『あんぱん』第61回 教え子全員をモブ化して教師の葛藤が語れるわけないのです

「みんなも知っちゅう通り、日本は戦争に負けました。先生はみんなに間違うたことを教えてきました」
なんでこのセリフが響かないかといえば、間違うたことも楽しいことも、教師のぶ(今田美桜)が子どもたちに教えた場面がないからなんです。
師範学校で愛国に目覚めて、教師になってからの1年半をNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』はすっ飛ばしてるんですね。その1年半をすっ飛ばした第36回、校長に「朝田先生の指導に迷いがなく」と言わせ、児童らが「実に迷うことなく、すくすくと愛国の心が育っている」ことにして、のぶが実際に自分の手を汚して愛国教育をしている描写を避けたんです。
具体的にどう避けたかといえば、のぶが子どもたちと向き合って愛国精神を叩き込むという描写をせず、いつの間にか子どもたちがヒトラーを礼賛している、兵隊さんごっこに興じているというシーンに、のぶの満足そうな笑顔を重ねただけ。
このドラマが教師のぶを描く上で決定的に失敗していると思うのが、子どもたちからのフィードバックを何ひとつ語らなかったことです。教師という仕事の相手はあくまで子どもたちであって、のぶが愛国教育というアクションを子どもたちに対して起こしたなら、そこには必ずリアクションがあるはずなんです。そのリアクションを受けてこの人が何を考えたのかという葛藤がないから、この人の教師像がまるで伝わってこない。
その愛国について、子どもたち以外にも、のぶは「兵隊さんががんばってるからハンドバッグいらん」と「日本は勝つ」くらいのことしか言ってないでしょう。理念も哲学も何もない。かといって、師範学校の黒井先生や校長の受け売りというわけでもない。「愛国教育を後悔する」というプロットを用意しておいて、そのプロットのままご開帳しちゃってるだけ。
これだと、のぶが教師を辞めた理由が結果論でしかないということになるんですよ。
「先生は間違うていました、ごめんなさい」
と、のぶは言いますが、それはあくまで「日本は必ず勝つって言ってたけど負けた」というだけであって、「この戦争は愚かしいものだった、先生の考え方が間違っていた」とは思ってないことになっちゃう。競馬の予想屋だったらそういう理由で辞めるのもわかるんだけど、教師が仕事を辞める理由にはならないのよ。
「あの子らの澄んだ目を見たら、何ちゃあ言えんなってしもて」
ここに含みがあるんでしょうね。澄んだ目を見たら何も言えなくなった。
この中には親兄弟が戦争に行った子もいたよね。身内が死んだ子もひとりやふたりじゃないでしょう。あのイモ泥棒みたいな孤児もいるだろ。もし、この時代の教師であるのぶさんに罪があるとすれば、それは「子どもたちの目を濁らせてしまった」ことなんだと思うんですよね。
ここで子どもたちを全員丸めて「澄んだ目をした子」に仕立て上げることは「子どもは全員モブです」「ひとりひとりが生活をしている人間ではありません」という宣言なわけです。そんな描き方で、主人公が教師を辞めるという選択に重みが出るわけがない。もともとちゃんと子どもたちに向き合ってる姿を描いてないから、のぶという人が「子どもが好きだった」という気持ちすら霧散していく。
そんな感じで戦争と教師を片付けて、今日は次郎さんを片付ける準備が淡々と進められました。第61回、振り返りましょう。
そっき?
特に理由もなくのぶが教師を辞めたことに理解を示した次郎さん。「大事な夢ができた」と言って、日記帳に速記文字を書いて披露します。
なんそれ。
いや、あのね、のぶさんが新聞社に行くきっかけ作りなんだろうけど、あまりにも次郎さんを便利に使いすぎじゃないですかね。カメラと速記を与えて死んでいくって、なんですか、次郎さんはジャナ専ですか。日本ジャーナリスト専門学校ですか。それか、叩くとキノコが出てくるブロックですか。
やっかいなのは、次郎さん役の中島歩さんがすごくいいお芝居をしてるんですよね。ちゃんとやつれて見えるし、車イスで運ばれていくシーンなんて悲壮感出てますもんね。
そういうリアルな芝居で、「速記文字を書き出す」などというまるでリアリティのない行動をされると、もう薄気味悪さしかないわけですよ。
そんで今日イチで気味が悪かったのが、車イスに乗って検査に向かった次郎さんを見送ったのぶが、その日記帳に目をやるシーンです。
ここ、次郎さんは検査に連れていかれて、しばらく戻ってこないからのぶは帰る、という場面ですよね。一緒に廊下に出て、次郎さんは検査室へ、のぶはエントランスへ、「また明日来ますね」とか言って別れるのが普通ですよね。のぶが好きなのは次郎さんであって、日記帳ではないよね。
ここ、明確にのぶという人の意識が「次郎さん」から「速記文字」に移行しているんです。次郎の母親が訪ねてきても、容態を知らせるでもなく速記文字の話をしている。まあもともと次郎さんを愛している感じなんて全然なかったんだけど、いよいよ「夫婦である」という建て前の描写すら放棄してしまった。もう早く次郎に死んでもらわないと話が進まない、という状態になってる。
次郎さん、何が君の幸せで、君は何をしたら喜ぶんでしょう。わからないまま終わる、そんなのはイヤだ! ということです。
あとさ、母親は見舞いには行かないのかね。あとのぶの家とか近所とか、空襲に遭ってなかったっけ。のぶさん家を飛び出してすぐ焼け落ちる家から子どもを救い出してなかったっけ。まるでドラマのセットみたいにきれいなお家だったけど、あの空襲は記憶違いかな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)