『あんぱん』第98回 作り手がRADやミセスに抱くリスペクトを、私たちは主人公やヒロインに感じたい

今日は作り手、しかもたぶん脚本家の上にいる「統括」とかなんとか名乗ってる人ですね、その人のやりたいことがすごく伝わってくる回でした。
要するに、すごくJ-POPが好きなんだな。J-POPの人と仕事がしたいんだ。「ボクはJ-POPの人と仕事がしたいんだ!」という絶叫が聞こえてくるような、最大自己実現感にあふれた映像となりました。
RADが主題歌を請けてくれて、ミセスの大森がいずみたく役を引き受けてくれて、とっても楽しい日々だったのでしょうね。しかもその大森が快く歌ってくれるという。ミセスの大森といえば歌唱力に定評のあるボーカリストですからね、そんな評判が耳に入れば「俺のドラマで歌唱力に定評のある大森が歌ってくれる」という悦びに打ち震え、いつしか「俺は大森に歌わせた男」という自己評価へとつながっていくのでしょう。そして思い上がってSNSでつぶやいちゃうのです。
「あす8/14(木)の #朝ドラあんぱん もお楽しみに!要注目です。」
ドラマを仕事にしている人が、自分が好きなアーティストにリスペクトを寄せるのはいい。その人と仕事がしたい、その素晴らしい歌声を自分の仕事に生かしたいと考えるのもいいよ。
だけど、今日のNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』を見て感じることは「大森やっぱ上手いな」「この曲やっぱいい曲だな」というドラマの外にある感想だけであって、それは作り手が仕事をしていないということなんです。
ドラマというのは、その作り手が呼んできたアーティストに抱く憧れ、共感、羨望、畏怖、そういう感情を視聴者が「いせたくや」や「六原永輔」そして「柳井嵩」といったキャラクターに対して抱くために作られるべきなんです。
じゃあもう北村匠海にも歌わせれば? って思っちゃうよ。あの場面でたくちゃんが歌い出す必然性なんか、何もないんだもん。もう本番前夜、時間もない、そこで“美しい奥さん”ことのぶ(今田美桜)に聞かせるためだけに大森に歌わせるんだったら、DISH//が歌ったっていいじゃん。猫になっちゃえばいいじゃん。
第98回、振り返りましょう。
仕事選んでんなよ
副業のマンガの仕事が本業である商業デザイナーの収入を超えて、独立した嵩くん(北村)。こっちは納得してないけど、どうやら退職した瞬間に全部のマンガの仕事がゼロになったんだよね。そんで、黒板にウソのスケジュールを書き連ねるほど、のぶに対して後ろめたい気持ちがあったんだよね。
そういう建付けをしたら、どんな仕事だって請けたい状況なんだという前提でお話が進むはずだよね。
ミュージカルの美術だろうがなんだろうが、飛びつけよって話なんですよ。仕事がないんだろ、のぶにウソつくくらい仕事がほしいんだろ。なんで逡巡してんの。
おそらく史実では、やなせ氏は永さんたちの誘いに「僕は舞台美術の経験がないから」と戸惑ったのでしょう。それはなぞる。だけど劇中の柳井嵩には仕事ゼロ収入ゼロという、のっぴきならない事情を設定してしまった。
それにより、永輔の「仕事全部辞めてこの舞台やれ」というセリフに何の意味もなくなるし、嵩も「もう全部辞めてるって」という的外れなことを言うしかなくなっている。ここで永輔が言ったのは「今やってる仕事を全部辞めろ」という覚悟を問うものであったはずが、嵩には覚悟を決める必要なんてないわけです。ほかにやることがないんだから。
だから、ドラマが演出しようとした「嵩、戸惑う」「巻き込まれて舞台やることになる」「やってみたら、なんだか楽しい」という一連が空っぽになってしまう。空っぽを見せられている、今日も今日とて。
ハケていく嵩謹製のセットたち
そしていざ現場に入ってみると、これまで嵩の活動の中身を描いてこなかった弊害がモロに現れます。たくちゃんや永ちゃんがどんな無理なオーダーをふっ掛けてきても、全部できちゃう。
初めて雑誌に投稿したとき、初めてデザイン学校で天才に触れたとき、初めて新聞社に呼ばれて挿絵を描いたとき、嵩が何に苦しんで、それをどう克服してきたかを描いていれば、今回の舞台美術の仕事において「それは無理だ」「でもあのときもそうだった」「こうやったらできたじゃないか」というクリエイターとしての応用を描けるんです。
「舞台美術は未経験だが、物作りは自分の本懐である」
そういう経験に基づく信念と矜持があって、その信念と矜持を発揮して永ちゃんたちのムチャなオーダーを乗り越えていく。そして周囲の期待以上の作品を仕上げていく。そういう姿を描くことで、私たちは柳瀬嵩という作家に実存性を認めるし、憧れを抱くんです。それが何もないから「なんかペンキヌリヌリしてんな」とか「天井見てんな」とか、目から入ってくる情報以外に感じることがないんです。
そして悲惨なのは、そうして嵩がヌリヌリしたセットが、大森の歌の途中で画面からハケていくシーンです。そうして現れた星空は嵩のイメージボードではありましたが、この題目のミュージカルで星空が登場することに作家性も独創性も見いだせないよ。嵩の手柄だとは感じられないんです。嵩の作品であるグニャグニャ扉がドラマの邪魔になったようにしか見えないんです。邪魔になったんだよ、君は。バカバカしいだろ、そうだろ。
願うだけ無駄ならもうダメだ
もうダメなんだろうな。今回やったことは「柳井嵩は、こうしてミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を完成させました」というシークエンスです。それが、この有様だった。統括さんは「俺は今田美桜の前でミセス大森に歌わせたぜ」という事実でもって一生シコれるかもしれませんけど、私たちが嵩の創作過程において見たかったものは何もなかった。
私たちが今、ほとんど唯一の希望として待っているのが「柳井嵩は、こうして『アンパンマン』を完成させました」という、その創作過程のドラマなんですよね。ここだけはちゃんとやってほしいと願っている。願うだけ無駄かもしらんけどな!
(文=どらまっ子AKIちゃん)