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『あんぱん』第108回 いよいよ中園ミホ御本人登場へ「作り手の言いたいこと」がやっと語られる

今田美桜(写真:サイゾー)
今田美桜(写真:サイゾー)

 ちょっとここのところ、集中できない日が続いております、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』。いちおうこれでもドラマを見ながら作り手の意図を理解しよう、メッセージを受け取ろうとしているわけですが、もうその意図というものがあからさまに「以前やったことはなかったことにしてください」「この人は以前と違うことを言いますが、なんとか飲み込んでください」という視聴者を騙す、矛盾を押し通す方向の欺瞞ばかりで、恥部を覗き込んでる感じなんだよな。ちゃんと見れば見るほど、見たくないものが目に入ってしまう。そんな感じ。

『あんぱん』役者さんたちは大丈夫なのか

 いよいよマンガの「マ」の字も言わなくなったのぶさん(今田美桜)、詩集は重版も決まって大喜びのようですが、これ誰がのぶさんと一緒の気持ちになって「本当によかったね、うれしいね」って思えますかって話なんですよ。

 つい先週までは美術を担当した舞台が成功しようが、「手のひらを太陽に」が大ヒットしようが、テレビに呼ばれて人気者になろうが、嵩(北村匠海)がどれだけ成功を収めても「マンガを描け」の一点張りだった。すごく時間をかけて「このドラマの主人公はそういう人だ」と言い続けてきたから、どうにかこうにかそれを飲み込んできたわけです。

 極力、好意的に解釈して、のぶという人は嵩のマンガの才能を本当に評価していて、マンガで成功することが嵩の幸せであると本気で信じている人なのだと思えば、まだ納得できる部分もなくはない。いや、なくはなくはないんだけど、とにかくずっとそう言い続けるもんだから、もうそれでいいよ、とあきらめていたわけです。

 そしたら今週になって、マンガを書かない嵩を大絶賛している。嵩にまったく仕事がなくて、この詩集が嵩にとって初めて世に出たものであれば大喜びしてもいいのだけど、嵩はすでに詩集を出せばサイン会に人が押し寄せるくらいの有名人で、この詩集も嵩の数ある成功例のひとつにすぎないわけですよね。

 じゃあなんでのぶさんは今回の詩集だけ絶賛しているのか。もう「マンガを描け」と言わなくなったのか。ドラマはそれを「この詩集には嵩の魂が乗っている」とか「優しくてあったかくて人の心に届く」とか、そんな感じで特別視しているわけですけど、そういう視点は逆説的に「手のひらを太陽に」の歌詞やそのほかの嵩の仕事を「適当にやってただけ」「優しくもあったかくもない、ただの作業の成果物」として、その価値を毀損していることに作り手は気付いているのかな。

 さらにいえば、のぶが詩集を絶賛することで、この人は嵩のマンガの才能を本気で信じていたわけではないということにもなってしまう。「マンガを描け」と言い続けてきたことに理由がなくなってしまって、ただ単に自分の気分を押し付けていただけ、なんでもいいから自分の言うことを聞かせたいという支配欲、自分は何者にもなれなかったのに、自分と関係なく出世していく嵩のキャリアにどうしても干渉したいという醜い嫉妬、そういうものの発露でしかなかったということになってしまう。そういうことに、たぶん作り手は気付いている。

 だから、「ともあれ、この詩は素晴らしいのだ」という評価でもって、その矛盾を押し通そうとする。今日の15分は、そういう回でした。

 第108回、振り返りましょう。

でも、それも失敗している

 急に降って湧いたメイコ(原菜乃華)夫婦の危機は、嵩の素晴らしい詩によって解決しました。

「こうして嵩の『愛する歌』は、みんなの心に染みていったのです」

 この詩はメイコをモデルにして書かれたものであって、健ちゃん(高橋文哉)にとっては、かつて「一心同体」とまで言っていた親友が妻をモデルにして書いたものです。この夫婦は、この詩の当事者であって、一般読者とは立ち位置が違う。そりゃ刺さるでしょ、売れっ子が自分たちのことを書いてくれたんだから。

 要するに「みんなの心に染みていった」ということを語るエピソードとして適切じゃない。身内が喜んでるだけとしか言ってない。

 そうしてプロット的に失敗しているこのエピソードですが、1エピソードのシナリオとしても失敗しています。

 いつもの喫茶店、メイコが涙を流して、健ちゃんがメイコの手を引いて立ち上がる場面。例によってエモな演出が施されているわけですが、このときの健ちゃんは仕事をほっぽらかして喫茶店に駆け付けたわけではありません。なぜか昼間から嵩の家に行って、嵩とのぶから「メイコがこういうことを言っていた」と聞いて、それから来た。メイコは「どうしたの、お仕事は?」なんて驚いてるけど、状況から察するに、たぶん健ちゃん休日だ。ほっぽり出されていたのはお仕事ではなく、メイコだ。

 そういう前提になっちゃってるので、手を引く場面のエモがエモにならない。ただ、あざといことやってんなというだけになってしまう。

 だいたい、メイコと健ちゃんが付き合い始めてから結婚するまでの半年間がショートカットされているので「最近、名前で呼ばれない」というメイコの不満にもまるで体重が乗ってないし、私たちはこの2人の夫婦の蜜月の日々を知らない。「ホントだね、健ちゃん昔は情熱的だったのにね」なんて微塵も思えない。

 ただ「嵩の詩がみんなの心に染みていった」と言いたいがためだけに無理やりメイコに不満をこしらえて、それを解決して、めでたしめでたし。そのめでたしも失敗している。ひどい。髪切れ。

かき乱すのか、中里

 いよいよ中里こと中園ミホの登場のようですね。小学4年生の女の子から、中途半端に達筆なハガキが届きました。

 むしろちょっと楽しみになってきてるんだよな。自身を、ヒロインの幼少期を演じた永瀬ゆずなに託して、何を言ってくるんだろう。何を言って、嵩の心をかき乱すのだろう。

 史実を追うことにがんじがらめになって迷走しているドラマの中で、ここはさすがにエゴが出ちゃうところでしょう。おざなりのメロドラマも軽薄なガールズトークも要らないんです。純度100%の作家のエゴを見たくなってきてる。

『あんぱん』が何を言いたいドラマなのかについては、もうあきらめています。史実をかいつまんで放送枠を埋めることが最優先されていることは疑いようがない。そんな中で、中園ミホという人が「やなせたかしとどう関係したか」というか「どう関係したと言いたいのか」ですね、そこには放送枠を埋めるだけじゃない何かを差し込む余地がある。何しろ、かき乱すそうですからね。

 作家なんてエゴイスティックでいいんですよ。さまざまな矛盾を押し通して、明日以降、ようやく「この作り手が何を言いたいのか」が見られるかもしれない。それは『あんぱん』放送開始以降、初かもしれない。やらかしの告白か、単なる自慢話か、どんなんでもいいよ、このドラマを見てる意味をくれ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/08/27 14:00