『あんぱん』第103回 銃を向けて奪ったのに──略奪を美談にした「逆転しない正義」の話

今日は嵩くん(北村匠海)のテレビデビューのお話がまあまあヤベーなと思ってたら、その後のコンタ(急に戻ってきた)の激ヤバエピソードがあっさり上書きしていきましたね。
つじつまが合ってないとか、シーンの意味がわからないとか、そういう技術的なところでなく、いよいよ倫理的にヤバい。ちょっと見たことがない類の“美談”が登場しました。大本営発表ってこういうやつか。
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第103回、振り返りましょう。
銃を向けたんだぞ、銃を
闇市でのリサイクルショップ解散以降数十年、ようとしてその行方が知れなかったコンタが羽多子さん(江口のりこ)と一緒に東京にやってきて、朝田パンの跡地に食堂を開きたいという。
そして、その食堂の名前は「たまご食堂」に決めているのだそうです。
戦時中、戦地で食べたゆで卵の味が忘れられない。そのゆで卵は現地の方が、敵であるコンタたち日本兵に分けてくれたもので、腹を空かせたコンタたちは殻を剥く時間も惜しんでそのままバリバリとむさぼりついたものでした。
このゆで卵を、『あんぱん』は「親切」や「思いやり」の象徴として描き、コンタは金のない人にはタダで食事を振る舞うつもりなのだそうです。
忘れちゃったのかな、と思ったんですよ。このドラマでは週平均2~3コくらい(印象です)の矛盾の発生や歴史の改竄が行われていて、そのたびに「ミホちん、前に脚本に書いたこと忘れちゃったのかな」という疑念が浮かんできていたわけですが、このときも思ったんです。
忘れちゃったのかな、コンタはあのとき、現地の方に銃を向けたんだぞ、銃を。
結果的に、あのおばさんが泰然とした態度で卵を持ってきたことで印象操作が行われていますが、あの卵は善意で提供されたものではありません。丸腰の老人に銃を突きつけ、根こそぎ略奪したものです。いわゆるひとつの戦争犯罪です。
そういう形で卵の略奪を描いたことを忘れたのかと思ったら、きっちりそのシーンの回想は挟み込んでくる。コンタはやっぱり、老人に銃を向けている。「食い物を出せ、さもなければ殺す」という意思表示が画面いっぱいに映し出されます。
「どういても、あのときの恩返しを誰かにしたいがです」
なんというグロテスクなセリフでしょうか。
嫌な話をしますよ。ここで描かれたエピソードがどういう類のものなのか、ハッキリさせとかなきゃならない。
日本軍に限らず、古今東西の侵略戦争において現地の女性が進駐軍の兵士に強姦されるというケースは数多くあったといいます。戦後に「慰安婦問題」が大きな問題になるほど、極限状態に置かれた兵士たちの性欲処理は切実な課題だったはずです。
食欲じゃなく、性欲だったらっつー話ですよ。
コンタが中国の奥地で、性欲に駆り立てられて自我を失い、女性の家に押し入って銃を向け「セックスをさせろ、さもなければ殺す」と言ったとします。女性は撃ち殺されるよりはマシだと覚悟を決め、素直にコンタに従っておとなしく身体を提供する。コンタはその身体を、性欲のままにむさぼる。もう相手の顔なんて見ていない。
そういうことがあって、いつの間にかコンタの中でその経験は「銃で脅迫して強姦した」ではなく「女が自らの意志で、『親切』や『思いやり』の精神でヤラせてくれた」と変換される。実際には銃を向けて奪ったのに。
そして戦争が終わり、平和な日々の中でコンタがつぶやくのです。
「どういても、あのときの恩返しを誰かにしたいがです」
ああ、すげえ嫌なものを見たね。略奪したことが不快なんじゃない、微塵の後悔もないことが極めて不快なんです。これマジですよ、すごく真面目に書いてます。
あとはあんま真面目じゃない
だいたい羽多子はどうやって収入を得てるの、年金?
あとたぶん嵩は一族の稼ぎ頭になってると思うけど、のぶ(今田美桜)の口から「長屋を出て、ちゃんとした家に引っ越して羽多子を呼ぼう」という言葉が一切出てこないのはなぜ?
朝田石材店のスペースを有効活用するのはいいけど、高知の次郎さんが遺した一軒家はどうなったの?
羽多子さん、またパンを焼けばいいじゃなくて1回も焼いたことないだろ、だからヤム(阿部サダヲ)がいなくなって朝田パンはあんぱんを出せなくなったんだろ。
ヤムがいないとあの味が出せないって言うけど、ヤムは朝田パンに居付きながらしょっちゅう旅に出ちゃう人という設定だったよね、じゃあヤムの旅行中は本来の味じゃないあんぱんを売ってたということ? 開店当初から?
ミホちん、過去に脚本に書いたこと忘れちゃったのかな。
そんで嵩のテレビの話
またいつの間にかやったことのない「テレビ仕様の絵描き歌を作る」というクリエイティブがあっさり達成され、嵩はテレビデビューの生放送で失敗します。それでも嵩はテレビに呼ばれ続け、人気を獲得していく。複数のネガポジ転換が次々に行われていくわけですが、その間にあるはずの苦労どころか、仕事の楽しささえも描かれません。
どういう気持ちで嵩がこの仕事に臨んだのかわからないから、失敗して帰ってきた嵩を出迎えるのぶの顔面が何を意味しているのかまるで想像できない。
このドラマでは、のぶのこうした「無言の表情芝居」がたびたび登場しますが、「ああ、ここはセリフは必要ないな、この表情だけで伝わってくるな」と感じたシーンがひとつとしてありません。今田美桜の無言のアップショットが抜かれるたびに「それどういう顔?」としか思えない。明らかに作劇が失敗しているということです。
そしてそののぶは「うちは何しよったがやろ」とか言ってますが、ここにきてヒロインの無力化が行われました。たくさんの子どもらぁを助けるという大志を抱いて上京して、議員秘書として何ひとつ成しえなかった。もちろん商事会社でも何も実現できなかった。クビになって、「自分は何をしていたんだろう」と自己憐憫に浸る。
「逆転しない正義」を探すんだろ、そのために議員秘書を辞めたんだろ、できることを考えろよ、探せよ「逆転しない正義」を、探し続けろよ。鉄子(戸田恵子)に顔向けできるのかよ。
と思ったんですけど、今日は『あんぱん』の作り手たちが考える「逆転しない正義」の片鱗が感じられましたね。それは食べ物を分け与えること、困った人に食べ物を分け与えられないなら、銃を向けてでも分け与え合うべきであるということ。
これって逆転するしない以前に、正義ですらないと思うんですけど。
(文=どらまっ子AKIちゃん)