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『あんぱん』第111回 エモと史実がどうしても噛み合わない、なら別の話を作ればいいのに

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今田美桜(写真:サイゾー)

 さてNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第23週、「ぼくらは無力だけれど」が始まりました。いよいよあと1カ月、どんな結末を迎えるのかについては、あんまり興味がわかないところです。

『あんぱん』創作秘話を語ったら印象が悪くなった

 どうあれ、知れてる。そんな感じ。

 いちおう「アンパンマンの創作秘話」みたいなものを期待していた身からすると、現状の「ラフ1枚だけ描いて何年もほっぽり出されてる」「そのラフの価値を、このドラマの脚本家だけが見抜いている」という状態が、どうにも居心地が悪いんです。

 今日また「小学生の女の子が~」というセリフが出てきたところを見ると、どうやらミホちんは本気で『アンパンマン』の誕生に自身が一役買ったことにしたいらしい。今日の話では、嵩(北村匠海)はあのアンパンマンのラフ画が一度編集者に否定されたことでお蔵入りにしようとしていたところ、「小学生の女の子」が評価してくれたから再度別の編集者に提案したことになっている。

 アンパンマン計画の継続が、カホことミホの言葉なしではありえなかったことになってるんです。

 こうなってくると、中園ミホ脚本で「トーマス・エジソン物語」とか見てみたくなりますね。白熱電球の発明にも一役買ってくれるだろうね。ありがとう、ミホ。こうして私たちが電気を使えているのも、ミホのおかげです。

 第111回、振り返りましょう。

登美子関係ないやん

 物語の目的というものを考えるわけです。

『あんぱん』には主に2つの目的が設定されてて、ひとつは史実ポイントにたどり着くこと。「嵩が戦争に行きました」とか「『手のひらを太陽に』の作詞をしました」という誰もが知る有名エピソードから、「馬小屋で寝過ごしました」とか「下着売り場でサイン会をしました」とか、史実を知らなきゃなんでそんなことになってるのか意味がわからない小ネタまで、その取捨選択に疑問は残るものの、その作業をやろうとしていることだけは伝わってきます。

 もうひとつは、エモポイントを作ることですね。登場人物の感情が高ぶったり、その感情同士が衝突したり、そういうことを起こして「おもしろい」「見応えある」というドラマを作ろうとしている。

 この、史実とエモという2つがうまくシンクロしてくると「いいね!」と思える作品になると思うし、実際そういう作品も世の中にはたくさんあると思うんだけど、そうだなぁ例えばイーストウッドの『インビクタス』なんてすごくそういう「史実とエモ」が噛み合った映画だったと思うんだけど、『あんぱん』はそこの食い合わせがすごくダメなんですよね。史実にエモが乗らない。あるいは、エモが史実とリンクできない。

 今日はその最たる例といいますか、エモとしては「登美子(松嶋菜々子)vs羽多子(江口のりこ)」の芝居合戦という、うまくやれば朝ドラ史上に残る名シーンにもなったかもしれない場面がありました。最後にププってお互い吹き出しちゃうところも含めて、「ここ、いいシーンですよ!」という、かなり強い主張が入っていたことが感じられます。

 一方で、このエモの起点となっているのは史実である「やさしいライオン」という作品です。捨てられたライオンと、そのライオンを育てたイヌの物語。これを登場人物たちにリンクさせるとすれば、捨てられた嵩と、その嵩を育てた千代子(戸田菜穂)の話。「やさしいライオン」に、登美子に当たるキャラクターは出てきません。登美子は全然関係ないのです。

 設定されたエモに登美子が必要なのに、史実ネタに登美子が関係ない。

 だったらほかのお話を作ればいいところですが、なぜか『あんぱん』は関係ないのに関係あるように装ってエモを押し通そうとしてくる。

「やさしいライオン」の結末はもっと残酷なものだった。それを嵩は、登美子のことを思ってメルヘンに改変した。

 どういうこと? そして、だから何?

 そもそもこの「やさしいライオン」はセルフリメイクであって、もともとの残酷な結末を書いたのだって嵩本人です。じゃあその「やさしいライオン」の初稿を作ったとき、嵩という人は登美子のことも千代子のことも考えてなかったってことになっちゃう。もともとの「やさしいライオン」を書いたときの嵩がどんなだったのか、確かに私たちはその時間も彼らと共有していたはずだけど、いつ、何を思って作ったのかわからなくなっちゃう。

 息子と実の母親の間に通底し続ける愛がどんなものであったか、それを互いに理解しないまま長い時間が過ぎてしまったという悲しみを描こうとしているのに、その「長い時間」の部分がウソにまみれてしまう。

 そして「やさしいライオン」のメインテーマを司る千代子の存在を完全に無視して、物語は「登美子さんも一緒に暮らそう」という方向に舵を切ります。ライオンのブルブルは育ててくれたイヌのムクムクをそこらへんにポイ捨てして、自分を捨てた母ライオンのゴリゴリ(?)を背負おうというのが、今日のお話です。

それでも乗せようはあった

 そうして空振りした2大女優対決ですが、それでもエモを乗せる方法はあったような気がするんですよね。

 幼少期、登美子に「親戚の子」と呼ばれた嵩が歩いて高知から御免与に帰って来たとき、その途中で羽多子と出会っています。畦道に座り込んでしまった嵩を見つけた羽多子とのぶは、嵩にあんぱんをひとつ食べさせました。すると嵩は立ち上がり、帰るべき家に向かって毅然とした表情で歩き出したんです。夕陽の逆光がフレアを作って、美しいシーンでしたね。

 そのときの嵩の様子を、羽多子が登美子に語ってやればよかったと思うんだよな。あの子は立派だった、甘っちょろくなんかない、強い子だ、だって自分で立ち上がって歩き出したんだから。そう言えるエピソードを私たちは共有しているのに、肝心の作り手側がまるで忘れてしまっている。そして関係ない一般論をぶって、エモをエモり切ったような顔をしている。エモりたいならもっとエモってほしいんですよ。私、中年の女優がケンカするシーン大好きなんですよ。森田版『阿修羅のごとく』の大竹しのぶvs桃井かおりとか、『ぐるりのこと』のそれこそ江口のりこと木村多江とか、興奮するのよ。それを松嶋菜々子で見られるチャンスがあったのに、こんな肩透かしなんてあまりにも残酷だわ。

 あと、のぶさん代弁しすぎ。主な活動が代弁なのだったらヒロインの看板は下ろしたほうがいいね。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/09/01 14:00