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原田龍二インタビュー「映画『ハオト』の撮影現場で片岡鶴太郎さんとヤノマミ族の話ばかりしていた」

原田龍二インタビュー「映画『ハオト』の撮影現場で片岡鶴太郎さんとヤノマミ族の話ばかりしていた」の画像1
原田龍二(撮影=河野優太)

30年以上に渡って俳優として第一線で活躍する一方で、バラエティにも積極的に出演。近年は自身のYouTubeチャンネルに力を入れるなど、多方面で活躍する原田龍二。戦後80周年を迎えた2025年夏に公開される映画『ハオト』では主演を務め、元エリート海軍兵の水越を熱演している。『ハオト』の撮影エピソードや、超常現象などにハマったきっかけ、『世界ウルルン滞在記』の思い出などを中心に話を聞いた。

<インフォメーション>

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『ハオト』 © JOE Company


『ハオト』
2025年8月8日(金)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開中

原田龍二 長谷川朝晴
木之元亮 倉野尾成美 村山彩希 三浦浩一 二瓶鮫一 植松洋 マイケル富岡 金城大和 バーンズ勇気
片岡鶴太郎(特別出演) 高島礼子

監督・脚本・プロデューサー:丈
配給:渋谷プロダクション
製作:JOE Company
2025/日本語/STEREO/アメリカンビスタ/117min
© JOE Company

初夏のある日、警察署に90歳を超えた一人の老人が甥っ子の刑事宛に訪れ、「人を殺した」と告白。老人は、太平洋戦争末期の特殊施設の話を始める。そこは、原爆開発を手掛ける博士や戦況を100%予知する男がいる、特殊機密施設。海軍の将校・蓬が、ハワイ生まれの日系人である米国の諜報員・津田を二重スパイとして雇い、施設に連れてくる。蓬は、ソ連に仲介してもらい、和平交渉を進めようと、日系ソ連人のソ連大使と陸軍将校の森本を施設に招こうと画策。方や米国は、津田の存在を怪しみ、同じく日系ハワイ人の田中を送り込む。蓬の親友である水越は、何を思って軍を辞めたのか。藍が未来に放つ白い伝書鳩は、はたして何を伝えるのか。

公式サイト:http://haoto-movie.com/
X:https://x.com/haotomovie

<プロフィール>
原田龍二(はらだ・りゅうじ)1970年10月26日生まれ。東京都出身。1996年、映画『日本一短い「母」への手紙』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。ドラマ、映画をはじめ、バラエティや旅番組でも活動。主な出演作に、5代目佐々木助三郎役を演じたドラマ「水戸黄門」、「相棒」シリーズ、映画『一月の声に歓びを刻め』、『太陽とボレロ』、舞台「大奥」シリーズなど。

公式サイト:http://bro.co.jp/concept.html
Instagram:https://www.instagram.com/bro.ryuji.harada/
X:https://x.com/ishikawaruka322
TikTok:https://www.tiktok.com/@haradaryuji_official
YouTubeチャンネル『原田龍二の「ニンゲンTV」』:https://www.youtube.com/channel/UCIg4JZi3ZSVcqjVMFcOHiOw

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原田龍二(撮影=河野優太)

色々な感情を駆使しなければいけない、やりがいのある役だった

──映画『ハオト』の出演はどのように決まったのでしょうか。

原田 今回、監督・脚本・プロデューサーを務めた丈さんは、過去に舞台でご一緒したこともありましたし、別々のドラマですが同時期に京都の撮影所で撮影していた時期もあって、よく顔も合わせていました。ただ監督としてご一緒するのは本作が初めてでした。丈さんから直接、「こういった映画を作りたいんですけど、主役でお願いします」と言われて、まず脚本を読ませていただいたんです。とても面白い内容でしたし、20年前に舞台で上演した作品を映画化するには相当な思い入れがあるんだろうなと思って、快諾させていただきました。

──脚本を読んで、ご自身が演じた元エリート海軍兵の水越をどのように捉えましたか。

原田 僕とかけ離れた役ではないと思うんですが、いろんな面を出さなくてはいけないという意味で一筋縄ではいかない、色々な感情を駆使しなければいけない、やりがいのある役だなと思いました。

──水越は特攻を志願した弟・正和が原因で突然軍を辞め、戦争や軍を批判し、精神病扱いをされて精神病院に入っていますが、冒頭で「いきなり軍をやめて病人のふりか」と言われます。“塀の外と中、どちらが狂気なのか”というテーマが描かれた本作を体現している役です。

原田 この映画が伝えたい一番のテーマを孕んでいますよね。現代の日本に生きる僕にとっては過去のものですけど、世界的に見ると現在進行形で戦争をやっている国もあるので、悲しい出来事をこういう形で今を生きる現代人に伝える映画の役割は大きいと思います。

──映画の舞台となる精神病院は戦中にタイムスリップしたような臨場感がありました。

原田 ロケ地は長野県の佐久市にある旧志賀小学校を精神病院のセットとして使って、そこでほとんど撮影しています。丈さんはいろいろとロケハンされたみたいですが、セットだと気付かれてはダメですし、実際にあった建物の存在感というのは、この作品にも、我々のお芝居にも味方してくれました。そこに重きを置いた監督の判断は正解だったと思います。僕はノスタルジックな風景や物が好きなので、初めて来たとは思えなかったですし、懐かしさが込み上げてくるような場所でした。

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左から長谷川朝晴、原田龍二/『ハオト』 © JOE Company

──水越の親友で施設の指揮を執ることになる海軍将校・蓬を演じた長谷川朝晴さんとも何度か共演されているそうですね。

原田 ちゃんと向かい合って、二人しかいないシチュエーションでお芝居をしたのは今回が初めてだと思います。長谷川くんは年齢が近いということもありますし、長くお芝居をやられている方なので、事前に「こうしようよ」というのもなく、テストの段階から旧友のような雰囲気を出すことができました。

──長いキャリアを誇る個性的な俳優さんが一堂に会していますが、中でも片岡鶴太郎さんと三浦浩一さんはコミカルなシーンも多くて存在感を発揮していました。

原田 ご本人に聞いた訳ではないのですが、お二人とも面白くしようと思ってやられていない、計算していない感じがいいですよね。さすがです。この方が演じるから面白いんだという絶妙なキャスティングだなと思いました。

──本番中、笑いそうになりませんでしたか?

原田 みんな本番中は笑いをこらえていて、カットがかかると一斉に笑いました。僕は自分の出番がないときでも、側で二人のお芝居を見ていたんです。それは勉強のためではなく、僕が興味を惹かれる方が、どういう人生を歩んできて、こういう芝居をしているのかと勝手に想像するのが好きなんです。

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左から原田龍二、片岡鶴太郎、倉野尾成美、清水一光/『ハオト』 © JOE Company

──原田さんはお笑い芸人とお仕事する機会も多いですが、鶴太郎さんとお会いしたことはあったんですか。

原田 挨拶をさせていただいたことはあったんですが、共演は初めてでした。今回、二人きりでのお芝居はなかったんですが、どういう方なのか、しかも最近はヨガに熱中されているということで、どんなアンテナを持っているのか個人的に楽しみにしていました。そうしたら僕からお話しさせていただく前に、鶴太郎さんから「原田さんはドキュメンタリー番組でヤノマミ族にお会いしたんですって?」と聞かれたんです。

──ヤノマミ族は南米のベネズエラに住む先住民族ですね。

原田 鶴太郎さんが、そういう世界が好きかどうかも知らなかったんですが、シャーマニズムなどへの興味が強かったらしくて。現場でお芝居の話は一切せずに、原住民の話ばかりしました。僕も鶴太郎さんの立場だったら聞くと思うんです。珍しい部族と生活を共にした人と話す機会もなかなかないですからね。僕自身も話したいのですが、撮影現場でやたらめったら話す訳にもいかない。でも鶴太郎さんは初めて現場でお会いしてから、帰られるまでずっとその話で。お芝居の出番が終わったら、私のところに来て、「続きを聞かせてください」と、なかなか終わらないんですよね(笑)。

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原田龍二(撮影=河野優太)

死についてばかり考えている子どもだった

──原田さんは心霊スポットの取材などをメインにしたYouTubeチャンネル『原田龍二の「ニンゲンTV」』を精力的に更新していらっしゃいますが、小さい頃から超常現象などに興味があったのでしょうか。

原田 ありました。実は小さい頃から、世の中に悲観している子どもで。もちろん『8時だョ!全員集合』(TBS)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)などのバラエティも好んで見ていたんですが、すごく将来を悲観していて、「世の中って面白くないな」とどこかで思っていたんです。夢なんか全くなかったし、どんな大人になりたいかというビジョンもなくて、どちらかというと空想家でした。

──当時の社会情勢も影響していたのでしょうか?

原田 それもあると思います。僕は1970年生まれで、高度成長期と呼ばれていた最後の時期で、いろんな大人たちが富と名声を手に入れようと一生懸命働いていました。自分の親父もサラリーマンで、その一人だったと思います。子どもながらに、そうした世相や、便利さを追い求める世の中に、どこか冷めていたんですよね。一方で当時から先住民族、オカルト、おばけなど、非現実的な世界が好きでした。『食人族』(80)なんて映画もありましたが、小学生の頃からカニバリズムにも興味がありました。子どもってそういうところから目を背けがちですが、人間はどうやったら死ぬのか、死んだらどうなるのか、そんなことばかり考えている子どもだったんです。

──厭世的というか、早熟だったんですね。『川口浩探検隊』シリーズ(テレビ朝日)も見ていましたか。

原田 もちろんです。番組がやらせかどうかなんてどうでもよくて、日常生活とは縁のない秘境の映像を見るのが純粋に好きなんです。本物であろうが偽物であろうが、裸の部族が出てきたりすると、すごく楽しそうだなって思うんです。いまだに知られざる部族の映像を見るとロマンを感じます。

──そうした興味が後に仕事で活きてくるから分からないものですね。

原田 スカウトをきっかけに92年に芸能界デビューして、どういう経緯かは分からないんですけど、ドキュメンタリー番組に呼ばれるようになって。95年には『世界ウルルン滞在記』(TBS)で初めて外国に行く機会を得て、最初はスリランカに行きました。その後、モンゴル、アフリカ、ラオス、バリ、タイの奥地など、山岳民族や幻の部族みたいな人たちに会うたびに、今まで自分が大事にしてきたこと、自分の人間性の核になっていた、普通は知らなくてもいいような世界にどっぷり入るきっかけをもらったんです。自分から提案した訳じゃないのに、テレビ番組からお金を出してもらって、ギャラをいただいて、そういう場所に行けるんだからありがたいことです。そういった仕事を次々とやらせていただくことで栄養を蓄えていき、アニミズムやシャーマニズムなど、どんどん現代社会とは真逆の精神世界に傾倒していったんです。それが今の心霊のお仕事に繋がっていますし、鶴太郎さんのような大先輩にも興味を持っていただけるのはうれしいことです。

──原田さんは超常現象などを妄信していませんし、マニアックな方向に走る訳でもないですし、バランス感覚が絶妙だと思います。

原田 もっと振り切っていれば、文化人類学や考古学などの方向に行っていたのかなとも思うんですが、アカデミックなことは好きじゃないんですよね。実際にその場所に行って、この人たちは本当にこういう生活をしているんだ、弓矢で獲ったものを食べているんだ、男と女が森に行ってセックスをしているんだと、体感することが重要なんです。人間の根源的な姿ですし、それを目の当たりにすると感動します。

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原田龍二(撮影=河野優太)

森羅万象、神様への習わしに従うのは大切なこと

──『世界ウルルン滞在記』で滞在するのは1週間程度でしたが、それでもコミュニケーションは取れるものですか。

原田 仲良くはなれるんですが、1ヵ月、1年いたところで、言葉がしゃべれないし、奥地に行けば行くほど、本当のことは教えてくれないんですよね。だから本当に彼らが心を開いているかは分からない。たとえばヤノマミ族に関して言うと、外部の人間には名前を絶対に教えないんです。ニックネームみたいなものはありますけどね。それはよそ者を信用していないということではなく、本当の名前を教えたことによって、呪いをかけられるのを恐れているからなんです。神聖というか、そういう教えを守り続けていることは素晴らしいですし、すごく惹かれます。

──日本でも山奥に入ると、独特な心持ちになりますよね。

原田 やっぱり山の神様がいるからだと思うんですよ。昔のマタギも、よそ者には言わないけど、山に入れない日を設けていました。そうやって森羅万象、神様への習わしに従うのは大切なことです。それを迷信だと切り捨てて、自然の摂理を無視してきたことが、いろんな災害に結び付いているとも思います。そこに傾倒し過ぎてしまうと、頭がおかしいと思われるので、なかなか言葉にはしませんが、そういったものは無視できないですね。

──むやみに否定はしないと。

原田 そうですね。ただ、そこに対しての距離感は縮みもしないし、遠ざけもしない。一定の距離を保っています。心霊もそうですが、どっぷり入っているようで、僕が一番クールに見ているつもりではいるんですよね。なんでもかんでも霊障で片付けるのは違うと思いますが、心の病と診断された方でも、もしかしたら霊障が影響しているかもしれない。どちらの見方も間違いではないんですよね。ヤノマミ族で言うと、西洋医学が一切通用しないんですよ。「お腹が痛い=悪霊の仕業」ということになりますが、それも面白い。シャーマンみたいな人がいて、悪霊を取り除く儀式を司ったりもするんですが、「本当かよ……」と思いつつも、それでケロッと治っちゃう人もいますからね。

──こうしてお話を聞くと、原田さんは本当の意味で、子ども心を今も持ち続けているとも言えますね。

原田 紆余曲折ありましたが、どんどん退化して、子どもの頃に戻っているのかもしれないですね(笑)。

──すっかり話は脱線しましたが(笑)。最後に改めて『ハオト』の見どころをお聞かせください。

原田 戦後80年が経った今、毎年なんらかの形で戦争をテーマにした作品が作られますけど、本作は真正面ではなく、多角的に80年前の悲しい出来事に照準を絞った映画だと思います。軍人だけでなく、軍人ではない一般市民の視点からも戦争というものを捉えて、いろんな方向から戦争を考えるきっかけをくれる作品です。戦場では人を殺せば英雄ですが、戦場以外ではただの殺人者。命の重みに変わりはない。悲しい出来事をどうにかして、今生きる糧にできないか、改めて平和とはなんなのかを考えさせられる映画です。

(取材・文=猪口貴裕)

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猪口貴裕

出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集にも携わる。

最終更新:2025/08/08 18:30