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『あんぱん』第82回 数少ない「熱演シーン」の意味が、片っ端から踏み潰されていく

今田美桜(写真:サイゾー)
今田美桜(写真:サイゾー)

 さて主人公ののぶさん(今田美桜)が東京にやって来たわけですが、「何をしに来た」がまずないんですよね。「東京に行くのが夢だった」「議員さんと働くことにした」という事実関係は辛うじて説明されていますが、この人が何をやりたくて東京に来たのかがわからない。

『あんぱん』キャラクターたちの連続人格崩壊事案

 代議士である薪鉄子(戸田恵子)がのぶという人の顔だか性格だか速記の技術だか、その何かの要素にホレ込んでスカウトしたのはもういいとして、主人公が転職という決断に至るには「東京で私とこういうことをしよう」「これとこれを実現したくて、あなたの力がここで必要である。だから助けてほしい」という具体的な要望があって、のぶがその鉄子の申し出と「月刊くじら」の仕事と、どちらがより自分の力を活かせるのか、どちらが世の中のためになるのか、どちらが飢えた子どもたちを救うことにつながるのか、それを比較検討した上で転職の決意を固めていたら、まだ説得力のある決断になっていたと思うんです。

 その鉄子の具体的な要望をボヤかして何も語らず、ただ「議員と働く」という漠然とした職務形態だけを指して「大志」と呼び、上司となる鉄子を「のぶを待っている人」「のぶが助けたい人」と呼んで自己実現に向けて力強く前に進んでいる風に見せていますが、のぶがこの仕事を通して「何をどう実現したいか」が何も語られていないので、東京で代議士と働き始めた時点で半ば目的を果たしてしまっている。だから、鉄子からの指示に従う以外にやることがない。

 これ新聞社に入ったときも同じことが起こっていて、高知新報で何をやりたいのかを語らないまま記者になってしまったので、編集長の指示に従う以外に何もやることがなかった。ここ数週間、主人公がずっと指示待ち人間になっているんです。顔だけイキった指示待ち人間って実際の社会にも散見されますけど、基本ウゼーんだよな。

 そういうやつが気まぐれで謀反を起こして〆切1時間前になって、急に鉄子の記事を落とし、八木(妻夫木聡)の記事を差し込んできたというのが今回の上京のきっかけになってるわけですが、このやり方も本当にウゼーんですよ。社会のルールから見て、反則なんです。どうしても八木の記事を入れたいなら、もともと予定されていた鉄子の記事と八木の記事を両方〆切までに仕上げて、「いちおう鉄子の記事も書いたけど、こっちの八木の記事のほうが意義があると思います」と提案するのが最低限、お給料をもらう編集者の振る舞いなんです。

 そういうわけで「主人公の上京」という劇中における大きな環境の変化が、そのプロセスにおいてもモチベーションにおいても、まったく説得力がないという状態で始まりましたNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』の「東京編」第82回、振り返りましょう。

キレイゴトとは?

 ご婦人たちにたいへん頼りにされていた代議士鉄子ですが、のぶの上京と時を同じくして見捨てたようですね。街頭演説では子どもの話題一辺倒、政策にまるで一貫性を感じません。

 その鉄子から、のぶは「徹底的に浮浪児の話を聞け」と命じられ、ガード下に出かけます。指示待ち人間ですから、「聞け」と言われたら聞くだけです。

 しかし、聞くだけではドラマになりませんので、脚本はのぶにショックを与えなければなりません。再会した八木ちゃんに「覚えておけ、キレイゴトだけでは何も解決しない」と言わせ、闇の女さんは「あんたらに何がわかるって言うんだい」と吐き捨てます。

 この八木ちゃんと闇の女さんのセリフは、のぶが「キレイゴトだけで物事を解決しようとしている」という前提で飛び出してきているわけですが、そもそものぶという人物には、その「キレイゴト」すら設定されていないんです。飢えた子どもを救いたいと思っているのぶにはのぶなりの方法論があって、その対立軸として八木ちゃんや闇の女が登場したならドラマになるんだけど、のぶに方法論がないから一方的なストレスでしかない。作り手が「のぶの新生活はストレスフルである」ということだけ言えれば、それでいいと思ってるということです。もはや戦後である必要も東京である必要もない。

 だいたいさ、八木ちゃんは「こいつらの盗みは生きる術として染み付いたもんだ」って言うけど、そもそもそんなの八木ちゃんに教わることじゃないわけですよ。「飢えた子どもを救いたい」というのぶの思いの、唯一リアリティを担保していたのが高知の闇市での子どもたちに対する徹底的な取材、フィールドワークの経験だったはずなんだよな。そんな子どもたちの苦境すら、八木ちゃんと闇の女に教えられなきゃ一切知らなかったことになってる。じゃあ、ホントに誰が何しに来たんだよって話なんですよ。

 そういえば高知の闇市ではお芋さんを盗んだ子どもが「おじちゃんが困る」とか言って返却に来てましたね。あれ、なんだったんだ。

気持ちをぶつけるぞ嵩

 かように主人公に自我がないことで悲惨な状況になってきた『あんぱん』ですが、もっと悲惨なのがやなせたかし氏をモデルとする嵩(北村匠海)です。

 昨日、赤いハンドバッグを携えていよいよ告白を決意、愛するのぶに気持ちをぶつけるために行動を起こした嵩くん。バカなので汽車の時間を調べておらずハンドバッグは渡しそびれましたが、確かに気持ちをぶつけようとしていたはずです。

 それが今日になって「気持ちをぶつけない男」として上書きされていました。朝田の女衆に「のぶに告白せえ」と迫られてしおらしい顔をしていますが、これだと嵩はわざと汽車を逃がしたことになってしまうんですよ。「のぶが好きだ」というポーズを決めてママ蘭子メイコにアピールするためだけに、若松の家にやってきたことになる。

 そして若松の家には、ノンデリカシーの嵐が吹き荒れることになります。次郎さんの遺した家に寄り集まって、その未亡人である「若松のぶ」にアタックしろと迫る朝田の女たち。死んだ弟・千尋の秘めたる不倫願望を親族にご開帳する兄・嵩。ねえママ、次郎さんはあなたの義理の息子ですよ。蘭子メイコよ、一度は兄になった人が建てた家だよそこは。どれだけ千尋の思いが純粋だったとしても、それは不貞ですよ。どんな顔で聞いてんのよ。お空から次郎さんが見てるとは思わないもんかね。

あの紙芝居

 また歴史の改竄が行われましたね。八木ちゃんは嵩の紙芝居を思い出しながら「あいつの絵や物語は人の心を動かす」と言いました。現地の通訳が嵩の紙芝居を適当に翻訳して、日本軍を笑いものにしたというのが、『あんぱん』が唯一披露した嵩の戦場での“作品”についての事実です。決して、嵩の絵や物語がストレートに人の心を動かしたわけではありません。

 この八木のセリフがウソだということを、私たちは知っているわけです。

 そのウソに乗っかって、のぶが「私も嵩の絵が大好きです」「嵩の絵に救われたことも」と言ってしまっている。

 結太郎(加瀬亮)を見送った駅での、最期のツーショットを描いた絵のことですよね。あれに感動して涙を流した永瀬ゆずなさんの熱演も、このやりとりで台無しになってしまいました。

 呉の病室での中島歩、小倉の料理屋での中沢元紀、駅での永瀬ゆずな、せっかくの数少ないナイスなお芝居シーンもこうして片っ端から意味が踏み潰されていくわけですから、『あんぱん』を少しでも好きになった視聴者にとっては、今の『あんぱん』は敵でしかないのかもしれませんね。怖い話だ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/07/22 14:00