『あんぱん』第96回 主要登場人物2人の「描いたはずの5年」がチャラになる どういうドラマなのよ

誰の、何の話を見せられてるんでしょう。なんで今日になって急に「仕事のない駆け出しのマンガ家が細々と暮らしている」みたいな感じになってるのよ。嵩(北村匠海)は人も羨む高給取りだった百貨店を辞めてマンガ家一本に絞ったわけですが、その理由は「副業の稼ぎが本業を超えたから」でしたよね。
この直前まで、嵩の本業と副業、それにのぶ(今田美桜)もフルタイムで国会議員の第一秘書として働いているわけですから、柳井家には3馬力分の収入があったわけです。
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、嵩のマンガ家としての仕事について「稼げている」という以外、何も言っていません。どんな媒体で、いくらの単価で、月に何日、日に何時間稼働していて、順調なのか、好きな物語を描けているのか、苦しいこともあるのか、セミプロ生活になってマンガについて新たな発見はあったのか、なぁーんにも描いてない。ただ「稼げている」とだけ言っている。
だから私たちは「嵩、稼いでるんだな」以外に何も思うことがありません。何を描いてるのか知らんけど、稼げるならまあいいか、そう思って今日の回を見始めて見たら、やれ黒板に何もスケジュールが書いてないだの、「これで仕事来なかったらどうしようね」だの、何よ、チャラなの? チャラになったということなの? 百貨店の月給より多く稼いでいた嵩のマンガ家稼業が、退職した瞬間、チャラに?
つくづくだな、と思いますよ。この作品を見続けるからには、いつか、少しでもこの人たちを好きになりたい。それ以前に、とりあえず生活ぶりや考えていることを知りたい、そう思って見てるのに、こうやって簡単にチャラにしてくる。
どういう気持ちで脚本を書いてるんだろうかと、もはや心配になってくるレベルよね。「嵩はマンガで稼いでいるから会社を辞めました」と書いて、次の回では「嵩にはマンガの仕事がありません」と書く。頭がパーン! ってなりそうだけど、大丈夫なのかな。
第96回、振り返りましょう。
それでもまぁ、ちょっと描いた
これまで「マンガを描きたい描きたい」と言いながらまったく描かない時期を長く過ごし、描いたと思ったら何を描いたのかほとんど劇中で描かれないことでお馴染みの『あんぱん』でしたが、今日はちょっと描いてましたね。なんか犬のやつ、BONですか、急に「友だちがいません」とかセンチメンタルな作風になってますけど、闘牛士でも連れてきたらいいんじゃないですかね。BONも尻を咬むでしょうね。
そんでイブサー(井伏鱒二好き)仲間の八木ちゃんと「大衆に迎合するか/我を貫くか」などという、この手のフィクションで100万回は語られた創作談義などしているわけですが、これももう5年のキャリアがあって百貨店を辞めるほどの実績を積んできた作家が、そこらへんのオッサンと話すようなことじゃないんですよ。ドラマなんだから、5年経ったら5年経ったその人を描いてくださいよ。
しかも、この人の5年は道路工事のアルバイトしながら徐々に軌道に乗ったとかじゃなく、商業デザイナーとしても働いてきたわけです。ポスター、フライヤー、プロダクト、あらゆる商業デザインは「大衆に迎合するか/我を貫くか」の狭間にしか存在しないものでしょう。
今日、このドラマがチャラにしたのは副業マンガ家としての5年、プロの商業デザイナーとしての5年、その両方なんです。じゃあ何が残ってるのか、便所でチューした女との思い出くらいしかないじゃない。
しかも今日明らかになったところによると、その便所チュー女は自分の旦那を上司に紹介すらしてなかったみたいね。「どっかで見たことがあるわねえ」なんて言われてやんの。何それ、どういう関係性なの?
のぶと鉄子のエトセトラ
先週、鉄子(戸田恵子)に「私のやり方に文句があるがやったら、辞めてええがで」などと言われてしまったのぶさん。どうやら金のために仕事を続けたいらしく、鉄子に食い下がっています。そのわりに児童福祉施設の人を勝手に呼んで面会させるなど、秘書として不規則な行動が目立つところです。
そんで久しぶりに「逆転しない正義」が出てきましたね。嵩が「のぶと2人で探す」と決めた概念ですが、この概念の扱いも気持ち悪いんだよな。
「そんなもん、どこにあるっていうがで」
嵩とのぶがそれを探していると聞いた、鉄子の答えです。
そしてすぐさま「のぶさんはどういてそんな、あるかもわからんもんを?」と問い直している。会話が成立してないんです。
だいたい、のぶにも嵩と同じように5年の月日が流れています。旦那の夢を支えるために道路工事のアルバイトでもしてるならまだしも、この人は5年、政治の世界にどっぷり浸かっている人です。
その5年の間に、じゃあ鉄子とのぶは何を話してきたのかと。最初に鉄子がのぶをスカウトしたときから始まり、鉄子がのぶという人を知ろうとしたことは一度もありません。
「のぶさん、本当に私の誘いに乗ってよかったの?」
「高知にも困ってる子どもたちはいるんじゃない?」
「そもそも、どうして教師を辞めたの?」
「私のところで何をやりたいの?」
「『逆転しない正義』? それはいったい何? のぶさんの中で、どう考えてるの?」
聞くべきことはいくらでもあるはずです。人間として興味がなくたって、それくらいの思考を共有しておかなきゃ一緒に働けないでしょう。それをずっと、鉄子は聞いてこなかった。
のぶの5年間も、今日でチャラになったということです。
そして今日になって「逆転しない正義」とやらを嵩から聞かされても、「それはいったい何だろう、こいつらは何を言っているんだろう」と考えることがない。
これをやると、どういうことが起こるかというと、「ああ、このドラマは今『逆転しない正義』について考えるつもりがないんだな」という状況になるんです。視聴者にそのテーマが共有されない。こっちの思考を遮断してくる。結果、私たちは「逆転しない正義」について考えることが許されなくなり、ただ嵩とのぶが「ソレ」を見つけるのを待つしかなくなる。登場人物たちと一緒に悩んだり、考えたり、言ってることに共感したり、反論したくなったり、そういうことが一切許されないドラマになっているということです。
じゃあ何をやってるかといえば、先日も書きましたが史実を適当になぞって放送枠を埋める、ただそれだけが行われている。それを見ている。ああ、それを見ている。
(文=どらまっ子AKIちゃん)