『あんぱん』第83回 矛盾が矛盾を呼ぶ超絶トンデモ展開、もうずっと全然おもしろくない

なんかもうずっと全然おもしろくないNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』なわけですが、今日も冒頭からおもしろくないですねえ。
理路整然、スラスラと自分たちがどこから「逃げてきた」かを説明する浮浪児たち。昨日、「キレイゴトだけでは浮浪児からは簡単に話を聞けない」というハードルがまるで絶望であるかのようにのぶに突き付けられましたが、これはポリスからひとりの子どもを「親戚の子」と言って匿ったことでオールクリアになったということなのかな。あの一件が、ガード下の浮浪児全員の心を開くトリガーになったという、その作劇のイージーさがまずおもしろくない。ドラマ側が設定したハードルが、一夜明けたら勝手に融解したようにしか見えない。
事務所に戻ると鉄子(戸田恵子)が何か言ってますが、今日気付いたけどすげえデカい盆栽あるな。あんな立派な盆栽、今なら数百万とかしそうですけど、鉄子という政治家を大衆に寄り添うキャラとして登場させておいて、事務所にクソデカ盆栽を置いてしまう美術のセンス、その矛盾に気付かない演出。
「のぶさん、政治は貧しい人、恵まれん人にこそ手を差し伸べんといかん」
うん、盆栽売れ。環境のいい児童養護施設が必要だと本気で思うなら私財を投じろ。おまえ実家も激太らしいじゃん。鉄子が何を言っても、あの盆栽の存在がある限り金満政治家であるという誹りから逃れることはできない。そんなヤツに支持している主人公が魅力的だったり有能だったりするわけがない。おもしろくない。
子どもに勉強を教えるのぶ。ほっかむりをかぶって現れる鉄子。「今日はヒマ」だという。鉄子は何をしているの、ヒマができたならやることやんなさいよ。
ここでは高知新報での夕刊廃止から「くじら」立ち上げの際にもあった「忙しい」と「ヒマ」の都合のいい出し入れが行われています。この出し入れによって人物が日々、どこに向かって走っていて、何にプライオリティを置いているのかがわからなくなる。日常が喪失する。信用を失う。もとより、のぶは子どもにいくら向き合おうが「教職を放り出した」という過去がまとわりついて、それが本気の行動とは思えなくなっている。子どもたちの顔面への賛美もノイズにしかならない。
蘭子(河合優実)とメイコ(原菜乃華)に手紙を書くのぶ。知らない間に蘭子に経理の仕事が決まっている。だいたいもう蘭子とメイコが若松の家に住み続ける理由なんてないのに、ここに居座っているのが気持ち悪い。
「困っている子どもたちの声を速記で書きとって」
速記が必要になるほどの文字量、誰もしゃべってない。子どもへのインタビュー中も、のぶの手は止まっている。速記術を理由にスカウトされたのに脚本で速記が必要な仕事を用意できない、だから無理やり速記にこじつけている。そうしてこの転職が、とりあえず成功しているというイメージを視聴者に刷り込もうとしている。欺瞞です。おもしろくない。
「ガード下に住みよって、うふふ」
メイコおまえ「ガード下」って、なんでそんな簡単に想像できるの? 高架鉄道を見たことがあるということ? どこで?
「あの2人には多少のお節介は必要やと思うけんど」
もうくっつけたいのはいいけど、その話を若松の家でするな。デリカシー!
というわけで第83回、振り返りましょう。
嵩、スランプ中
嵩くん、いつも〆切ギリギリまで仕事を引き延ばしているし、先日はイラストが間に合わなくて愛するのぶちゃんの送別会も欠席していましたけど、今日は何か完成稿を提出していましたね。のぶちゃんがいなくなって邪念が消えたのか、絶好調のようです。
と思っていたら、追加仕事の付録のすごろくには一切筆が動かない。この付録、嵩の手が空いたから担当することになったわけですよね。嵩がくだんの完成稿を仕上げるまで、付録については誰が担当して何を作るかすら決まっていなかった。おそらく、東海林編集長(ツダケン)の中で「手が空いた者が担当する」ということになっていたはずです。
嵩が付録を担当することになったのは「絶好調、〆切前に余裕で自分の仕事を仕上げたから」であって、「スランプ」とは対極の状態であることが展開の根拠になっているわけです。
だから、通常業務は手早くできるけど、すごろくは作れない、という状況は成立しないのよ。何を見せられているの。
んーで、嵩がすごろくを作れない理由は「のぶちゃんがいなくなってスランプだから」という矛盾を一旦引き受けて前に進みますが、嵩がのぶを思って悶々としてペンが進まないのはデザイン学校時代以来、2度目のことです。あのときは「卒業制作を仕上げてのぶに告白するぞ!」と思い立って絵に向き合いましたが、ここでまた女の子のことでウジウジ仕事ができないなら、何も成長していないという印象しかないんですよ。嵩、何も成長していない。魅力がない。ついでに、前回のウジウジ期には「嵩は好きな絵が描けないほど恋焦がれている」という描写をしたくせに、後で健ちゃんが「あの時期、嵩はマンガを描きまくっていた」とか言い出した過去の矛盾まで思い出されてしまって、つくづくダメなドラマだなと再確認してしまう。
今日は地震があって、その地震の前に「のぶは順風満帆」「嵩はのぶを思って悶々」というシチュエーションを作っておきたかったということなんでしょうけど、何もうまくいってない。そんで、地震です。
「次郎さん、蘭子とメイコを守って……!」
高知を大地震が襲って、多数の被害者が出たという。チームくじらの編集部では書類が散乱しているものの、建物の倒壊は免れたようです。
東海林と岩清水(倉悠貴)いわく、市街は壊滅的で特に嵩が住んでいる地域の被害がひどいそうです。そして、その嵩とは連絡が取れない。
編集部の3人ともが普通に出社していて、互いの家族の無事を確認し合ったりしていないで嵩の心配ばかりしているところから推測すると、高知新報の社屋と東海林岩清水琴子の家は無事、家族も全員無事、そして市街は壊滅している。
どういう状況?
「さっき見てきたけど、あいつの住みゆうあたりがいちばん被害がひどい」
よし、東海林は嵩の住所を把握しているということだな。そのあたりを「さっき見てきた」んだな。なんで近所まで行ったのに、嵩の家を訪ねなかったのかな。心配してるのか、してないのか、はっきりしておくれよ。マジで何を見せられてるんだ。部下が死んでるかもしれないんだぞ。近くまで行けたなら家に駆け付けろ。玄関を叩け、大声で名前を呼べ。だいたいこっちは嵩が高知市街に住んでることだって初耳なんだぞ。御免与じゃないっぽいくらいしか情報がないのに、「嵩の住んでる場所が大打撃」とセリフで説明されて、何をどう想像すればいいのか。
そんでのぶさん、地震をきっかけに嵩への自分の思いに気付いたようですけど、この時点であなた、嵩だけでなく、くらばあもママも蘭子もメイコも生きてるか死んでるかわからんのよね。
家で「くじら」の表紙を指でなぞって「タカシ……」って顔してますけど、こういうときさ、次郎さんの写真を画面の外に置くのが本当に卑怯な撮り方だなと感じるわけです。
家族を案じて、神頼みしたい場面でしょう。次郎さんの写真に向かってさ。
「次郎さん、どうか蘭子とメイコを守って……!」
とか言ってくれりゃ蘭子メイコがあの家に住んでることにも意味が出てくるってもんですけど、「タカシ……」だもんな。やってらんないよ。なんかひとつくらい納得できるドラマを、明日こそ見せてください。
(文=どらまっ子AKIちゃん)