『あんぱん』第113回 連続ドラマなのに「その場その場」のセリフばかりで誰が何を考えているのか……

ともあれ、マンガ家・柳瀬嵩(北村匠海)の脳内にアイディアがあふれてくるというシーンを初めて見ましたね。こういうシーンをこれまでにも見せておけば、少しはこの作家に興味を持つことができたのかもしれないけど、だいたい今までの嵩くんは「ずっとやらない」か「すぐできちゃう」のどっちかだったので、もうすっかり信用を失ってしまっています。
そして始末の悪いことに、現実には違うとわかっていても、どうしても「やなせたかしってこんな感じだったのかな」という印象が刷り込まれてきています。だってもう何カ月も毎朝見てるんだから、それはしょうがない。悪いのは向こうだ。
そんで、今日はそういうシーンが見られたのはよかったのですが、その前段があまりにもひどすぎた。
何日もアイディアに悩んでいた嵩がリビングにやってくると、のぶ(今田美桜)が帽子をかぶって掃除機をかけている。
「うち、いつもお父ちゃんに願掛けしてきたき」
してないよな、してないだろ。
のぶが自分の人生の節目でいちいちこの帽子と向き合ってきたのなら、別にいいんですよ。教師を辞めるとき、代議士秘書をクビになったとき、この帽子に父の面影を浮かべて、その父と会話をしてきたのなら別にいい。むしろ、今までは自分のためだけに父の神通力(?)を使ってきたけれど、今は嵩を支える身として、嵩のために帽子をかぶって願を掛けているんだという人生の変化を感じることだってできたはずです。
そんなこと、一切やってない。
ただ、やなせたかしが『ボオ氏』というマンガを描いたという史実があって、そこになんとか「のぶの影響」「のぶの手柄」を差し込むためだけに、死んだ人が利用されている。そして「いつも願掛けしてきた」などという、すぐバレるウソを平気で挟んでくる。
こういうのが、視聴者をバカにしてるっていうんですよ。その場その場で史実に求められるパーツをドラマの中から探してきて、お手軽に組み合わせて「ほら、のぶさんのおかげでしょ」ってやられても、シラけるばかりです。「のぶさんのおかげ」をやりたいなら、もっとちゃんと納得できる形でやってくれないと、どんどん好感度が下がっていきます。不快になるということです。絵に描いたような逆効果。
あと、1週間くらいですか、嵩はこの応募作品にかかりっきりだったみたいでしたけど、ほかに仕事はなかったの? 「あいかわらず忙しい」んじゃないの?
ホント、何もかもが「その場その場」で適当に作り上げられた要素ばかりで、連続ドラマを見てる感じが全然しないんだよな。むしろ前回までのことを全部忘れてしまったほうが、素直に楽しめるんでしょう。
第113回、振り返ります。
「当たり前」ということの扱い
同じマンションの階下に引っ越してきた蘭子さん(河合優実)。まだ荷解きも終わってないのに、のぶも羽多子(江口のりこ)も一切手伝わないのはどういう了見なんだろう。普通に考えて、みんなでさっさと終わらせて、みんなでパン食えばいいじゃん。紅茶でも淹れてさ。「これ、ずっと開かんかったけど八木さんに開けてもらった」とか言いながらジャムもみんなで使いなよ。
蘭子は1人で豪ちゃんの袢纏をハンガーに掛ける。蘭子は1人で八木ちゃんに開けてもらったジャムを食べる。その両方が今の蘭子にとって必要なこと。1人で向き合うべきこと。そういうことをやりたいのはわかるけど、引越しの手伝いという「当たり前」というか、むしろ家族にとっては義務みたいなことを放棄しているから、のぶと羽多子が蘭子を想う気持ちが伝わってこないんです。
蘭子の気持ちは、それはそれでちゃんとやりたい。史実はちゃんと追わなきゃいけない。その2つの要素が絡まり合って、肝心のヒロインのぶが、当たり前のことも当たり前にやらない変な人になっちゃってる。
かと思えば、「嵩さんが描きたいマンガを描くことに意味があると思う」みたいな、いつ、誰にでも言えるような当たり前のことを言い出したりもする。そして、『あんぱん』というドラマでは嵩さんが描きたいマンガを描いているシーンなんてここしばらく皆無でしたし、今の嵩さんが何を描きたいのかも全然知らないので、こんな当たり前のセリフさえ状況に当てはまらなくなっている。逆説的に、描きたいマンガを全然描いてこなかった嵩のキャリアに「意味がない」と言ってしまっている。『アンパンマン』のラフ画にペン入れしないことを、のぶはどう思っているのか。全然わからない。
「当たり前」のことが当たり前に行われない不気味さと、「当たり前」のことを言っても当たり前にならない連続性のなさが同時に放送されていて、もう本当に気持ちが悪いドラマになってると思います。
自走しない嵩
嵩は嵩で、また躊躇してのぶに背中を押されてやり始めて、というパターンの繰り返しです。マンガ家集団の世界旅行に置いてけぼりにされた悔しさからプライドをかなぐり捨てて懸賞に応募するという話をやりたかったはずなのに、その決心さえ嵩ひとりではさせられない、のぶに背中を押させなければならないから、結果として嵩の屈辱なんてそんなもんだったんだろとしか思えない。
「もしこれでダメだったら、僕はマンガ家を辞める」
この歴史上に存在するあらゆる断筆宣言の中で、ここまでその決意が軽く映ったことがあったでしょうか。このドラマの中で、嵩がマンガ家だった瞬間なんて一度もありません。イヌが闘牛士の尻を咬む4コマで入選して、『BON』は不採用、『アンパンマン』はラフ画のまま、マンガ家だったことなんて一度もないし、「嵩はマンガを描けません」という主張がずっと繰り返されてきているわけです。
そういうドラマを作ってきて、「僕はマンガ家を辞める」じゃないんだよ。
のぶも嵩も思考に連続性がないので、回を重ねるごとに「ウソつき」の濃度が高くなっていきます。
あと手嶌治虫からの電話をイタズラだと断定してガチャ切りしたシーンもさ、嵩と手嶌の関係性が一切描かれてないから、意味わかんないんだよな。もう何にも意味わかんないよ。どうしたもんかね、これは。
(文=どらまっ子AKIちゃん)