『べらぼう』米不足に便乗江戸時代の“先物取引”投資家と佐野政言による田沼意知暗殺

前回の『べらぼう』(第26回)も面白かったですね。タイトルの「三人の女」って誰……?と思っていましたが、ビジネス婚のお相手から名実ともに蔦重(横浜流星さん)の妻となった「てい」(橋本愛さん)、店に転がり込んできた蔦重の産みの母「つよ」(高岡早紀さん)、そして通常の「義兄弟」が意味する分限を超え、蔦重を恋い慕う喜多川歌麿(染谷将太さん)の内なる「女」のことだったようです。
「つよ」が、「てい」に向かって、歌麿は蔦重の「念者なのかい!?」と顔を輝かせて問うていたシーンには吹き出してしまいました。「念者」とは、男性同士の関係におけるパートナーというような意味ですね。
蔦重には何度もそういう関係じゃないと否定されてしまった歌麿ですが、ついに「てい」と蔦重が心身ともに結ばれる気配を察し、寝床で「よかった……」といって布団をひっ被るシーンには物悲しさがありました。宇多田ヒカルもいうとおり、誰かの願いが叶うとき、別の誰かは泣かされるのです。
蔦重の母なのに「ババア」呼ばわりされている「つよ」、かなりいいですね。往年のテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(2000年/TBS系)を思い出してしまいました。ネトフリでもリバイバル人気だそうですよ。蔦重と「つよ」の関係が、マコト(長瀬智也さん)とその母(森下愛子さん)みたいで笑ってしまいました。筆者の周囲では横浜流星の口調や見た目が、マコトを演じていたときの長瀬さんに似ているという声もありましたね。
2000年代以降の「現代」の日本と一番リンクする過去がいつかといえば、個人的にはまさに『べらぼう』で描かれている江戸時代中後期ではないかと思われてならないのです。
天候不順や災害が頻発し、滅亡の予言が飛び交うだけでなく、米の値段まで誰かが倉庫に隠し持ったせいで倍に上昇……という類似っぷりに恐ろしくなるほど。
ちなみに蔦重は知り合いを通じて、古古米を割安でゲットしていましたが、史実の江戸時代の人々も米を使った投資活動に熱心だったのです。
当時の江戸では、米作が行えない蝦夷地の松前藩を除き、ほぼすべての藩が年貢として米を徴収していました。しかし、この米を藩の財政――家臣たちへの給与支払いや、参勤交代の費用などの確保のため、換金する必要があったのです。
しかし、とくに大坂や江戸の市場に大量の年貢米を、全て運び込むのは輸送コスト、保管コストともに高くつきました。
それゆえ、使われるようになったのが「米切手」です(他にさまざまな呼び名がありましたが、本稿では「米切手」で統一します)。
各藩は、大坂など各地の主要商業都市に「蔵屋敷」という倉庫兼出張取引所を設け、そこに国許から段階的に年貢米を運び込むのでした。すると、米を預かった証しとして「米切手」が発行されたのです。
米の現物を得るために必要なのが「米切手」でした。
市中の米屋などはまず米切手を購入し、必要が生じるごとに蔵屋敷に行って、米切手の額面に書かれた量の米の現物を受け取ったのです。
しかし、買い手は米切手を転売することもできました。
米の収穫量は毎年の気温や気候変動、さらに火山噴火などイレギュラーな事態によって大きく移り変わりました。ドラマの設定では通油町にあったとされている「丸屋」を最初に買ったのは大坂の商人でしたが、浅間山の噴火を知った彼は吉原の蔦重を訪ね、「自分から『丸屋』を買わないか」と持ちかけていましたね。彼は「今年は米の値段があがるから……」とも言っていたはずです。
あの商人はまだ関東圏以外の誰も浅間山噴火による影響を把握できていないうちに、灰でかき曇った江戸の空を見て、「今年は日照条件不足で米が実らず、数カ月後には江戸を含む関東近辺で米不足に陥り、必然的に値段がハネあがる」と予測していたのです。
ドラマの商人の後日譚は描かれませんでしたが、彼は米市場の仲買人に接触し、「丸屋」を蔦重に転売して得た現金を元手に、日本各地の藩が発行した米切手を買えるだけ買ったはずです。
秋になって、当時の日本を代表する大消費圏・お江戸を中心とした関東で米不足が深刻化し、ドラマでも語られたとおり米の値段が高騰するのは確実でしたから、商人が浅間山噴火のときに買い占めた米切手の販売価格も釣り上がる。それらをよきタイミングで米市場に一括売却……というのが、例の商人の戦略であり、実際に彼の予測通りになったはず。日本橋通油町で堅実に商売をするより、よほど割のよい儲けになったでしょうね。いやー、羨ましいかぎりです。
現在の先物取引における「ロング」――価格がハネあがることを予測した買いの先物取引を、江戸時代の投資家たちも行っていたのでした。逆に特定の産地の米の相場が値下がりすると見込まれる場合は、米切手を「ショート(空売り)」にすることもできたのです。
ただし米切手は最低でも10石単位、通常は100石単位の扱いで、値段もそれ相応でした。当時の米1石は現在の重さで150キロ。前回のドラマでは、江戸時代の食事はおかずが少なく、米中心だったというナレーションがありましたが、それも史実です。成人男性が1年で食べる米の標準量が1石=150キロだったのですね。価格が倍ともなれば、庶民は大変だったはず。
しかし、江戸中後期の1石の価値を現在の7万円ほどだと考えると、もっとも小さい額面の米切手を買うにせよ70万円が必要でしたし、それが倍なら140万円……。現在の貨幣価値でいえば何百万円~何千万円の経済的余裕がある人にしかできない投資手段でした。現代ほどには少額投資ができるわけではなかったのです。
やはり「黒幕」は一橋治済なのか?
さて前回のドラマの見どころといえば、自分など蔦重にはビジネス婚の妻としても不適格だと卑下した「てい」が家出する前に完成させた耕書堂の商品目録でした。
ドラマの公式ページによると数カ月かけて完成された労作で、「系図みたいにしたら?」という歌麿のアイデアは考証の先生のコメントが活かされたものだったそう。逆にいうといくら江戸出版界の風雲児・蔦重とはいえ、史実ではあそこまで系統だったセールストーク養成教材を作っていたわけではなさそう……なのですが、蔦重の功績として自分が出版した本の中に、自社広告・他社広告を非常に効果的に掲載する手腕の確立が挙げられます。蔦重による出版物の末尾の自社広告を分析すると面白いんですね。
現在、ドラマは天明3年(1783年)後半くらいの話をやっていると思われますが、ちょうどこの年から「吉原細見」は蔦屋耕書堂の専売品となりました。他の版元が完全撤退したのです。それを祝い、蔦屋耕書堂版「吉原細見」は『吉原細見五葉松』というタイトルで刊行されるようになります。
天明3年の正月むけに出版された『吉原細見五葉松』の巻末広告を見ると、その最初を飾るのは『西遊記』をモチーフにした『通俗画図勢勇談』という読本(よみほん)です。当時の蔦屋がもっともプッシュしている最新の売れ筋本だったのでしょう。
しかしその次にあるのが、天明3年に刊行されたばかりの狂歌本『通詩選笑知(つうしせんしょうち)』、その次が安永6年(1777年)刊の道蛇楼麻阿名義で、朋誠堂喜三二が書いた黄表紙本『娼妃地理記』なんですね。ほかには喜多川歌麿の代表作でもある安永5年(1776年)が初版の『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』なども載せられています。
その翌年も同様に、最新作+過去のベストセラーが広告されていますね。現在の巻末広告そのものです。
ここから推測できるのは、蔦重が目指していたエンタメ本とは、その場限りのノリや楽しみが最優先の「薄い本」ではなく、何年単位で売れ続ける価値がある「作品」だったということ。重版したので、より熱心に在庫を片付けてしまいたいという出版社独特の内情があったのかもしれませんが、重版するのは売れている本だけですからね……と、前回はさまざまなことを考えさせられる内容でした。
次回は最近のドラマにチラチラと登場しているのが気にかかる佐野政言(矢本悠馬さん)によって田沼意知(宮沢氷魚さん)が斬殺されてしまうようですが、やはり「黒幕」は一橋治済(生田斗真さん)なのでしょうか……。
(文=堀江宏樹)