『あんぱん』第79回 繰り返される歴史の改竄、あと嵩のマンガが全然おもしろくない件

NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』の持ち味として、遠隔地にいる人がなぜか情報を共有できるテレパシー、今が何時何分なのかよくわからない時空の歪み、人物の瞬間移動能力、それにいきなり出てくる後出しの「伏線」設定、あとは主人公の無神経と厚かましさと、そういったあたりが思い浮かぶわけですが、今日はそんな持ち味が存分に発揮された珍回となりましたね。
それにしてもなんといいますか、嵩(北村匠海)のマンガが全然おもしろくないんだよなぁ。1コマ目で釜じいは「そのあんぱんは古いから食べるな」と言って、2コマ目でくらばあが、「それは残念ね」とあんぱんを残して去っていく。この時点で、釜じいはこのあんぱんを食いたいと思っているから「古くない」という認識で、くらばあも残念がっているので、同じく「古くない」と思っている。
3コマ目でママが出てきて「古くなったあんぱん、誰が片づけた?」と聞いている。ママはパンが古いことを知っていたわけだ。
そして4コマ目で「古くない」と思ってあんぱんを食べた釜じいが腹を壊している。なぜなら、あんぱんは古かったから。
2コマ目でくらばあは皿に乗ったあんぱんを残して立ち去っているので、おそらくこの古いあんぱんはちゃぶ台の上に、皿に乗って置いてあったのでしょう。
もう古くなって食べられないあんぱんを、ちゃぶ台に置いたのは誰なの? ママ? 罠? 計画殺人? 狙いはじじい、ばばあのどっちだったの?
大筋として、欲をかいたじじいが痛い目を見るという皮肉を描こうとしたことはわかるけど、ストーリーテリングが致命的にヘタクソなんですよね。「アホヤネ~」じゃないんだよ。そこらへんの素人が描いたマンガならいいけど、幼少期から新聞や雑誌に投稿すれば掲載される天才マンガ家にして後の『アンパンマン』作者となる青年が、「世界一おもしろいものを作りたい」と決意を固めた時期の作品として、クオリティが低すぎる。クオリティが低すぎる上に、「くじら」第1号の水落ちにしても「闇の女」にしても、今回のあんぱんにしても、込められた悪意が絶妙に気持ち悪いんだよな。ユーモアとしてもウィットとしても成立してない、ただの悪意が露見してる感じ。なんかもう、嵩がマンガを描くたびに「センスねーな」という感想しか出てこないんです。それを周囲のみんなが誉めそやすから、居心地が悪くてしょうがない。
というわけで第79回、振り返りましょう。
「高知に残る=恩返し」じゃないだろ
結論からいえば、また人の人生を描くことよりエモが優先されたな、という印象です。釜じい(吉田鋼太郎)は結太郎(加瀬亮)の帽子をかぶった瞬間にもう、殺されていた。その後はイタコにさせられ、のぶの東京行きを後押しするためだけに利用され、ボディを透明にされてしまいました。
蘭子(河合優実)に呼び戻されて御免与に戻ったのぶ(今田美桜)とメイコ(原菜乃華)を前に、ママ(江口のりこ)は「ごめんで、そんなに悪うなるまで気づかんで」と謝ります。
これも、何を謝っているのかわからない。のぶもメイコも誰かに強制されて高知に住んでいるわけではなく、通勤圏内である御免与に戻らないのは彼女たち2人のエゴでしかありません。家族の都合なんか知らん、石屋に跡継ぎがいなくても知らん、蘭子が郵便局をクビになっても知らんという態度で若松の遺した家に勝手に住み着いてる姉妹に、なんでママが謝っているのか。
その後、自分が東京行きの可能性をゲットしたことをこれみよがしに家族にアピールするのぶですが、その気がないなら言う必要ないよね、こんなの背中を押してもらうための誘い受けだよね。そういうことをやっておいて、釜じいに「おまえはどうしたいが?」と尋ねられたときの、のぶのね。
「え?」
っていう顔ね。こいつホント人をイラつかせる天才なのかと思ってしまいます。ママが「たまるかー!」って驚いちゃうほど、嬉しそうにおまえは代議士からの誘いをご開帳したんだろ。その時点で「どうしたいか」なんて決まってんだろ。
このあと、釜じいは結太郎を憑依させて「おなごも大志」の話をするわけですが、いつの間にかのぶにとっての「大志」として東京行きが扱われているのもご都合に過ぎるんです。なんだかよくわからない「東京で代議士と一緒に働く」という仕事が大志であって、高知の人のため、高知の復興のための雑誌を作ることは「大志」ではなく、くだらない仕事であると言ってしまっている。でも、直接的にそうは言えないから、雑誌作りという仕事の意義を語らずに「新聞社への恩返し」というお気持ちの問題にすり替えている。本来、代議士秘書をしたいか雑誌を作りたいかという選択肢のはずなのに、東京に行きたいか田舎で恩返ししながらくすぶり続けるかという選択をすることになっている。
高知に残ることは、イコール新聞社への恩返しをすることではないはずです。別室が立ち上がっていたときにのぶ自身が口にしていた「記者として世の中に真実を問い続ける」とかなんとかいうソレをやり続けるかどうかであるはずなんです。
教師を辞めたときもそうだったんだけど、辞める理由を考えるときにその仕事について真剣に向き合わないで、なんか自分の中で言い訳を作って辞めていこうとする人として、のぶが描かれてるんですよね。教師、雑誌、それに次郎さんとの結婚についてもそうなんだけど、キレイさっぱり印象を消そうとするあまり、その対象に「のめり込ませない」「本気で向き合わせない」という手法を選んでいる。だから、それぞれのエピソードが連続している感じがしないわけです。本気で向き合って、本気で悩んで決断してきていたら、もっとちゃんと主人公の人物像が見えてきたと思うんだけど、これはもう今から取り返しはつかないんだろうな、残念です。
また後付けの歴史改竄
ラジオを「千尋くん」なんて呼んだことないだろ、というのが、もう典型的なエモ優先のための歴史改竄。そして千尋の名前が出るたびに思い出す、死を覚悟した際の不倫宣言。
嵩は今、雑誌の表紙もマンガものぶ尽くしにしてしまうほどのぶに夢中のようですけど、こうして千尋の名前を聞いて、あの千尋の絶叫を思い出さないんですかね。のぶの顔を見て、弟の顔が浮かばないんですかね。どういう心境なんだろう、全然わかんない。あと、ついでに言うと蘭子がよさこい節を歌うわけですけど、3姉妹でこれを歌うのは豪ちゃんを見送った日以来ですよね。どういう心境で歌ってんだろう。全然わかんない。
その後、釜じいは「のぶは戦争中、家族のためによう働いてくれた」などと言い出します。また歴史改竄です。のぶは戦時中、高知の家から御免与の学校に通勤していました。メイコや婦人会と一緒に穴を掘ってもいないし、豪ちゃんを亡くした蘭子をフォローしてもいない。「これからは遠慮のう大志を貫いてほしい」と釜じいは言いますが、戦時中ののぶは大いに「愛国教育」という大志を貫いていました。それを今さら、「遠慮のう」じゃないんだよ。
そして釜じいは結太郎の帽子をかぶるわけですが、ドラマ的にはもうここで釜じいは死んでるんですよね。ここからは結太郎の言葉しかない。釜じいはのぶが教師になるといえば怒鳴りつけ、のぶが嵩に「生きて戻んでこい」と言えば怒鳴りつけ、メイコがのど自慢に出るといえば怒鳴りつける、そういう人でした。そういう人が、そのヒステリーの奥にあった愛情を死に際に語る、というのであれば感動したかもしれないけれど、今まで一切おくびにも出してこなかった「面白がって生きえ」などという、取ってつけたとしか言いようのないセリフを吐かせて、またエモを演出する。
「おまんを待ちゆう人がおったら、そこに向こうて走れ。助けたい人がおるがやったら、どれば遠くても走っていけ」
このセリフもダメです、刺さりません。釜じいは薪鉄子のことを言ってるわけだけど、これまで『あんぱん』を見てきた人からしたら、のぶを「待ちゆう人」、のぶが「助けたい人」がいるとするなら、飢えた子どもたちなんだよ。百歩譲って、できる限り好意的に解釈して、子どもたちなんですよ。このセリフで背中を押されてのぶが東京に行くなら、それはのぶという人が「身勝手なミーハーである」ということにしかならないんですよ。
釜じいは釜じいとして死ぬことすら許されず、何も真剣じゃない主人公が思い付きとラッキーオファーだけで東京へ行く。幼なじみのイケメンはほっといても自分を好いてくれて、たぶん東京にも追っかけてきてくれる。
来週からそういうものを見せられるわけです。楽しみだね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)