派から持ち込まれた「金儲け」という名の陰謀の話が、きなくさいニオイをぷんぷんと撒き散らす内容でした。
蔦重が、どうやって格上すぎる身分の田沼意知(宮沢氷魚さん)からのお誘いを断るのかを楽しみにしていたのですが、少しだけ考えたと見せながらも、きっぱりと「お断りします。手前のことで手いっぱいなんで」と頭を下げていたので、なるほどね……と納得した筆者です。たしかにああいう断り方が一番でしょう。最上流のお武家様のスキャンダルに「吉原者」などが巻き込まれても、良いときだけ利用され、処分されてしまうのがオチですから。
しかしどう考えても危険な話なのですが、誰袖花魁(福原遥さん)と大文字屋(伊藤淳史さん)は儲け話にゾッコン。蔦重から警告された大文字屋は、ふだん「優男」として振る舞っていることなど忘れてしまったかのように大声を上げ、「このビッグウェーブに乗らねぇ手はないんだよ(超訳)」と詰め寄る始末で、救いようがありませんでした。
ここで今後のドラマの展開を史実と照合しながら考えてみましょう。
史実の誰袖花魁は、土山宗次郎(ドラマでは栁俊太郎さん)に1200両という高額で身請けされ、吉原を去っていくのですが、勘定組頭(役高350石)の土山宗次郎に、1200両など支払える額ではなかったはず。
しかし土山は田沼意次(同・渡辺謙さん)の腹心で、田沼派による蝦夷地(現在の北海道)上知のプロジェクトにも加担していたようですから、実際の石高以上の「儲け」を手にできる立場にあったようです。
だからこそドラマで、蔦重にも「日本橋に店を持たせてやろうか」と軽く持ちかけられる経済力があり、土山が誰袖を落籍できたのも、田沼派から回ってきた「黒い仕事」で得た金があったのは事実だと考えられるのですね。
ただ……ドラマでは田沼意次ではなく、その嫡男・意知や土山が進めているという演出の松前藩の蝦夷地上知(追放)計画は、あまりに「汚い話」でした。
米作ができない蝦夷地南西部を所領とする松前藩は「無石大名」の扱いでしたが、アイヌとの交易によって莫大な利益をあげ、それを毎年幕府に「運上金」として献金していたのです。また、農業ではなく商業中心という松前藩独自のあり方は、西洋風にいえば「重商主義者」である田沼意次によって大きく支持、そして奨励されていたものでした。
松前藩からの献金額は当時、すでに無視できぬほどに大きかったのですが、その利益を吸い取りながら、田沼意次が松前藩の上知を密かに企てたというのは、ビジネスパートナーを裏切り、彼らが確立した商工業のルートをまるっと奪い取ろうとしているのと同義だったのです。
ドラマの意次は「生粋の悪人」としては描かれておらず、またこの松前藩の上知計画は意次の承認のもと、意次の息子・意知が主に担当していたという設定も重要です。ここに今後のドラマの展開を予測する鍵がありそうなんですね。
史実では田沼派による松前藩の蝦夷地上知計画は、田沼意次の失脚によって失敗に終わっています。また田沼意知も、ドラマにも登場している佐野(善左衛門)政言(矢本悠馬さん)によって、江戸城において白日堂々、暗殺されてしまうのです。
ドラマでは真面目だが、それゆえに田沼派が牛耳る政界では出世できず、くすぶっている若者として描かれている佐野政言――公的には400石取りだが、2000石程度の実収入があったとされる程度の旗本と、若くして家治将軍の「御側御用人(おそばごようにん)」と「若年寄(わかどしより)」を兼任している田沼意知に本当に接点があったのかも、史実ではよくわかっていません。
それゆえ「田沼政治への怨恨」とか「田沼意知への個人的な悪感情」などの結果、殺害を企てたのであろう……と推測するしか、佐野の犯行については当時も、そして現代もわかっていることは「ない」のですね。
佐野は意知の殺害当日、ほとんど取り調べらしい取り調べも受けぬまま、切腹させられたとされており、事件が「大きな力」によって闇に葬られた印象さえあります。
田沼意次をめぐる歴史的な“謎”
しかし、ここで疑問が湧いてくるはずです。なぜ当時の最高権力者だった田沼意次が、嫡男を殺されておきながら、そんな簡易な取り調べだけで沈黙したのでしょうか。幕府にとっても、「政府要人」である意知が江戸城内で暗殺されたというのは沽券に関わる問題だったはず。
これらの歴史の謎について筆者が推測するに、意知の死には、本当に不都合な真実が隠されていたのでしょう。ドラマの意知の死は、彼が先導していた松前藩の蝦夷地上知計画について知った松前道廣による報復として描かれるのかもしれませんが、そういう国家レベルの何かが、史実の田沼意知暗殺事件のウラにもあったと考えておかしくはありません。
ドラマの佐野は、松前道廣の息がかかった人物から意知暗殺をそそのかされ、殺害後の出世栄達を空約束されていたものの、裏切られ、よけいなことを言わない間に消されるのだと思われます。また、田沼意次も意知にやらせていた蝦夷地上知計画を表に出すわけにはいかなかったので、さらに家治将軍もそれを承認していたとはいえなかったので、意知暗殺についてさらなる調査はできなかった……という展開になっていきそう。
『べらぼう』の脚本家・森下佳子先生ほどの方ならば、史実と史実の間を埋める想像の斜め上をいく展開を用意してくれているかもしれませんが、かなりハラハラさせられそうです。
『べらぼう』の田沼意次は、先述のとおり「生粋の悪人」ではないので、幕府の未来のため、自分を支持してくれている将軍・家治公のため、仕方なかったというニュアンスで全ては描かれていくのではないでしょうか。
しかしそうなると気になるのが、ドラマにおける誰袖花魁の落籍の描かれ方ですね。
ドラマでは誰袖だけでなく、大文字屋も田沼派の蝦夷地上知の陰謀に加わっているので、松前藩が真実を知ったのなら、花魁どころか店ごと潰され、吉原全体にもペナルティがあって当然の話ですから。
実際に田沼意次の死後、土山宗次郎は田沼時代の横領の責任を取らされ、死罪となっているので、土山という男が危ない橋を渡りすぎていたのは事実だとは思うのですが、今後のドラマには想像もできない面白い展開が用意されていそう。楽しみに見守りたいですね。
さて、最後に相撲の話をしておきましょう。前回のドラマに大相撲の現役幕内力士、若元春、遠藤、錦木の御三方が登場したのにはびっくりさせられましたね。以前、芝居役者や義太夫などの舞台関係者は「四民の外」で吉原にとっては招かれざる客だったというお話もありましたが、江戸時代の力士も「四民の外」の存在ではありながら、相撲が「五穀豊穣を祈る神事」だったことから、力士も「神聖」なのでした。また、人気の力士は武士からも一目置かれていたようです。
江戸の「三大モテ職業」の一つが相撲取りだったくらい(ほかの2つは火消しと芝居役者、もしくは同心の上役)ですし、「一年を二十日でくらすいい男」という川柳が詠まれたほど、人気力士ともなれば春と秋の年2回、それぞれ10日間の相撲興業に出れば、数十両~100両も稼げたそうです。ゆえに稼げる力士が吉原の遊女を落籍し、その子どもも力士になった、という話もありました(『北里目録』)。
人気力士には、藩主たちがパトロンとなって支援を授けていた場合も……。ドラマの舞台である天明・寛政時代(1781~1801年)は、谷風梶之助(仙台藩お抱え)、小野川喜三郎(久留米藩お抱え)、雷電右衛門(松江藩お抱え)などの名力士を使って、各藩が「代理戦争」をしていたと見えるくらいに相撲ブームが加熱した時代だったのです。
(文=堀江宏樹)